2019年01月04日

新春断想 「切れる」ということ

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載


労働運動は社会の米・野菜・肉だ。

2019年01月02日

新春断想 「切れる」ということ

 去年は遠出が不安だったので初詣を近所の神社で済ませたが、今年は子どもや孫たちと恒例の柴又・帝釈天へ行けた。矢納め100円、賽銭5円、破魔矢1500円、ダルマ1000円、小エビ佃煮648円。相変わらず混んでいて迷子になりかけたが、昔と違って今は携帯があるから安心だ。

 孫は今年小6と6歳になる。小6は中学受験で大変だ。公立なら受験なんかないのに、とおれは思うのだが娘(ママ)は「公立はダメ。中高一貫校の私立へどうしても入れる」という。そんなものかな。ま、じいじの出る幕じゃない。小6の孫は「ママには従った方が得だ」と結構覚めている。

 6歳の孫はよくごねる。気に食わないと金切り声を上げる。保育園ではとても素直でいい子なのだそうだ。どうも無理していい子を演じているだけのようだ。その反動で家ではわがままを通す。通らないと喚き散らす。銀行員30年独身の娘は「新入社員の中でもちょっときつく叱るとすぐ切れるのがいる。触らぬ神に祟りなしが一番」と悟り気味。学校教育というより親のしつけが問題だという。その傍で6歳がまたごねだした。

 正月早々原宿・竹下通りで車を暴走させ8人をはねて重軽傷を負わせた事件があった。犯人の21歳男性は「オウム死刑の報復でやった」とか「(車に積んだ石油で)車ごと燃やそうと思った」などとほざいているという。警視庁は「責任能力の有無」を含め、状況を調べている。

 この事件の21歳男が冷静な計画性をもって事を起こしたとは思えない。きっかけは何か彼に「不利なこと嫌なこと」があってそれが衝動的な行動に結びついたのだと思う。人は「不利なこと嫌なこと」に直面した時、普通堪えようとする。堪えきれないといわゆる「切れる」という精神状態になる。その結果、損得から言えば全く割に合わない凶暴な(絶望的な)行為に走る。

 人によって「堪える」力には強弱がある。すぐ切れる奴とそうでないのがいる。おれはどちらかと言えば「すぐ切れる」くちだったように思う。すぐ切れたため損をしたことが多々あった。ま、竹下通りの暴走男のような滅茶苦茶はしなかったけどな。その負の素質が孫に引き継がれているのかな。心配だ。

 正月早々何馬鹿なこと書いているのかと自分でも阿保らしくなった。もう止める。今年は82歳になる。この年で切れていてはみっともないので、じっと堪えられるよう精神修養しよう。
posted by マスコミ9条の会 at 19:47| Comment(0) | 事件 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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