2017年08月07日

明日は大腸内視鏡検査で入院だ

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載
http://blogs.yahoo.co.jp/shosuke765
労働運動は社会の米・野菜・肉だ。
2017年08月07日
明日は大腸内視鏡検査で入院だ

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

 明日8日入院する。例年柏辻仲クリニックでやっていた大腸内視鏡検査。今年もお知らせが来たので6月14、辻仲クリニックに予備検査で行ったら「あなたは80歳になったのでここでは検査できません。柏の葉辻仲病院へ行ってください」と宣告された。しかも今まで日帰りでできたのに病院は前日から入院しなければならない。ポリープを摘出したらさらに入院させられる。やっかいな話だ。

 実はこの病院、以前に入院したことがある。東日本大地震のあった2011年の5月10日、辻仲クリニックで内視鏡検査をしたら変形のポリープが発見された。普通は小指のように突き出ているので、根元を針金で巻いてギュッと搾れば取れるのだがこの時のポリープは平べったくて大腸の内壁にへばりついていた。

 (ここまで書いて気が付いたんだけど、この時の入院の顛末は本ブログで書いているんだ。まいいや重複するのはご勘弁ということにしてください)。さて件の平べったいポリープだが、どうやって取るかというと、まず食塩水をポリープに注入する。その膨らんだポリープをやはり針金方式で取るんだが小指型と違って傷跡が大きい。クリップで止めてOKというわけにはいかない。それで入院が必要になるのだ。

 5月30日にポリープ摘出手術をし、その日と翌日2泊して6月1日午前に退院した。家でひと眠りしてトイレに行ったら鮮血がジャー。びっくりして病院に電話したらすぐ来いという。なるべく安静にというので電車でなくタクシーで乗り付けた。結局再度内視鏡の管を尻から挿入して止血手術。また2泊させられた。

 これは明らかに最初の手術の止血の仕方にミスがあったとおれは思った。それで担当の若い医師に「どうして出血したのか」と問い質したが答えにならない答えで聞き流された。カチンときたが医師を相手に喧嘩する度胸はない。黙って引き下がって追加の入院料を払ってすごすごと病院を出た。

 その柏の葉辻仲病院に再度入院・手術だ。なんとなく変な事が起こる予感がする。ここまで書いたところで柏の葉辻仲病院から電話があって、明日の入院は午後2時来院で手続きしてくださいとのこと。朝9時でなく午後2時なのだ。おれの聞き違いあるいは勘違いだったらしい。

 今晩から大腸内視鏡専用検査食だ。夕食はチキンクリームシチュウ、朝は鶏と卵の雑炊、昼は鮭がゆ。
もちろんアルコールはダメと書いてある。大型台風5号が近畿地方に上陸したらしい。明日はこちらも雨と風が激しくなるかもしれない。たかが大腸内視鏡検査(胃カメラもやる)なのに何となく気が重い。
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玉砕はなぜ決行されなかったか

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載
http://blogs.yahoo.co.jp/shosuke765
労働運動は社会の米・野菜・肉だ。
2017年08月05日
玉砕はなぜ決行されなかったか

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

 手元に「関東軍火工廠史」(後編)と題したA5版689ページの本がある。関東軍火工廠はおれの父が働いていた軍需工場で、中国東北部(旧満州)遼寧省遼陽県遼陽市にあった。父はもともと東京・王子にあった陸軍造兵廠に勤めていた。1940年(昭和15年)に転勤になり家族揃って渡満した。

 1945年8月9日、ソ連軍が突如国境を越えて満州へ攻め込んできた。「世界最強」を豪語していた関東軍だが実は張り子の虎で、なすすべもなくソ連軍に蹂躙された。そして8月15日の敗戦、父の勤めるていた工場は大波に晒された。工場の配属将校たちは右往左往するだけで何もてにつかなかった。

 結局、ソ連軍が工場を占拠する前に住民を巻き込んで玉砕することになる。決行日は8月25日。多量の爆薬が小学校の床下に仕掛けられ、その上で住民たちがお経を上げた。おれの父は自警団のようなものを組織して放火された家屋の消火などにあたった。おれの家族は父の友人の家に合流して玉砕を待った。

 玉砕は実行寸前に中止された。決行されていれば、日本敗戦史でもまれに見る集団自決になったろうし、第一今のおれは存在しなかった。父の生前、この玉砕中止のいきさつについて聞いたことがあるが、父も詳しくは知らないようだった。それがずっとおれの心の中に澱(おり)のように残っていた。

 今年6月8日おれは80歳になった。そろそろ終活に本腰を入れなければならない。そんな気持ちで「関東軍火工廠」をネットで検索、冒頭の本に辿り着いた。京都にある「将軍堂」という古本屋に1冊だけ在庫があった。2万円というのはちょっと高価だが背に腹は代えられない。早速購買の手続きをした。

 前後編2分冊の「関東軍火工廠史」(後編・1980年発行)は遼陽桜ヶ丘会の編集・発行。遼陽桜ヶ丘会というのは関東軍火工廠に勤めていた人たちの同窓会組織だ。本は会員頒布で定価がない。父は1983年死んだが、亡くなる前に郵便で本の購読を勧める宣伝物が来ていた記憶がある。

 本を読み始めたところだが、貴重な証言が盛り沢山だ。1980年というとまだ戦後35年で、おれの父もそうだが、まだ多くの当事者が生きていた。もう今では殆ど他界されていることだろう。これからじっくり読み砕いて「集団自決」の真相に迫ろうと思う。できればおれ流にまとめてみたい。
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