2017年11月16日

映画人九条の会13周年の集い

『ザ・思いやりパート2〜希望と行動編』上映会
 『ザ・思いやり』第一弾では、「思いやり予算」の不条理さと驚愕の実態、矛盾をさまざまな視点から問いかけ、「なぜ日本人はここまで米軍を思いやるのか?」という疑問を投げかけました。
 パート2 では、在日米軍が日本や世界で何をやっているのか、本当に日本を守るために存在しているのか、米軍が日本の基地を拠点にさまざまな国でどれほど多くの市民、子どもや女性に被害を与えてきたのかなどを、ユーモアを交えながら鋭く切り込んでいます。
 ゲスト:リラン・バクレー監督
 日時:11月20日(月)18:50〜20:30 (上映開始 19:00)
 場所:東京・文京区民センター・3A会議室
 参加費:1000円(前売参加券あり)

※連絡等、くわしくはチラシPDFをご覧ください。
「ザ・思いやりパート2」チラシ.pdf
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爆風(15)

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載
http://blogs.yahoo.co.jp/shosuke765
労働運動は社会の米・野菜・肉だ。
2017年11月16日
爆風(15)

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

 朝日町に住む庶務科の田中弥一雇員宅には奉天高女の勤労学徒が2人寄宿していた。田中は玉砕の報を聞いた後彼女らに「どうするか」と尋ねた。「私たちも行動を共にします」との返事。「自分たち一家は防空壕で待避することにしている。状況次第では青酸カリを飲んで自決する覚悟だ」と言うと2人とも頷いた。長期退避に備えて食料品、衣類を壕内に持ち込む。壕に入る前、今生の別れになるやも知れず、皆で別れの杯を交わした。酒に弱い者ばかりだったので、壕に入ると熟睡してしまった。

 町内の住民の中には爆砕を逃れるため吉野山を越えて避難する家族もあり、出がけに火をつけたのかあちこちで赤い炎が上がっている。東京陵に夜が訪れつつあった。

 武井覚一技手はロータリーの集まりが流れ解散になったので弥生町の官舎に戻った。弥生町は軍属の判任官が住む。町会から「今後の相談をするのでテニスコートに集まるように」という伝達。武井技手が出向くと既に議論が沸騰していた。ある者は死ぬと言い、ある者は逃げると言う。

 武井は議論を制して静かに自説を説いた。「皆さん死に急ぐことはない。ソ連軍といえども鬼でもなければ畜生でもあるまい。我々は今日まで五族協和、大東亜共栄圏の拠点としてこの関東軍火工廠を建設してきた。1棟の家、1本の電柱、1枚の瓦、1本の道路、皆我々が精魂込めて造ったものだ。もしソ連軍が無理無体なことをしたら、その時こそこの町を灰燼にしてしまおう。大人しく交渉に応じ我々の意見も聞くようならきれいな町のまま引き渡そうではないか」。

 しかし議論の一本化は難しい。結局皆それぞれ思った道を行くしかない。武井技手は重い心で家に戻った。玄関で出迎えた義母が「私は這ってでも内地へ帰るよ。こんな満州なんかで死ぬのは嫌だよ」とすがるように訴える。武井は言葉もなく道路へ出て、将校官舎の方角に足を向けた。

 人の行き交う道端で顔見知りの宮城少尉から「武井さん、如何しますか」と声をかけられた。「様子を見ます」と答えると「そうですか。国民学校もろとも爆砕したら大変なことになりますよ。周辺の満人が押し寄せてきて略奪が始まります。だから今、川原少尉たちがなんとかならないかと工作しています。もう少し様子を見ましょう。場合によっては大連へ脱出して内地へ帰れるかも知れません」と元気づけてくれた。
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わが家の蜂屋柿、干し柿も成功

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載
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労働運動は社会の米・野菜・肉だ。
2017年11月15日
わが家の蜂屋柿、干し柿も成功

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

 本16日付の『毎日』川柳欄に「隣から枯葉もらうが柿こない」という句が載っていた。確かに柿の落ち葉は大きくて量も半端じゃない。木枯らしでも吹こうものなら5軒先まで飛んで行く。それを見越しておれんちでは焼酎で渋を抜いた柿を2個ずつ近所に配って歩いた。「甘かった」と評判もいい。

 うちの柿、去年はさっぱりだったが今年は豊作だった(柿の実が沢山生るのを豊作というのかな)。ネットで調べたのだが、うちの柿は蜂屋柿というらしい。とにかくでかい。だから収穫も大変だ。低いところは脚立に乗って手で獲れるが、高いところは手元で操作できる枝切りハサミを使う。これが歳とともに操作困難になって、首が痛くなる。もちろん腰も痛いのでどうしても獲り残してしまう。

 今年は干し柿をつくって成功した。数年前のやはり豊作の年、干し柿づくりに失敗して腐らせてしまった。半月前、柿の木の下を通りかかった近所のお爺さんにその話をしたら、失敗の原因は柿に竹串を刺して糸で吊るしたせいだという。串を刺した傷跡から細菌が入って腐ったとの指摘。なるほどそうか。

 というわけで今年は柿の付け根のところの枝を残して、竹串を刺さなくても糸で吊るせるようにした。皮を剥いて熱湯で消毒、おれの部屋の軒下に吊るした。1週間で色が変わり、10日で柔らかになった。よくモミモミして2週間目に試しに1個食べてみたらこれが旨い。濃厚な甘さだ。

 さてここまではいいことづくめなのだが、やっかいなのは獲り残した梢の先の熟し柿だ。風もないのにボトンボトンと落ちる。うちの庭なら構わないのだが、道路に落ちると人様の迷惑になる。車で潰すとタイヤに柿がこびりついて蟻にでも食われたら大変だ。今朝もぺしゃんこの柿を手で剥がして最後は水で流した。上を見たらまだ数個の柿が枯葉の間に垣間見える。あれが落ち尽すまで油断できない。

 枯葉の掃除も重労働である。おれも少しは手伝うが、女房どのが主にやってくれている。それもいつまでできるかなあ。この家を立てて47年、柿の木はいつ頃誰が植えたのか。おれは記憶ないから死んだ親父なのかな。死んで34年になる。34歳で一家を連れて満州へ渡り、39歳で引き揚げ、田舎で行商して子どもたちを育て、55歳で上京、65歳で長男と同居、居心地が悪いとぼやきながら76歳で死んだ。

 今このブログで満州での敗戦から引き揚げまでの記録を書いている。親父への供養なのかも知れない。
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爆風(14)

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載
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労働運動は社会の米・野菜・肉だ。
2017年11月14日
爆風(14)

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

 加藤大尉はリュック替わりの背嚢に支給された乾パンを詰め、部隊出発の合図をした。集合順の混成部隊で隊列は4列縦隊。箱根峠を越え東京陵の工場が見える頃になって、「全員止まれ」との伝達がある。加藤大尉は隊列を道路脇に寄せ、後令を待つことにした。30分ほどして「唐戸屯へ引き返せ」の命令が届く。理由も分からず、みんなブツブツ言いながら腰を上げた。唐戸屯本部前で「逐次流れ解散せよ」と言われ、狐につままれた気持ちで加藤大尉が松風寮に戻ったのは午後3時半だった。

 朝日町に住む軍属(雇員)小林隆助の長女延子は国民学校5年生。下に弟妹が5人もいるので日頃から母を助け家事の一端をこなしていた。8月25日朝、父親がシベリアへ連れて行かれるかも知れないと聞いて、母のつくった大きなおにぎりを沢山焼いた。父に「すぐ帰ってくるからそんなにいらない」と笑われる。正午近く父はロータリーの集合場所へ出かけた。

 そのまま出発したものと覚悟していたら、夕方になって近所の男たちが続々戻ってきた。出発は取り止めになったという。父はなかなか帰ってこない。延子は母に促されてロータリーまで父を迎えに行くことにした。夕日が真っ赤に染めている広場の真ん中で父は酔いつぶれていた。周りの人の助けを借りてやっとこさ、朝日町の自宅まで連れて帰る。着いたとたん父は、玄関の上がり縁で寝込んでしまった。

 延子は近所の人から《今夜12時に国民学校で全員爆砕する》との話を聞いた。「うちは小さい子もいるから学校へ行くのは無理なので、爆発の音を聞いたら青酸カリを飲みましょう」と母が言う。楽に飲めるよう、大事に取っておいたサイダ―やカルピスを台所の床下から取り出した。

 母が子どもたちに着せる晴れ着をタンスから出しているところへ、家族ぐるみ懇意にしている戸塚家の母親せんが顔を出した。後ろに長女和子(12歳・遼陽高女1年)、長男章介(8歳・桜ヶ丘国民学校2年)、二女栄子(5歳)、三女悦子(3歳)が従っている。せんは「学校へいきませんか」と言う。延子の母は「うちはここで死ぬつもりです」と答えた。「ではうちもご一緒させてもらいます」「どうぞ」ということになった。父親の戸塚陽太郎は火事の消火や警備のために動きまわっているという。延子は《うちの父は酔いつぶれて寝込んでいるというのに》と肩身の狭い思いをした。
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爆風(13)

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載
http://blogs.yahoo.co.jp/shosuke765
労働運動は社会の米・野菜・肉だ。
2017年11月13日
爆風(13)

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

 空しく引き返すことになった林光道部隊長は、車に揺られながら奈落の底に落ちて行く心境になった。そこで彼が行きついたのは《やはり死ぬしかない》という諦念だった。

 東京陵の広場はまだ町中の男たちで埋まっている。林部隊長は壇上に立ち、ざわめく群衆を前に「我々の遼陽行きは不首尾に終わった。関東軍918部隊は即時解散する。従って各自の行動は自由である。自分はソ連軍命令に違反した責任をとって今夜自決する。国民学校に火薬を積んで玉砕する。玉砕に加わるも可、どこかへ逃げるのも可、各人の自由である。これは命令ではない」と宣言した。

 この部隊長宣言を受けて夕方5時、病院の一室で幹部将校による緊急会議が持たれた。召集したのは川原凰策少尉、参集者は15人ほど。まず川原少尉が「部隊長は死ぬと言うが、詔勅には『耐え難きを耐え、忍び難きを忍び』とある。今どんなに苦しくとも、生き永らえて日本再興に尽くすことが我々の使命ではないか」と口火を切った。全員が頷いて同感の意を示した。

 ついで浜本宗三大尉から「遼陽のソ連軍司令官と再度交渉するよう部隊長を説得してはどうか」との提案があったが、「部隊長は死を覚悟しているからもう無理だろう」という結論になった。玉砕阻止に最後まで全力を尽くすということでは一致したが方策は見つからない。最後に「我々は死ぬにしても、女子挺身隊や勤労学徒は玉砕に巻きこませずに親元へ送り返す」ことを確認して6時半に散会した。

 将校会議に参加した第三工場の竹村正大尉は帰り路が浜本大尉と一緒だった。浜本はメンデルスゾーンの「バイオリン協奏曲」を口ずさみ、「死ぬとするか」と寂しくつぶやいた。竹村は官舎に帰り、預かっている3人の挺身隊員に「私たち家族は今夜24時に国民学校で爆死する。貴女方は唐戸屯へ逃げなさい」と食糧を持たせて外へ出した。竹村夫人は別室に入って晴れ着に着替え薄化粧をした。

 唐戸屯の第二工場長加藤治久大尉は、集合場所の唐戸屯本部に12時40分に着いた。本部前の広場には既に吹野信平少佐以下数十人が集まっている。吹野少佐より「13時になったら先発隊の指揮を執って出発し、東京陵の部隊と合流せよ」と命じられた。
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爆風(12)

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載
http://blogs.yahoo.co.jp/shosuke765
労働運動は社会の米・野菜・肉だ。
2017年11月12日
爆風(12)

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

 工事部工手班の岡田栄吉工員長は、集合通知を受けて自転車で酒保前の広場に向かった。家族と別れて自宅を出る前に酒をコップで飲んだ。岡田は考えれば考えるほど今回の全員捕虜、シベリア行きは理不尽に思えた。《なんで一工員の俺まで引っ張られなければならないんだ》次第に怒りが込み上げてきた。

 岡田工員長は優秀なとび職で、工場建設にはなくてはならない存在だった。元は王子の造兵廠で工場設備の組み立て、重量物の運搬などに従事していた。関東軍火工廠を立ち上げるとき、最高責任者の植松達巳大佐が無理をいって王子からもらい受けて満州に連れてきたといわれる。とにかく仕事は素早やかった。工事現場では地下足袋ならぬ防寒靴(ドタ靴)で、わずか15センチの勾配のある棟木の上を猿のように歩き回る。また高さ10メートルの鉄骨の上を地上のように渡り歩くこともあった。

 広場の群衆の中で突然大声が響き、周りのガヤガヤが静まる。声の主は岡田栄吉工員長だった。「このザマは何だ。普段威張っていた将校は何をしているんだ。このままみんなをシベリアへ遣るつもりか。この混乱を放っておくのか。威張っていた将校は何もできないのか」。この怒声に触発されて「そうだ。残された家族を見殺しにするのか」「部隊長はソ連に掛け合うべきだ」などの声が広場を覆った。

 岡田工員長は将校非難の演説を終えると自転車を押して広場から姿を消した。自宅に戻ると家族は出かけて留守だ。彼は自宅に火を放ち玄関前の空き地で切腹した上、酒に混ぜた青酸カリを飲んで果てた。長年岡田と仕事をしていた技手の武井覚一は「翌朝彼の死を知らされて焼け跡に行ってみますと、遺骸がまだ片付けられないでそのままありました。惜しい人を亡くした思いで胸が一杯になりました。岡田君は混乱の犠牲、敗戦の犠牲になったのです」と後年述懐している。

 騒然とする群衆を壇上から見ていた林部隊長は、このまま全員を率いて遼陽へ向かうことは不可能だと悟った。《遼陽に駐在しているソ連軍司令官に直接会って、集結命令の留保を嘆願するしかない》。林部隊長は庶務科自動車班の鈴木太一を呼び、随行者数名と遼陽へ向けて出発した。

 遼陽に着き、ソ連軍司令部のある旧関東軍憲兵隊の建物に行ったが司令官は奉天に行っていて不在だった。じりじりしながら小一時間待ったが司令官は帰着せず面会は果たせなかった。何の成果もなく手ぶらで東京陵へ引き返すしかない。その時点でソ連軍指定時間の集結は不可能になった。
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2017年11月11日

しかとご覧あれ!希望の党の運命やいかに

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載
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労働運動は社会の米・野菜・肉だ。
2017年11月11日
しかとご覧あれ!希望の党の運命やいかに

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

 希望の党の共同代表選は、対立候補の大串博志氏を39対14で制した玉木雄一郎氏が当選した。「希望共同代表玉木氏」「分裂回避が課題に」(11日付『毎日』)。「憲法改正や野党連携を巡る玉木、大串両氏の隔たりは大きく、党内での路線対立は続きそうだ。分裂含みの党を玉木氏がまとめられるかが課題となる」。

 玉木共同代表は1969年生まれの48歳。09年に民主党から出て初当選、民進党幹事長代理などを務めた。その玉木氏、共同代表が有力視される中、11月10日付の『週刊金曜日』でインタビューに応じている。聞き手は『岳南朝日新聞』元争議団の片岡伸行さん。エッセンスのところを拾ってみる。

 片岡「希望の党は野党なのか自民・公明政権の補完勢力なのか」
 玉木「明確に野党です。われわれは安倍一強の自民・公明政権を倒すために合流しました」
 片岡「戦争法と9条改憲を容認するかどうかがポイントですね」
 玉木「一部メディアが(希望の党は)安保法制容認と言っていますが『安保法制については憲法にのっとり適切に運用する』ということです。小池代表も『9条への3項追加は容認しない』と言っています」

 片岡「希望が安倍改憲に協力するようなことになれば『排除』発言のときのように急速に国民の支持を失い、希望自体が空中分解する可能性もありますよ」
 玉木「安倍政権を利するようなことはしないということだけはお約束します。それでは野党が分裂した意味がない。(今回選挙の)得票率を見ても、すでに野党による政権交代の準備はできているのです」

 玉木氏の言う「野党による政権交代」の論拠はこうだ。まず議席は、立憲、希望、無所属で120超、これは郵政選挙時の民主党110より多い。比例区の得票率は自民の33%に対し、立憲(20%)と希望(17%)を合わせれば37%にる。――ま、計算はその通りだが単なる数合わせではねえ・・・。

 玉木氏は「安倍一強政治許すまじ」「われわれは安倍政権を補完する改憲勢力ではありません」と強調し、政策の柱を「現実的な外交・安保政策」「格差・貧困を是正し中間層を豊かにする経済政策」「情報公開を徹底し税金の無駄遣いをなくす」の3点におくという。この政策を見る限り「安倍一強政治」とどこが違うのか分からない。おれは片岡さんの言うように早晩化けの皮が剥がれて「空中分解」する運命にあると思うのだが。
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2017年11月08日

爆風(11)

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載
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労働運動は社会の米・野菜・肉だ。
2017年11月08日
爆風(11)

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

3、町ぐるみの玉砕
 8月25日朝、関東軍918部隊長林光道少将宛てにソ連軍から一通の命令書が届いた。開くと、@軍人、軍属の男子全員、A冬服着用、毛布1枚、10日分の食糧を携行して、B17時までに遼陽第二陸軍病院前に集結、C列車で海城へ行き他部隊と合流せよ、という内容。海城は遼陽から大連へ向かう途中の駅である。

 林部隊長は即座に将校会議を招集、東京陵と唐戸屯に分けて部隊を編成し、遼陽へ向かうよう指示した。東京陵組を本隊、唐戸屯組を支隊とし、本隊は林部隊長、支隊は吹野信平少佐が指揮を執る。出発時間は東京陵14時、唐戸屯13時とし、遼陽で落ち合った後集結地点の海城へ列車で移動する。

 庶務科の米田穣賢軍属は25日午前、「毛布2枚を持って午後2時までに広場に集合せよ」との伝達を受けた。米田は家族と食事をし水杯を交わすと妻に「お前も職業軍人の娘だ。分かっておろうが、もしソ連兵から辱めを受けるようなことがあったら3人の子どもとともに自決せよ。俺は多分シベリヤ行きだ」と言い渡した。妻は子どもたちに「お父さんの顔をよく見ておきなさい」と言い、広場まで見送った。

 工務科技手の武井覚一が受け取った命令は次のようなものだった。「男子17歳から55歳までの全員、14時までに火工廠酒保前のロータリーに集合せよ。携帯品は冬物衣類と食糧。行き先は不明」。武井は「いよいよ来るものがきた」との思いで、自宅に預かっていた女子挺身隊員2人を呼んだ。「私はこれから出かけるが、どこへ行くのか、どうなるか分からない。貴女たちにもどんな辛い苦しいことが待っているかも知れない。こんな思いをするくらいならいっそ配られた青酸カリを飲んでしまおうと思う時があるだろう。しかし決して飲んではいけない。とにかく生きて日本に帰ることだ」。

 妻には「お前もどんなことをしても日本へ帰れ。もし内地へ帰れたらどこに住むことになっても、本籍地の役場に行き先を知らせておきなさい。私は生きて必ず訪ねていくから」と言い、一同と水杯を交わした後、リュックサックを背負って集合場所へ向かった。

 空は快晴で広場はじりじり焼きつけるような日差しが照りつけていた。午後1時を過ぎる頃から荷物を担いだ男たちが続々と集まりだした。中には酒気を帯びた者もいる。群衆が100人を超えるころから広場に異様な空気が渦巻きはじめた。「戦争は終わったんだ」「戦闘要員でない軍属まで捕虜にするのか」「無防備て残された家族はどうなるのか」「部隊長は何している」「ソ連のいいなりなのか」など日頃考えられない部隊への不満が噴出し、不穏な形勢になってきた。
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憲法学者による共産党の評価

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載
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2017年11月07日
憲法学者による共産党の評価

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

 『週刊金曜日』11月3日号で中野晃一と植野妙実子が対談している。丸々4ページで読みでがある。植野妙実子さんは最近結成した「憲法学者と市民のネットワーク(憲法ネット103)」の呼びかけ人。今回の総選挙で共産党が果たした役割についての2人の指摘が鋭い。長い引用だがご勘弁を。

 中野「(前略)共産党や社民党との選挙協力が見込めたからこそ、立憲民主党は結党できたのです。実際、立憲民主党から前職の候補者が立った選挙区では、共産党が候補者を下ろしてくれました。それがなかったら、もうどうにもならなかったはずですよ。バラバラのままで」

 植野「確かに、議席は減らしてしまいましたが、共産党の協力は今回の選挙で、とても大きな役割を果たしたのは間違いありません。小選挙区制度での、一つの闘い方を示したのではないでしょうか。私の周囲では今回、『今まで共産党に投票したことはなかったけれど、立憲民主党の候補者がいなかったので初めて共産党に入れた』という話も聞いています。こうしたことから、共産党に対する一種のアレルギーみたいなものもかなり減ってくると思われます(後略)」

 中野「市民が政治に参加するようになって、共産党も変わってきましたね。それに今回、共産党は21議席から12議席になりましたが、見方を変えれば、立憲民主党のためにあんなに候補者を下ろしたのにこの議席を取れたのは、初めて投票した人も相当獲得したのだろうと思います」

 「市民が政治に参加するようになって共産党が変わった」という中野さんの指摘には賛成だが、おれは、市民が政治に参加するよう働きかけたのは共産党だと思っている。反原発、秘密法、戦争法、共謀罪と市民運動は予想以上に広がり結束が強まった。そして今度は市民運動の高まりの中で共産党が変わった。これは日本の社会変革の運動にとって歴史的な出来事なのではないだろうか。

 選挙後の国会での首班指名で共産党と立憲民主党が同じ名前を書けなかったとか。枝野代表が共産党の連合政府構想を拒否したとか、なかなか道はデコボコしていて先が見通せない。そりゃそうだ生まれも育ちも違う政党がそんなに急に歩調を合わせられるわけがない。逆に急にべったりされたら気持ち悪い。
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爆風(10)

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載
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労働運動は社会の米・野菜・肉だ。
2017年11月05日
爆風(10)

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

 唐戸屯に着くと事務所には煌々と電灯が点いていて男の人たちが物も言わずに書類を作成していた。すぐさま会計庶務科の千葉敏雄係員の指示で、ソ連に引き渡す物資の一覧表など関係書類をタイプする。仕事が一段落したのは午前8時を回っていた。川口雪乃は身も心もくたくただった。

 8月21日、ソ連軍本隊の進駐に先行してクリロフ中尉一行24人が車で乗り付けた。事前の指示で機関銃、小銃などの武器は唐戸屯工場の会議室に集められてあったが、一行はその前を素通りして食糧倉庫へ直行。彼らが真っ先に接収したのは乾パンの袋で、次は酒保に備蓄してあった食料品だった。

 敗戦の翌日16日午前、918部隊本部で将校会議が持たれた。席上林光道部隊長は「ソ連軍の進駐に際し、暴行等の危害から身を守るため婦女子をはじめ全家庭に青酸カリを配布したい」と提案。これに対して川原鳳策中尉が「青酸カリ配布は安易に死を選ぶことに通じる恐れがあるのでは」と意見を具申したが受け入れられなかった。火工廠技術研究所には約3キロの青酸カリが保管されてあった。

 火工廠事務員の佐竹数枝、森昌子は17日の出勤早々、バスで東京陵病院へ行くよう上司から指示された。病院に着くと一室に数十人の女子事務員が集められ、そこへ1匹の図体のでかい黒犬が引き出された。研究所の係員が犬に白い粉を舐めさせると、口から泡を吹きもがき苦しんで息絶えた。

 「これが青酸カリだ。今からこれをカプセルに詰める作業を行う。時間が限られているので終わるまで病院から出られない」と係員から告げられた。佐竹数枝ら女子事務員は無言のまま作業を始めた。直径5ミリ、長さ5センチのガラス管に0.5グラムの青酸カリを詰めて、アルコールランプの熱で口を閉ざす。ガラス管の真ん中にヤスリで切れ目を入れる。根気と注意力が要る危険な仕事だった。手が粉に触れると慌てて消毒薬で手洗いした。

 その夜は徹夜し、2時間の睡眠をとって翌日も作業は続いた。こうして子ども用も含めて1万本のカプセルが製造され、22日までに隣組を通じて全家庭に配られた。結果は川原中尉が指摘したように、死が人々の身近に存在することになり、多くの悲劇を生むことになった。
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