2017年04月26日

海外旅行・第3回パリわくわく旅行(2010年)A

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載
http://blogs.yahoo.co.jp/shosuke765
労働運動は社会の米・野菜・肉だ。
2017年04月24日
海外旅行・第3回パリわくわく旅行(2010年)A

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)


 バリ5日目の25日、元気のいい約半数のメンバーは川下り。これは結構高くて1人60ドルもする。おれたち弱体組は王宮周辺の散策とスーパーでの買い物。そしてベランダで昼寝。田んぼから引き上がってくる風に頬を撫でられながらビンタンビールを飲む。至福のひと時。小鳥の囀りが眠気を誘う。

 夜はお待ちかねの「日パリ交流パーティ」。全員ゆかたを着て午後7時の開会を待つ。光森さんの合図で中庭のパーティ会場へ。スタッフの1人、スゥエッチさがん率いる地元の楽団がガムラン演奏で歓迎。しばらく音楽と踊りを楽しんだ後、食事が始まる。主役はみんなの輪の真ん中にデンと置かれた子豚の丸焼き。誕生月の狩野さんが包丁を入れる。ただし子豚の皮は硬いばかりであまりおいしいものではない。

 食事が一渡り済むと子どもたちや楽団員も加わって車座の交流会。日本とパリの歌が交互に披露されるのだが、パリの方が断然元気いい。その頃になると地元の焼酎アラックのカクテルが効いてきて、もうわけの分からぬ騒ぎになる。地元の人たちが引き上げた後は、ジャパンだけで例の反省会が際限なく続く。

 26日はパリとおさらばの日。昨夜のドンチャン騒ぎの後遺症で頭が重い。午前中ゆっくり帰り仕度をして、ビンタンカフェで昼飯。天ぷらざるそばでビールを飲んだら元気が出てきた。午後2時、ビラビンタンをチェックオフして南へ向かう。日本軍残留兵士の記念像へ。物凄い悪路だ。気分悪くなった。

 残留兵士の像に敬意を表した後は一路デンパサールへ。前回も来たパリの父・三浦襄翁のお墓参り。パリの人々に誠実に接し、独立の約束を果たせなかった責任をとって自殺した日本人がいたということに頭が下がる。夕方はジンバラン海岸で魚料理の夕食。ここの魚料理は、こちらが選んだ鯛や海老を豪快に焼いてくれるのだが、味付けが薄くてあまりおいしくない。その代り沈む夕日が素晴らしかった。

 バリわくわく旅行は、帰ってから必ず「日本における反省会」をやってきた。会場は河合さんの紹介で飯田橋のレストラン「トリノ」だったが、今回は新京成線五香駅前やきとり「栄」にした。旅行費用として徴収した金が余ったので会費はゼロ。5月15日午後2時、皆さん遠方の人が多いのにほぼ全員揃って矢板さんが腕を振るう料理に舌ずつみ。栄の開店前の3時間、たっぷり「反省」したのでした。
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韓国訪問レポートD 改めて考えたい問題の根源

水久保文明さんのブログ「ヘボやんの独り言」より転載
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17年04月24日
11530 韓国訪問レポートD 改めて考えたい問題の根源

■水久保文明(JCJ会員 千代田区労協事務局長 元毎日新聞労組書記)

 平和の碑のすぐうしろに、韓国最大の通信社・聯合通信社がある。その入り口に面白いものがあった。新聞記者を模した大きな人形が、カメラとパソコンを持って歩いている姿だ。ひと昔前はペンだったが、それがパソコンに代わっているところが面白い。

【聯合通信社前】
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聯合通信社

 日本大使館前から東門市場へ移動。前日は明洞(ミョンドン)の繁華街で夕食となったが、今度は市場の屋台に行くことに。もちろん、植村さんの案内だ。市場の通路には屋台がずらりと並んでいる。韓国にも「ハナ金」があるのか、人通りも多く賑やかだ。

 目的地に着いて、まずはビールで乾杯。屋台のおばさんは、日本語もできる。ギョウザが美味しかった。むこうのそれは、日本でいえば「水餃子」だ。韓国の家庭の味を頂いた。この日一緒に歩いてくれた姜さんとの会話になった。上智大を卒業した彼は、今度は早稲田大学の大学院のテストを受けたという。発表は4月下旬だという。彼の来日が待ち遠しい。

【屋台のおばさんと】
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市場の屋台

 3日目、帰国の日だ。植村さんとは前日にお別れをしておいた。あとはお土産を買うことにして、とりあえずホテルに荷物を預けて南門市場へ。朝から人通りも多い。立派な崇礼門を見て、同行の皆さんが必ず立ち寄るという店へ。そこの主人は日本語が達者で、おいしいお茶をごちそうになった。

【南大門市場を歩く】
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南大門市場を歩く

 日本からの独立運動のレリーフが設置してある公園などを案内してもらいながら、ソウル市内を散歩。明洞の食堂で昼食を済ませて、荷物をホテルから引き上げタクシーで金浦空港に向かった。
                              ◇
 3日の旅だったが、考えさせられることは少なくなかった。従軍慰安婦問題を考えるとき、日本が朝鮮半島におこなった「併合」と言う名の植民地化を忘れてはならない。1910年(明治43年)8月29日から1945年(昭和20年)9月9日まで、35年間にわたって朝鮮半島は日本によって占領・統治されていた。その間、韓国人に主権はなかった。

 その苦しみは推して余りある。主権が奪われた中で、女性たちへの従軍慰安婦としての強制連行が進められたのである。それを「性奴隷」と言わずして何と言おう。女性を「性のはけ口」としてしか考えず、有無を言わせず服従させる。人間の尊厳を根底から奪ったのである。

 この問題を「戦争だったから」と済ませることは許されない。その戦争を許したのはほかでもない、日本国民だったからだ。戦争が根底にあったとすれば、その根底をつくったものの責任は免れないと思う。

 初めての韓国訪問は、慰安婦問題だけでなく、韓国と日本の歴史を考えさせられ、一番近い隣国とどうつきあうべきか。人間の尊厳とは何か。戦争の持つ悲惨さ――など新たな課題を突き付けられるような思いだった。が、何よりも大事なことは「記憶されない歴史は繰り返される」という教訓をしっかり学ぶことであろう。


(次回につづく)


★脈絡のないきょうの一行
海水温上昇で日本国内のサンゴが2070年代に消滅の危機(読売新聞ウェブ)。そのまま進めば、人類も危ないのでは?
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米のアジア経済支配に手を貸す日本

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載
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労働運動は社会の米・野菜・肉だ。
2017年04月22日
米のアジア経済支配に手を貸す日本

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)


 トランプ米大統領の出現でとん挫したTPPの代わりを何にするか。アメリカは日本との2国間貿易協定を目指しているが、日本政府は「米抜きTPP」を考えていると言われている。「『米抜きTPP』へ転換」「日本 来月11カ国協議」(21日付『毎日』)。「米抜き」なんてほんとにあるのだろうか。

 この『毎日』記事を読んだ後で、『赤旗』日曜版(23日付)を開いたら「経済これは何?」という解説記事が目に入った。「RSEPの貿易交渉」「日本主導の過度な自由化に批判」の見出し。えっなんだこれは?おれは恥ずかしながらRSEP(アールセップ)なるものの存在を知らなかった。早速ネットで調べてみた。

 RSEP(東アジア地域包括的経済連携)の参加国はASEAN(東南アジア諸国連合)10カ国とインド、中国、韓国、日本、オーストラリア、ニュージーランドの16カ国。域内人口は34億人で世界人口の半数を占める。2012年に第1回会合が持たれ、今年5月2日からの会合は18回目となる。

 RSEPとTPPを比べると@アメリカが入っていない、A中国、韓国が入っている、BASEAN加盟のアジアの小規模国も含まれる、などの違いがある。おれに言わせてもらえば「アメリカ抜きで中国が入っているんならTPPよりこっちの方がよほどいい」となるんだがそれほど単純ではない。

 『赤旗』の解説によると、RSEPも自由貿易協定の一種だから「多国籍企業の活動をしやすくするため」の側面が強い。そこへもってきて最近さらに問題が生じた。TPP参加の日本、オーストラリア、ニュージランド、アメリカとFTAを結んでいる韓国が「TPPの中でも最悪の内容を持ちこんできた」というのだ。

 例えば種子の知的財産権を強化して途上国の農業に打撃を与えるとか、医薬品の特許権を強めてジュネリック医療品を入手困難にさせるとかの提案である。国境なき医師団は「世界中で何百万もの命が脅かされる」と警告する。あちらがダメならこちらでという多国籍企業の魂胆が見え見えだ。

 多国籍企業に自由な商売を保障するというのがTPP交渉におけるアメリカの狙いだった。トランプがTPPをふっ壊したのはその狙いを諦めたからでなく、物足りなかっただけだ。日本やオーストラリアを使ってRSET乗っ取りを謀っている感じがしてならない。日本の外交に「米抜き」は考えられないからだ。
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韓国訪問レポートC 人権博物館と平和の碑(少女像)

水久保文明さんのブログ「ヘボやんの独り言」より転載
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17年04月20日
11529 韓国訪問レポートC 人権博物館と平和の碑(少女像)

■水久保文明(JCJ会員 千代田区労協事務局長 元毎日新聞労組書記)


 ナヌムの家の正面にハルモニたちの胸像が建っている。そこには「歴史を消させない」という思いと怒りがあふれている。ナヌムの家は、ハルモニたちの暮らしの場であるとともに、旧日本軍への怒りの結晶の場でもある。そして、戦争の悲惨さを教えてくれる生きた教科書≠サのものである。そのことを肝に銘じたい。

【胸像。向こう側がナヌムの家】
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ナヌムたちの像

 ナヌムの家に別れを告げ、駅近くの食堂で昼食をすませて「戦争と女性の人権博物館」を訪ねた。ここは、韓国挺身隊問題対策協議会(挺隊協)が運営している。そのパンフには「日本軍『慰安婦』問題解決を通じて被害者の名誉と人権を回復し、戦時下での女性への暴力を防止し、正しい歴史の確立と平和の実現に寄与しようと、1990年11月16日に第一歩を踏み出しました」と記している。

 人権博物館は、女性への性暴力の実態をあますところなく伝えている。日本軍の慰安所に関する資料、被害に遭った女性と遺品、現在の世界の戦時下における性暴力の実態など、ありのままの姿は、改めて怒りがわいてくる。

 この博物館のシンボルは、「水曜デモ」の写真にも出てくるが、黄色のチョウチョだ。それを模した紙に、来訪者が思い思いの感想を書いて、博物館外の金網に貼ってある。私たちが行ったとき、高校生らしき若者が出てきたところで、それを貼っていた。さしずめ幸せの黄色いチョウチョ≠ニいうことになろうか。

【チョウチョに託された平和の思い。日本語もあった】
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人権博物館のカベ

 次に日本大使館に向かった。途中、大統領弾劾を求めて100万人が集まった場所に立ち寄ってもらった。広い通りが交差しているあたりがメーンになったという。「ここだったら100万人は入るかもね」という会話になっていた。遠くに大統領の公邸である「青瓦台」が見える。確かに建物の屋根の瓦(カワラ)は青かった。

 ソウルでは1992年1月8日以来、毎週水曜日に日本大使館の前で「水曜デモ」が行われている。この行動を呼びかけたのが市民団体としての挺隊協である。デモは日本政府に対して@戦争犯罪認定A真相究明B公式謝罪C法的措置D責任者の処罰E歴史教科書への記録F追悼碑と史料館の建設――を求めている。

 日本大使館は改築中で、工事のトラックが出入りしていた。その正面に少女の像が座っている。目線の先に日本大使館がある。この像を韓国の人たちは「平和の碑」と呼んでいる。日本のメディアは「少女像」と報道しているが、韓国では違う。呼称は、韓国に倣って「平和の碑」とすべきではないのか、そんなことを考えていた。

【日本大使館前の平和の碑】
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平和の碑

(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
政府、北朝鮮に「武力攻撃切迫事態」に認定する方向で検討(読売新聞ウェブ)。これは武力衝突前段の準備で、明らかな挑発だ。
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天皇「退位」問題の本質は何か

2017年4月19日
沖縄知事選から何を学ぶか

梅田 正己(編集者)


 天皇「退位」の問題が、与野党間で政治問題化している。
 昨年8月のテレビ放送による「天皇メッセージ」は国民の多くの共感を呼んだ。翌9月の朝日新聞の世論調査では、退位の「恒久制度化」を求める声が76%に上り、「今の天皇に限り」というのは17%しかなかった。
 この国民世論に従えば、皇室典範の一部を改正するだけでさしたる問題もなかったはずである。
 しかし政府はそうしなかった。有識者会議なるものを設け、専門家からのヒアリングを重ね、なんとか理屈をつけて退位の「恒久制度化」を阻止しようとしてきた。
なんで、だろうか。
 根底にあるのは「一世一元」制の問題である。一人の天皇には一つの元号、譲位は死去によってしか行われず、したがって元号もその際にしか改元しないという、この「一世一元」制が、生前譲位を認めれば崩れてしまうということから、政府は手段を尽くしてその実現を阻もうとしているのである。
        
 しかしこの「一世一元」制にはまだ150年の歴史しかない。それ以前の千数百年に及ぶ天皇家の歴史においては「生前譲位」がむしろ常態だった。そのため天皇と共にその父の太上天皇(だいじょうてんのう、略して上皇または院)が存在するのが普通であり、平安時代の末期にはその上皇による「院政」が百年も続いた。
 また元号も、一代の天皇の間にも吉兆や凶兆に応じて改元された。明治天皇の父の孝明天皇の場合は在位21年の間に嘉永、安政、万延、文久、元治、慶応と6回も改元されている。
 それを、慶応4年から明治元年へと切り替えた1868年9月、維新の新政権は「一世一元」制へと根底から転換したのである。
 なぜか。新たに創ってゆく中央集権国家の政治的・理念的支柱として、神の権威・権力をそなえた絶対的な「神権天皇」が必要だったからである。
 もともと元号というのは、君主が土地、人民とともに時間をも支配するという観念からつくられた。その原理どおり、天皇は即位から死去するまでその生涯をつうじて在位し、元号も一つで通すことにしたのである。
 こうして、明治天皇の在位期間がそのまま「明治時代」として国民に意識されることになった。徳富蘆花は日誌風の随想集「みゝずのたはごと」に、明治天皇逝去の翌日、大正元年7月31日の日付でこう書いている。
 「陛下の崩御は明治史の巻を閉じた。明治が大正となって、余は吾生涯の中断されたかの様に感じた。明治天皇が余の半生を持って往っておしまひになったかの様に感じた」
 明治天皇の死が、「明治」という一つの時代の終焉を痛切に蘆花に伝えたのである。
       
 この「一世一元」制は昭和20年まで続いたが、アジア太平洋戦争での敗戦により大日本帝国が崩壊し、「神権天皇制」が「象徴天皇制」へと転換するとともに連合国の民主化政策によって皇室典範から除かれた。
 しかしやがてその復活の動きが始まる。1966年、建国記念の日(旧紀元節)の制定が実現すると、のちに今日の日本会議へと発展する政治勢力の運動によって一九七九年、「元号法制化」が実現する。これにより実質的に「一世一元」制もよみがえった。
 その「一世一元」制が、敗戦時はまだ11歳、その後は「平民」出身の皇后とともに戦後民主主義の時代を生き、一九八九年に「即位以来…日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごしてきた」(放送メッセージ)天皇によって修正されようとしているのである。
 安倍政権が「生前譲位」を食い止めようと躍起になっている背後にはこういう‶歴史≠ェある。現在公表されている自民党の改憲草案では、天皇は国家の「元首」と位置づけられている。
posted by マスコミ9条の会 at 16:12| Comment(0) | 梅田 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月20日

韓国訪問レポートB アベさんを辞めさせてほしい

水久保文明さんのブログ「ヘボやんの独り言」より転載
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17年04月19日
11528 韓国訪問レポートB アベさんを辞めさせてほしい

■水久保文明(JCJ会員 千代田区労協事務局長 元毎日新聞労組書記)

 ナヌムの家には「歴史館」が併設されている。入館料・5000ウォンが必要だが、日本人が来た場合、韓国人と結婚し慰安婦問題を後世に残すべきだとがんばっている山形出身の女性が案内してくれた。植村さんとは旧知の仲のようだ。この日は日本の高校の生徒たちがやって来て、一緒に案内してもらった。若者たちにそっとパワーをもらった。

 館内に入ったとたん、大きな絵が目についた。韓国の若い女性が日本兵に連行される様子を描いたものだ。実にリアルである。証言をもとに描かれたものだろう。こういうことが各地で行われていたことを思うと、改めて怒りが起きてくる。

【連行状態が描かれた絵画】
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強制連行の図

 慰安所は大陸だけでなく、太平洋にまで広く設置されていた。慰安婦は、各地に送られていたのである。戦後、祖国の土を踏むこともなく、そのまま亡くなった人もいることだろう。戦争の悲惨さと日本がおこなった人権無視の蛮行は度し難く、許されるものではない。

 博物館のなかを案内してもらっている最中、各国から贈られた千羽鶴が目についた。その中の一つをよく見てみると、日本からのもので「新日本婦人の会千代田支部」と書かれている。偶然とは面白いものだ。いつも千代田で一緒に活動している仲間たちがここにやって来た痕跡に、親しみを感じた。

【新婦人千代田支部から贈られた千羽鶴】
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新婦人千代田支部

 歴史館を一通り見て、植村さんの案内でナヌムの家の中に入った。リビングだろうか、そこには二人のハルモニがいた。顔見知りの植村さんは、親しげに声を交わし激励していた。写真は、李玉善(イ・オクソン)さんだ。イさんに、何のてらいもなく「日本人にしてほしいことがありますか」と聞いた。実に驚くべき返事が返ってきた。

 「アベさんを辞めさせてほしい」だったのだ。ハルモニたちは、従軍慰安婦問題で安倍首相がかつて何をしたか知っているのだ。昨年12月の「日韓合意」も彼女たちは認めていない。「安倍首相がここまで来て、謝罪したら(合意について)考える」という。

 その怒りは、計り知れない。この思いを真正面から私たちは受け止める必要があるのではなかろうか。後述するが日本は戦前、朝鮮半島を35年間にわたって植民地として扱ってきた。その辛酸を、従軍慰安婦問題を含めて韓国国民は忘れていないのだ。イ・オクソンさんの一言は、日本国民全体が考えるべきことなのかもしれない。心が痛かった。

【植村さんとイ・オクソンさん】
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ハルモニと植村さん

【ハルモニたちと記念撮影】
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頑張れハルモニ
(次回につづく)


★脈絡のないきょうの一行
中央防災会議の専門調査会がまとめた関東大震災時の「朝鮮人虐殺」報告書の一部を、内閣府がホームページから削除(朝日新聞ウェブ)。またしても記憶を消そうというのか。
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『赤旗』日付欄の元号併記に思う

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載
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労働運動は社会の米・野菜・肉だ。
2017年04月19日
『赤旗』日付欄の元号併記に思う

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)


『赤旗』が4月1日から題字横の日付欄に元号を併記するようになった。何故そのようになったのか。日本共産党のホームページ(4月5日付)に理由が載っている。「今回の措置は、『西暦だけでは不便。平成に換算するのが煩わしい』『元号も入れてほしい』など読者のみなさんの要望を受けた措置です」。

 「読者の要望を受けた措置」というが、元号=天皇制=教育勅語=侵略戦争と連想ゲームのように言葉が浮かぶおれたち年代にとってはそれほど単純な話ではない。共産党ホームページも言っているように、1979年の元号法制定の時、共産党は「天皇の代替わりごとに改元する『一世一元』は、主権在民の憲法下ふさわしくない」として反対しているのだ。その時点から見て元号の本質が変わったとは思えない。

 元号法とは「第1項 元号は政令で定める。第2項 元号は、皇位の継承があった場合に限り改める」というだけの日本で一番短い条文だ。明治憲法下の皇室典範には元号の規定があったが、新憲法や戦後につくられた皇室典範には元号に関しては何もなかった。昭和天皇が高齢になってきて、このままでは彼が死んだ後新たな元号を制定する法的根拠がなくなる。それで大急ぎでつくった法律なのだ。

 確かに元号は、国民の間で慣れ親しまれているとは言える。いま、公文書で西暦だけしか使わないのはパスポートくらいのものだ。役所への諸届けやビジネス文書、学校関係、病院の受診受付などすべて元号で表記する。しかしそれは元号表記が便利で合理的だからではなく、記入用紙が元号で書くようになっているからだ。法律は元号を強制しないとなっているが、実際は強制されているのである。

 おれは今年80歳になるが、2017から1937を引くとすぐ計算できる。元号ではそうはいかない。こんな例は無数にあると思う。元号使用が国民の便利のためとは到底思えない。結局天皇制と結びついた国家権力の国民支配システムの一環なのだと思う。いま、インターネットやスマホ時代の若者の元号離れが進んでいるという。おれはこれから西暦一本化が進むと思うし進ませなければならないと考える。

 なお『赤旗』が元号を併記するのは日付欄だけで、本文は今まで通り西暦のみだという。そうなると読者の「要望」だという「平成に換算するのが煩わしい」「元号も入れてほしい」などの声に応えるためには本文も元号併記しなければならなくなる。それでは歴史を逆戻りさせることにならないか、心配である。
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2017年04月18日

韓国訪問レポートA 記憶されない歴史は繰り返される

水久保文明さんのブログ「ヘボやんの独り言」より転載
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17年04月18日
11527 韓国訪問レポートA 記憶されない歴史は繰り返される

■水久保文明(JCJ会員 千代田区労協事務局長 元毎日新聞労組書記)


 小高い丘にソウルタワーが見える。その麓あたりに、いくつかの碑が建っていた。まだ工事をしていたが、従軍慰安婦問題や国民への圧政を忘れないために、こういうスペースをつくることになったという。慰安婦として強制連行された人たちの名前が碑に刻まれている。かなりの数だ。それでも分かっているだけだというから、推して知るべし、である。

 一角に「ヘソ」と呼ばれる楕円形の碑が横たわっていた。その石には、韓国語、英語、日本語、中国語で「記憶されない歴史は繰り返される」と書いてあった。私は一瞬、旧西ドイツの故・バイツゼッカー大統領の言葉とオーバーラップした。「過去に目を閉ざす者は未来に盲目となる」――。

 まさにその通りである。歴史修正主義を唱える人たちは、従軍慰安婦や南京大虐殺、沖縄戦における集団自決など、なかったことにしようと腐心している。記憶から消し去ろうとしているのだ。それは言い換えると、「歴史を繰り返そうとしている」ということになりはしないか。戦争法の強行採決も、審議が始まった共謀罪もそのための準備ではないのか。

 夕暮れ時になり、「ハラ減ったー」の声に促され明洞の繁華街にもどり、本場の焼肉に舌鼓を打った。韓国のお金の単位は「ウォン」だが、日本円のほぼ10分の1。計算はしやすいが1000円のものが、1万ウォンだからややギョッとする。

【「記憶されない歴史は繰り返される」と書いた碑の前で】
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記憶されない歴史は繰り返される

【明洞の夜の賑わい】
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明洞夜の賑わい

 2日目。ホテルの前に集合。前日、「通訳をしてくれる人がいる」と言われていたが、その人を見てびっくり。昨年秋に千代田区労協が主催して植村さんの話しを聞く集会を開いたときに、上智大学の学生だと紹介された姜さんだったからだ。彼も私のことを覚えていてくれた。

流ちょうな日本語で「久しぶりです」と言われたときは嬉しかった。そしてもう一人若者がいた。植村さんの息子さんで今年から医者として働くことになっているという。最後の春休みを利用してソウルに来たという。精悍な青年である。活躍を期待したい。

 最初に案内されたのは、ナヌムの家。電車を3回ほど乗り継いで、最後の駅からはタクシーでそこへ。ナヌムというのは「分かち合い」という意味だという。事前に植村さんから連絡が行っていた。事務所に案内され、ナヌムの家の所長と懇談した。

 ハルモニ(おばあちゃん)と呼ばれる元従軍慰安婦のみなさんは高齢化し、認知症や寝たきり状態の人が増えたという。昨年12月の慰安婦問題の「日韓合意」について、誰一人として納得していない。政府の役人が来て「もう終わった。心配しないでいい。補償金を出したいから銀行の通帳番号を教えてくれ」と言われても、だれも教えなかった。あの合意にみんな怒っている――。

 朴政権の国民不在の政治が、ここにも表れていたのだ。弾劾が決まったことが頷けた。
(次回につづく)

【ナヌムの家の安所長を囲んで・左側中央】
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ナヌムの家所長を囲んで

★脈絡のないきょうの一行
政府、北朝鮮に「武力攻撃切迫事態」に認定する方向で検討(読売新聞ウェブ)。これは武力衝突前段の準備で、明らかな挑発だ。
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韓国訪問レポート@ 最高の案内人・植村隆さん

水久保文明さんのブログ「ヘボやんの独り言」より転載
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17年04月17日
11526 韓国訪問レポート@ 最高の案内人・植村隆さん

■水久保文明(JCJ会員 千代田区労協事務局長 元毎日新聞労組書記)


 3月23日から25日まで、韓国・ソウルを訪ねた。外国に足を運ぶのは30数年ぶりだ。弁護士の友人に誘われ、慰安婦問題に関心を持っていたこともあって、二つ返事でOKを出した。以下、3日間の行動を報告したい。

 羽田空港を後にして、ソウル・金浦空港に着いたのは午後3時過ぎ。入国までかなり時間がかかる。パスポートの顔写真を確認され、両人差し指の指紋を取られたらやっと自由空間≠ノ入る。同行は弁護士2人、日朝協会の事務局長と私の4人。小回りがきくし、他の3人は何回か韓国には来ており安心。

 預けた荷物が回って来るのを待って、構内から外へ。そこには案内の紙を持った出迎えの人がずらり。我々を待っていてくれた人はすぐに分かった。元朝日新聞記者の植村隆さんだ。植村さんは、週刊文春などによって「捏造記者」のレッテルを貼られ、ネトウヨらの執拗な嫌がらせを受けて、家族も含めて被害に遭った。ご本人自身は予定していた神戸の女子大学で教壇に立つことが出来なくなった。

 植村さんは捏造記者だと報道した週刊誌こそ捏造である、として捏造ではなかったという名誉回復と、被った被害の損害賠償の訴訟を起こして東京地裁と札幌地裁でたたかっている。裁判を起こしたあと、韓国カトリック大学から客員教授として招聘され、裁判をたたかいながら現在は同大学で教鞭を執っている。

 私は植村さんには、宮澤・レーン事件の真相を広める会の取材を受けたときに初めて会った。新聞記者らしく、一つ一つきちんと確認しながら取材するその姿に共感を覚えた。そのときは確か、函館支局長だったはずだ。

 まず金浦空港から、地下鉄で宿泊先の明洞(ミョンドン)のホテルへ直行。案内されたのは明洞聖堂。韓国カソリックの本山である。植村さんのカソリック大学は、ここがバックになっているという。立派な建物である。中に入ってみると、ちょうどミサの時間だったらしく、きれいな歌声が響いていた。さりげなく写真を1枚撮らせてもらった。

 次に「最近できた施設に行きましょう」と明洞の繁華街を歩いてそちらに向かった。途中、広い通りに面したところで座り込んでいる人たちがいた。聞いてみると、ホテルを解雇され抗議中だという。植村さんに通訳をしてもらい、激励してその場を後にした。(次回につづく)

【明洞聖堂】
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【社前に抗議文をかかげて闘うホテル労働者】
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★脈絡のないきょうの一行
共謀罪法案が審議入り。「キノコ違法採取」も共謀罪だそうだ。笑えるけど、怒りたくなる。
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古くから稀なるもの

水久保文明さんのブログ「ヘボやんの独り言」より転載
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17年04月16日
11525 古くから稀なるもの

■水久保文明(JCJ会員 千代田区労協事務局長 元毎日新聞労組書記)


 きょうは私の誕生日。70歳・古希である。馬齢を重ねている訳だが、私は自分の「年齢の節目」を考えてきた。

 最初に年齢のことを思い立ったのは、息子が生まれたときだ。私はちょうど30歳だった。この子が自分の年齢に達したとき世の中はどうなっているだろうかと考えた。息子が30のとき私は60歳・還暦になっているはずだ。これは、楽にクリアした。

 次の目標は67歳にした。オヤジが鬼籍に入った年齢だ。とりあえず父親の年齢を超えようと考えた。今だから言えるが、実は少し緊張した。大丈夫だろうか≠ニいう得も知れぬ不安感と、期待感が入り混じった。誕生日を迎えたとき、なぜかほっとした。

 その次は古希である。昔は古稀と書いたそうだが「稀」という字は常用漢字にないことから、「希」を使うようになったという。由来は「唐の詩人杜甫の詩・曲江(きょっこう)『酒債は尋常行く処に有り 人生七十古来稀なり』(酒代のつけは私が普通行く所には、どこにでもある。(しかし)七十年生きる人は古くから稀である)」(Wikipedia)だという。飲み屋のツケと年齢を重ねたところが実におもしろい。

 何か古希の記念になるものはないかと考えた。あった。山に登ることだ。思い立ったら吉日だ。きのう、誕生日には1日早かったが奥多摩三山(大岳山、御前山、三頭山)の一つ、御前山(ごぜんやま 1,405M)にチャレンジした。この山はカタクリの花が群生することで有名だ。5月中旬過ぎにはハイカーが列を作る。

 山頂で記念写真を撮った。仕上がりを見てみるとおもしろい写真になっていた。黄色だけがカラーで、あとはモノクロなのだ(写真)。どうも、自動シャッターを操作するとき、ほかのどこかを触ったらしい。紹介したい。

【御前山山頂にて】
20170416.jpg

 古希の次の目標は76歳だ。理由がある。私が賭けた更生年金の積立額(本人、使用者、国の総額)は76歳までいけば、全額回収することができるからだ。76でチャラ。ここまでは意地でも生きたいものだと考えている。

 欲張りだと言われそうだが、その次は89歳である。母が逝った年齢だ。これは遠い。一歩一歩、一日一日がそこに近づく道だ。気楽にいきたい。

★脈絡のないきょうの一行
アメリカによる北朝鮮への一撃≠ヘ杞憂ではない。武力攻撃だけは何としても止めなければ。
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海外旅行・韓国(2009年)

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載
http://blogs.yahoo.co.jp/shosuke765
労働運動は社会の米・野菜・肉だ。
2017年04月15日
海外旅行・韓国(2009年)

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)


 新聞OB九条の会の年間特別企画。タイトルは「日本植民地時代のたたかいに学ぶ」。参加者は藤木(朝日)、清水、斉藤康、榎本(以上読売)、戸塚、岩田(以上毎日)、石坂、斉藤哲、川合(以上日経)、山川(道新)の男ばかり10人。旅行手配はたびせん・つなぐで、添乗員は荒井江梨香さん。

 10月6日朝8時20分に羽田を発って、10時35分にソウル・金浦空港着。空港を出るとその足で西大門刑務所博物館へ向かう。おれは2度目だが他メンバーは初めて。日本植民地時代、独立運動に立ちあがった義士たちが、監禁、拷問、処刑された。展示室には、その模様がリアルに再現されている。

 西大門刑務所を出たメンバーの顔は重くて暗い。2日目はその思いをさらに増幅させられた。午前はバスで1時間半揺られて独立記念館。広い敷地に展示館が点在している。「同胞の試練」館では、1894年の農民蜂起の平定に便乗して日本軍が朝鮮に出兵、王妃閔妃を殺害する情景が趣向を凝らして再現されている。「3・1運動」でバンザイする白い衣服の集団像は凄い迫力。メンバーは言葉もない。

 午後はまた1時間バスに乗ってソウル郊外の「ナヌムの家」を訪問。安信権所長の案内で展示室など所内を歩く。元慰安婦6人が談笑する居間は日当たりのいい明るい部屋。そこで元慰安婦・ハルモ二たちと会見したが、赤や青の原色のブラウスを着た彼女たちはニコニコしていて明るい。一緒に記念写真を撮らせてくれたが、おれたちの方が日本の歴史的犯罪に思いを馳せ、複雑な表情だ。小額だがカンパを置いて施設を後にした。

 滞在3日目の8日は、前2日とはうって変わった楽しい1日。お昼を挟んで午後までテーマパーク「民俗村」。野外のテーブルで、マッコリの上澄みだというどんどん酒をどんどん飲む。帰りのバスはみんな爆睡。南大門市場やタプゴル公園に行ったが人混みの中を歩くのが辛かった。夜は評判の韓国製ミュージカル「ナンタ」の鑑賞。料理人を題材にしたテンポの速い音楽劇で、入場料6000円の価値はある。

 帰国日の9日は世界遺産の昌徳宮(チャンドックン)を見て、仁寺洞(インサドン)を散歩。昼飯に参鶏湯(サンゲタン)を平らげる。夕方の便でソウルを離れ、午後9時半に羽田に着いた。西大門刑務所、独立記念館、ナヌムの家と気が重くなる旅だった。そのため夜の酒宴は気が乗らない、と思いきや、それはそれこれはこれで割りきり、連夜、焼肉とマッコリ三昧の結構なツアーでした。
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過去も米の戦争は空爆から始まった

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載
http://blogs.yahoo.co.jp/shosuke765
労働運動は社会の米・野菜・肉だ。
2017年04月11日
過去も米の戦争は空爆から始まった

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)


 アメリカのトランプ政権がシリアへの空爆に踏み切った。「米『化学兵器を阻止』」「シリア軍にミサイル攻撃」「露が避難『侵略行為』」「市民ら15人死亡 現地報道」(8日付『毎日』)。地中海に常駐している駆逐艦2隻からシリア空軍基地に向けて巡航ミサイル・トマホーク59発を発射したという。

 トランプ大統領は今回の攻撃は限定的なものだと言っているようだが、一度空爆を始めたらそれだけでは終わらないのが歴史の教訓だ。あのアメリカを戦争の泥沼に引きずり込んだベトナム北部のトンキン湾空爆。9・11テロの報復を理由としたアフガニスタン空爆。大量破壊兵器があるとのガセネタで始めたイラク空爆。結局地上軍を投入して本格戦争を始めたではないか。戦争に限定なんかあり得ないのだ。

 さらに恐ろしいのは、今回のシリア空爆が北朝鮮への威嚇だという点だ。北朝鮮が弾道ミサイルを開発していることに対抗して米艦船を朝鮮半島に集め、「すべての選択肢がテーブルの上にある」と広言。シリアの次はお前だぞというわけだ。この挑発行為によって危険に晒されるのは韓国と日本なのだ。

 トランプ大統領は4日のシリア攻撃について、アサド政権の化学兵器による攻撃で犠牲になった子どもの写真を示し「非人道的行為であり、これを防止するための攻撃は米国の利益になる」と言った。彼はアフガニスタンやイラク、ベトナムへの攻撃で死んだ子どもたちは死んで当然と言うのだろうか。

 おれたち日本国民として看過できないのは、こんなトランプの蛮行を日本の最高責任者・安倍晋三首相が「支持」し「理解」すると表明していることだ。北朝鮮への軍事的圧力行為についても9日、トランプ側から申し入れられた電話協議に応じ「緊密に連携して対応する」と即座に約束した。

 安倍首相は電話協議の後の記者会見で「シリア、北朝鮮について率直な意見交換を行うことができた。大統領が同盟国、世界の平和と安全のために強いコミットメンと(関与)をしていることを高く評価した」と述べた。トランプがやったこと、やろうとしていることにもろ手を挙げて賛成したということだ。

 これからシリアでの軍事行動はエスカレートするに違いない。北朝鮮でも何が起こるか分からない。トランプ大統領に隷属を表明した日本。北朝鮮が自国を守るためと称して、日本を攻撃する口実を与えたことだけは確かだ。こんな首相には即刻退陣してもらわなければならない。日本と日本国民の安全のために。
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海外旅行・第2回バリわくわく旅行(2009年)

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載
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労働運動は社会の米・野菜・肉だ。
2017年04月08日
海外旅行・第2回バリわくわく旅行(2009年)

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)


 10〜12人の参加を予定してバリ島旅行のお知らせを出したところ、予想の倍以上の参加希望がありびっくり。光森さんと相談の上、@09年1月25日〜31日、A2月1日〜7日の2班にし、おれは2週間バリに滞在することにした。第1班は東電グループ7人、日立の篠田夫妻、出版の4人とおれで14人。第2斑は新聞グループ8人に全税関の牛越夫妻、松戸の阿南夫妻、塩田さんと友人らで16人。

 宿泊は当然ビラビンタンだけでは収まらないので、隣接するビンタン・プソナ、ビンタン・バリに分宿した。滞在日程は2班ともほぼ同じ。手元に第2班の日程表が残っていたので書き写す。

 第1日=空港お迎え。車でビラビンタンへ。カフェ・ビンタンで歓迎夕食会。反省会の後就寝。
 第2日=朝の散歩。朝食後滞在手続き。街へ出てルピアに両替。ネカ美術館で絵画、彫刻鑑賞。郊外のカンプンカフェで昼食。午後王宮、市場の散策。夕方ケチャダンスを見て、夕食はベベブンギルでアヒル料理。
 第3日=午前中、インドネシア独立戦争英雄墓地。旧日本兵の墓も。マルガラナにある残留日本兵の像も見る。デンパサールで昼食後、パリの父・三浦襄翁の墓参り。ジンバラン海岸で魚料理の夕食。

 第4日=昼飯含め午前中は各自選択コース。@川下り(ラフティング)、Aモンキーフォレスト、Bキンタマーニ高原の温泉プール。午後3時にビラビンタンに帰り、ヒンズーの正装をして村のお祭りへ。
 第5日=夕方まで自由行動(スーパーでおみやげなどの買い物。マッサージ・エステ。コテージのベランダで昼寝など)。6時半からミーティングルーム前の庭で日・パリ交流パーティ。
 第6日=午後3時頃まで自由行動。昼食はカフェ・ビンタンで天ぷらそば。チェックアウトしてビラビンタンにお別れ。クタで夕食をとり、デンパサール空港へ。深夜便でひと眠りして朝7時に成田着。

 長いと思った2週間もあっという間だった。それにしてもよく飲んだな。インドネシアは長い間オランダの植民地だった。地元のビンタンビールはハイネッケンと同じ製造法だという。これがうまい。ワインはスーパーに行くとフランスやイタリアのが売っているが、やたらと高い。バリワインならボトル1000円くらいだ。椰子でつくった地酒のアラックは40度もあるからよほど薄めないと昏倒する。

 バリに残留し独立戦争に加わった旧日本兵の像やお墓があるとは知らなかった。敗戦直後、インドネシア独立の約策を果たせなかったとしてピストル自殺した三浦襄翁の逸話も強い印象が残った。
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35年前を思い出させるトランプのビザ規制

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載
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労働運動は社会の米・野菜・肉だ。
2017年04月05日
35年前を思い出させるトランプのビザ規制

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)


 本5日付『毎日』夕刊1面中段の囲み記事。「米ビザ審査強化 日欧も対象」「トランプ政権検討」。トランプ大統領がアメリカ入国のビザ申請に際し、携帯電話を提出させ、通話履歴などからテロ組織とのつながりを調べることを検討しており、その対象に日本や欧州も含まれるというのだ。

 この記事を読んで35年前のある事件を思い出した。1982年、当時の米大統領は就任2年目のレーガンだった。民主党のカ―タ―を引きずり降ろしたタカ派大統領だ。この年の6月、ニューヨークで国連軍縮総会が開かれることになった。日本からも各団体が大量に代表団を送り込む運動が盛り上がった。

 新聞労連は81年11月に「第1回平和問題全国集会」を開き、反核平和運動に職場から参加していく方針を固めた。82年になって、3・21広島集会、5・15沖縄集会、5・23東京集会とせり上がって最後が6月7日からの第2回国連軍縮総会だった。新聞労連の代表団は井川団長(地連書記長)をはじめ20人。マスコミ代表41人の半数を占めた。ところがいざニューヨークへ行くまでが大変だった。

 5月初めに各代表団はアメリカ渡航のビザを申請したが、総評などのビザはすんなり発行されたのに東京原水協と平和委員会の約200人は認められなかった。レーガン政権は日本共産党員は入国させないという。それにマスコミ代表団もひっかかった。さんざん揉めたあげく渡航寸前にビザはおりたが、原水協や平和委員会などは会議参加を断念した。マスコミ関係も全員共産党員でないとの誓約をさせられた。

 「出版労働者が歩いてきた道」によれば「(出版労連代表の7人は)アメリカ政府によるビザ発給停止の妨害のため出発を遅らせられたが、6月5日、マスコミ文化共闘代表団として出発した。東京原水協代表団などが、ニューヨーク行きを断念してヨーロッパに向かったため、マスコミ文化共闘の役割は重大となった」のである。

 その後日本共産党の幹部もアメリカに行けるようになった。現に今年の3月27日からニューヨークで開かれた「核兵器全面廃絶につながる、核兵器を禁止する法的拘束力のある協定について交渉する国連会議」という長い名前の会議に日本共産党の志位和夫委員長ら幹部が出席している。

 歴史は繰り返すといわれるが、今回のトランプ大統領のビザ規制は35年も歴史を後戻りさせることにならないだろうか。
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海外旅行・ギリシャ、エーゲ海(2008年)B

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載
http://blogs.yahoo.co.jp/shosuke765
労働運動は社会の米・野菜・肉だ。
2017年04月03日
海外旅行・ギリシャ、エーゲ海(2008年)B

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)


 9月19日朝7時半、クルーズ船オーシャン・カウンティス号は、5日前に出航したピレウス港に戻ってきた。もうチェックアウト手続きは済んでいる。朝食を済ませると早々に下船だ。

 下船に当たってテープに「これで4泊5日の『魅惑のエーゲ海クルーズ』も終わりです。かなり贅沢な5日間でしたが、なんとなくお仕着せの贅沢という感じで、手づくりのものが感じられなかったように思います。ま、金で買える贅沢というのこんなところだろうね」と感想を吹き込んだ。

 バスが待っていて、コリント運河や遺跡のあるミケーネへ向かう。確かに広大な遺跡だ。中央の礼拝堂跡みたいのところで、白い衣装の巡礼団のような人たちが厳かな歌声で祈りをささげていた。遺跡の中を強制的に歩かされてほとほと疲れた。昼食はアテネ市内に戻って魚料理で白ワインを飲む。

 昼食後、5日前に泊まったスタンリーホテルへ。3階の客室の窓から道路を見下ろすと歩行者が見えるが、やたらに肥っている人が多い。若い女性はスタイルがいいんだけどね。街中で感じたのは、道路で携帯を使っている人がほとんどいないことと自動販売機がないこと。いいことだね。

 ただし車は怖い。道路を横断しようとすると、赤信号でも車が突っ走ってきて危ないことおびただしい。ガイドさんの説明によると、ギリシャ人は普段のんびりしているが、ハンドルを握ると人格が変わってしまうのだそうだ。ギリシャ最後の夜はホテルの屋上レストランでわいわいがやがやと過ごす。

 20日の朝7時半にバスでホテルを出発、アテネ空港へは約1時間。10時30分発のトルコ航空機でまずイスタンプールへ。正午に着いて、17時10分発の便まで空港内で時間を潰す。その間なにをしたかしかとした記憶はないが、売店やレストランをうろつきまわって多分ワインとブランデーを飲んでいたのだと思う。イスタンプールから成田までは約12時間。21日午前11時に成田に着いた。

 ギリシャに行ったのはこの旅行だけだし、トルコにはその後行っていない。ギリシャはその後金融危機で大騒ぎになった。緊縮政策に反発する労働者や市民のデモがアテネを埋めたと報道された。トルコもイスタンプールでの再度のテロ事件など物騒な国になっている。あの頃170円もしたユーロが今は120円を切っている。世界はわずかな時間にも思いもよらぬ変化があるものだと実感する。

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2017年04月01日

「共謀罪」と過去2件の治安立法

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載
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労働運動は社会の米・野菜・肉だ。
2017年03月31日
「共謀罪」と過去2件の治安立法

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)


 3月21日、「共謀罪」法案の国会上程が閣議決定された。これから国会内外で熾烈な攻防が始まる。過去3回も国会に提出され、猛反対にあっていずれも廃案になった戦後最悪の治安立法だ。国民の大運動で叩き潰すためにも、歴史の教訓として、戦前戦後の二つの同種法案について触れたいと思う。

 一つは1922年(大正11年)に高橋是清内閣が国会上程した「過激社会運動取締法案」である。17年のロシア革命に刺激され、日本でも大正デモクラシーと呼ばれる民主運動が盛んになる。特に20歳以上の男子全てに選挙権を与えるよう求める普選運動が全国に広がる。これを阻止するためだ。

 この法案は余りにも露骨だったため、労働組合や言論界が中心になった反対運動で廃案になり、高橋内閣は総辞職する。《ちなみにこの年の7月15日、堺利彦を委員長とする日本共産党が誕生》。政府は過激運動取締法を治安維持法と名前を変えて25年(大正14年)2月、普通選挙法と同時上程し、成立させた。

 二つ目は戦後16年経った1961年(昭和36年)2月に池田勇人内閣が国会に上程した「政治的暴力防止法案(政暴法)」である。いうまでもなく前年は安保反対闘争で全国的に労働者、農民、市民の運動が燃え広がった。安保改定は強行されたが岸内閣は総辞職し、日本の革新運動は絶頂期を迎えていた。これを抑えるべく「テロ行為を防止するため」と称して自民党が議員立法で国会に上程した法案である。

 法案は政治的暴力行為を「政治上主義を推進して、殺人、傷害、逮捕監禁、強要、器物損壊、政府中枢施設への不法侵入による暴行」「特定人物を殺害することの正当性を主張する行為」と規定。さらに「将来継続または反復して政治的暴力行為を行う明らかな恐れがある団体」「殺人を犯した政治的暴力団体」「将来または反復して殺人を行う明らかな恐れがある場合」は団体解散などの規制ができるとした。

 法案上程の62年2月当時、おれは24歳で新聞労連東京青年婦人協議会議長。7月からは地連書記長(非専従)になった。連日国会周辺の政暴法反対デモに新聞労連旗とハンドマイクを担いで参加した。ある日のデモでは首相官邸前で機動隊に分断され、孤立して道路に座り込んだ。しばらくしたら「部隊で排除する」との宣言と同時に警棒で小突きまわされながら虎ノ門の特許庁前まで押しまくられた。

 ハンドマイクは壊れ、履いていた下駄のハナオは切れ、裸足で新橋まで歩いた。そんなたたかいがあって政暴法は衆議院では可決されたが、参議院で採決されずに廃案になった。

posted by マスコミ9条の会 at 09:40| Comment(0) | 労働運動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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