2011年07月09日

子どもを救え、仕事をつくり出せ―国は過去の経験に学べ

メディアウオッチ58 2011年7月5日
子どもを救え、仕事をつくり出せ―国は過去の経験に学べ

桂 敬一(日本ジャーナリスト会議会員・元東大教授)


子どもが危ない!もう親の手には負えない
ネットのなかでは、福島の被災地で住民やボランティアの市民から、「遊んでいる子どもが急に鼻血を出した」「学童のオシッコからセシウムが出た」というような報告がいくつも伝えられている。本当に子どもが危ないと思う。そのことは、被災地現場のお母さんがよく知っている。だから、文科省がそれまでの校内における学童の被曝許容線量の基準を年間1ミリシーベルトとしていたのを、急に20ミリシーベルトに引き上げたとき、福島の母親たちは猛然と怒った。いや、いわゆるホットスポットと称される、高い放射線量の検出される地区が柏・松戸など、福島以外の土地でもあちこちみつかりだしているため、日本中の親たちが文科省の態度に深刻な不信を抱く結果となった。

 それはそうだろう。年間20ミリシーベルトといったら、ドイツの原発労働者に適用されている許容限度で、それは日本でも同じだったのだが、福島第1原発事故が発生、復旧作業に携わる構内労働者が高い放射線を浴びねばならない状況が出来すると、その基準を政府は、50ミリシーベルトまで引き上げ、さらに5月末には、この限度さえ撤廃、事実上、天井知らずにしてしまった。そうした流れのなかで、毎日高い放射線量を浴びる危険にさらされる原発労働者に適用されてきた20ミリシーベルトが、学童への限度基準とされたのだ。お母さんたちは文科省に押しかけ、基準を元に戻せと抗議した。その勢いに押されて文科省は、福島の学童には従来どおりの限度設定で対応する、と約束した。しかし油断はならない。新基準そのものを撤廃するとはいっていないのだ。

 もっと恐ろしい話がその先にある。事態を憂慮した福島県は6月24日、15歳未満の子どもと妊婦の全員に、放射線量を計る線量計を配布することとし、県内市町村に購入費の全額を補助する、と発表した。一見いいことのようにみえる。たしかにいい面もある。というより、やむを得ない面がある。大人はそれを利用してわが身とわが子を守りたいに違いないからだ。だが、中学生以下の学童全員が毎日、線量計を携行、通学し、学校生活を送り、また外遊びをすることを考えてみよう。目にみえないまだら模様の形状で存在する高線量の場所を、いつも自分の持っている線量計でみつけ、そこを避けて行動しなければいけないのか。そんなことが可能だろうか。もしそうしないで知らないうちに強い放射線を浴びたら、それは自己責任ということにされてしまうのではないか。

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2011年07月08日

子どもを救え、仕事をつくり出せ―国は過去の経験に学べ

メディアウオッチ58
2011年7月5日
子どもを救え、仕事をつくり出せ―国は過去の経験に学べ

桂 敬一(日本ジャーナリスト会議会員・元東大教授)


子どもが危ない!もう親の手には負えない
ネットのなかでは、福島の被災地で住民やボランティアの市民から、「遊んでいる子どもが急に鼻血を出した」「学童のオシッコからセシウムが出た」というような報告がいくつも伝えられている。本当に子どもが危ないと思う。そのことは、被災地現場のお母さんがよく知っている。だから、文科省がそれまでの校内における学童の被曝許容線量の基準を年間1ミリシーベルトとしていたのを、急に20ミリシーベルトに引き上げたとき、福島の母親たちは猛然と怒った。いや、いわゆるホットスポットと称される、高い放射線量の検出される地区が柏・松戸など、福島以外の土地でもあちこちみつかりだしているため、日本中の親たちが文科省の態度に深刻な不信を抱く結果となった。

 それはそうだろう。年間20ミリシーベルトといったら、ドイツの原発労働者に適用されている許容限度で、それは日本でも同じだったのだが、福島第1原発事故が発生、復旧作業に携わる構内労働者が高い放射線を浴びねばならない状況が出来すると、その基準を政府は、50ミリシーベルトまで引き上げ、さらに5月末には、この限度さえ撤廃、事実上、天井知らずにしてしまった。そうした流れのなかで、毎日高い放射線量を浴びる危険にさらされる原発労働者に適用されてきた20ミリシーベルトが、学童への限度基準とされたのだ。お母さんたちは文科省に押しかけ、基準を元に戻せと抗議した。その勢いに押されて文科省は、福島の学童には従来どおりの限度設定で対応する、と約束した。しかし油断はならない。新基準そのものを撤廃するとはいっていないのだ。

 もっと恐ろしい話がその先にある。事態を憂慮した福島県は6月24日、15歳未満の子どもと妊婦の全員に、放射線量を計る線量計を配布することとし、県内市町村に購入費の全額を補助する、と発表した。一見いいことのようにみえる。たしかにいい面もある。というより、やむを得ない面がある。大人はそれを利用してわが身とわが子を守りたいに違いないからだ。だが、中学生以下の学童全員が毎日、線量計を携行、通学し、学校生活を送り、また外遊びをすることを考えてみよう。目にみえないまだら模様の形状で存在する高線量の場所を、いつも自分の持っている線量計でみつけ、そこを避けて行動しなければいけないのか。そんなことが可能だろうか。もしそうしないで知らないうちに強い放射線を浴びたら、それは自己責任ということにされてしまうのではないか。

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2011年06月11日

公務員・公僕・国民・憲法を考えさせられた

メディアウオッチ57
公務員・公僕・国民・憲法を考えさせられた

この国は「原理」というものを見失っていないか(6月8日)

桂 敬一(日本ジャーナリスト会議会員)


目を奪われた新聞記事―これはいったいなんだ
 このところ新聞をみてもテレビを眺めても、菅首相不信任騒動の余波が気になってしょうがない。不信任案は、恥も外聞もない茶番で否決となったが、政権奪取が本当の狙いだった自公や、新「大連立」政権にそこそこの地歩を占めたい民主党内の面々が、ますます遠慮なく本心をむき出しにするだけで、菅引きずり落としの理由にした震災復興策推進の行方は、かえって混迷の度合いを深めるのみ。メディアがこれを厳しく批判するかといえば、一通りのことはいうものの、こちらも政局の先読みばかりを競い合っている。こんなことでいいのかと、また腹立たしく思っていたところに、ある記事が目に飛び込んできた。朝日の6月8日朝刊「ひと」欄(2面)、「米大使館安全保障担当補佐官から防衛省参事官に転じたKさん」とする、実名・写真入りの記事だ。

 実は、この情報は、同じ朝日・5月28日付朝刊4面(内政面)の「防衛省、在日米大使館員迎え入れ 米軍再編精通」という見出しの囲み記事で接しており、おやっ、これはなんだ、と引っかかっていたものだ。しかし、その後の不信任案騒ぎで、半分は忘れかけていた。当時他社では、共同通信がこれを追い、同様の内容を配信したが、おそらくこの配信によったのだろう、共同加盟社となっている毎日だけが、翌29日朝刊に小さな記事を載せた。読売・産経には載らなかったように思う。私が引っかかったのは、このような異例の人事が、日米両政府の交流人事というようなもので、米政府側から日本政府内に出向してくる公務員の身分は米政府職員のままなのか、そうではなくて、完全な転職であり、米政府職員であることは辞め、正式な日本政府職員になるということなのか、どちらなのだろうと思ったからだ。どちらにせよ、いろいろ問題がある。

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2011年05月31日

菅内閣不信任に向かう政治策動を許すな ─反原発で総選挙をたたかう共同戦線構築を─

メディアウォッチ56
菅内閣不信任に向かう政治策動を許すな

─反原発で総選挙をたたかう共同戦線構築を─

桂 敬一(日本ジャーナリスト会議会員・元東京大学教授)


恥知らずな自公の菅内閣不信任案の策動
 5月28日土曜の夜、7時のNHK総合テレビのニュースをみていたら、「菅首相に不信任案の動き」がトップに出てきた。谷垣自民党総裁、民主党の小沢元幹事長、山口公明党代表がつぎつぎに映し出され、谷垣・山口氏は、菅首相を政権の座から追い落とすことこそ、日本を今の政治危機から救うことになると、口々に語っていた。呆れ果てるとはこのことだ、とつくづく思った。

 菅首相がいい、よくやっているなどとはいわない。むしろ、なにやってるんだ、もっとしっかりしろと、いろいろいいたいことばかりが浮かんでくる。しかし、こと原子力発電政策推進に関する限り、ほとんどの民主党員はイノセントだ。菅首相も、野党にいた当時の立場でいえば、ほぼ無罪だ。これに対して自民党は、55年体制以来の与党独裁の下、日本における原子力発電政策を、財界・電力業界やアメリカ政府、GEなど米大企業のいいなりになって推進してきた張本人だ。今日の福島原発の、大量の放射性汚染物質を地球環境の全域に撒き散らす、未曾有の人災を招いた最大の責任は、歴代の自民党内閣にあるといわねばならない。

 公明党も責任から逃れられない。1993年総選挙の敗北(細川非自民内閣成立)以降、総選挙での単独過半数獲得が不可能となった自民党が連立を模索、99年に新進党から分かれた自由党(小沢一郎党首)と連立を組んだとき、公明党もこれに加わり、その後、自公体制が確立された。小泉構造改革・民活の推進においても公明党は自民党を支え、原子力に重点を置いたエネルギー政策推進についても、公明党の責任を無視することができない。また、今は民主党にあって主流から外された小沢氏も、かつて自民党田中派・同経世会の実力者だった経歴から、原発に関する限りイノセントであるとは、到底いえない。

 彼らがまともなら、今、菅内閣に対して起こすべき行動は、ただちに政治休戦を申し入れ、東北全域の災害復旧計画の立案、ならびに必要な政策の具体化と実施に携わる政策本部を、国会に議席を持つ全政治勢力の代表と被災現地の首長との参加を得て閣外に設けることであろう。そして国会を、政策本部の活動を担保する審議機関としていくのだ。これなら、ほかの野党も賛成する。もしこれを菅内閣が拒むなら、それ以外の勢力が一致して決起し、政権を奪取、所期の復興体制を整えるべきだろう。その場合、自公には当然、過去の原発政策の反省が迫られる。破綻し、重大な人災を生んだ原発政策に責任を負うべきものが、その反省もないまま、再び政治の表舞台に出、同じ政策の続行あるいは拡大をつづけようとするのであれば、それは現在の状況をさらにこじらせ、問題をいっそう深刻化させてしまう。そんな事態こそ、われわれ国民にとって最悪の政治的危機というべきものだ。菅内閣が瓦解し、谷垣・山口・小沢氏らとそれに同調する輩が代わって政権を取るなどの事態が生じるだけだとしたら、なんとおぞましいできごとか、と思わざるを得ない。


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2011年05月14日

なぜか申し訳ないと感ずる私の東北への思い

メディアウォッチ55
なぜか申し訳ないと感ずる私の東北への思い

―そこに若者のフロンティアをこそ求めたい―

桂 敬一(元東京大学教授・日本ジャーナリスト会議会員)


急に考えなければならなくなった「東北」のこと
その情景をどう受け止めたらいいのか、うろたえ、気が休まらない。町役場の防災無線で津波の襲来を告げ、町民に避難を呼びかけつづけたまま行方不明になっていた女性職員の身元が、50日以上も経ってようやく判明、遺体が両親の元に還った。老いた父親は、涙をにじませた細い目にうっすらほほ笑みを浮かべ、亡き娘の帰宅に安堵した心境を、くぐもった声で言葉少なに語った。保育園にいったまま行方不明になっていた孫の遺体を、遠くに流された木片の山のあいだに発見した祖父・祖母も、保育園にいくのを送ったきり会えなくなった孫娘を探すため、そのとき別れた場所を毎日訪れている祖父も、そうだった。穏やかな表情のまま、悲しみを静かな声でつぶやくだけだった。感情のほとばしりをまるで見せないそうした姿から、かえって収拾に困るほどの大きな衝撃を受ける。初めての経験だ。いったい東北の人々とは、どんな人たちなのだろうか。

 大津波は、茨城・福島では遠い沖合から、巨大な横一線の壁となって押し寄せ、やがて浜辺に白く砕ける波のしぶきを舞い上げ、松林を叩き潰し、家々や工場を壊しながら押し流し、さらにそれらを、ことごとく沖にさらっていった。三陸海岸では、岬の合間の入り江に盛り上がって侵入したうねりが、奔流となってビルの屋上を洗い、家の屋根の上に船を置き去りにし、車を捨てて高みへと逃げ惑う人たちの足下まで迫った。それはまるで、ノアの方船を山頂にまで押し上げた、神話的な伝承のなかの大洪水を彷彿とさせた。このような災厄に、どうして東北の人々が見舞われなければならないのか。死んだ孫娘が発見できない老人は、無言のまま瓦礫の山を踏み分け、言葉では尽くせない悲しみを背中に見せながら、過酷な運命に翻弄される古代悲劇の主人公のように、ゆっくり立ち去った。親しい人を失った人たちの喪を、ただ見守ることしかできない自分の無力を思うと、頑張れなどと、軽々に口にできないことが、身に染みてわかった。

 そういう気持ちとともに、東北というところ、そこに住んできた人たちに、なんだか申し訳ないという気がしてならないのも、不思議だった。これまでそこがどういう地域なのか、自分にどういう関わりがあるのか、住んでいる人たちはどんな人たちで、自分と同じようにものを考える人たちなのか、というようなことに思いが至らず、そのことをちゃんと知ろうとも理解しようともしてこなかった自分に、気がついたせいかもしれない。また、今回ばかりは、人間には制御しきれない自然というものがあることを、つくづく思い知らされたが、東北の人たちが、そんなことはとっくに理解しているうえに、大きな犠牲を強いられながらも、自然に敵対的に立ち向かい、これを制圧しようなどとは夢思わず、むしろ自然への畏敬を大事にしている、ということに気づかされたことも、ショックだった。そのような自然への向かい合い方こそ、人間的なものなのではないか。自分としては、予想もしていなかった盲点を突かれる思いがした。

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2011年04月26日

いますぐ必要な 「モラトリアム」 という考え方

メディアウオッチ 第54回
いますぐ必要な 「モラトリアム」 という考え方

―メディアは政治休戦と「復興」への環境整備を促せ―

桂敬一(日本ジャーナリスト会議会員・元東大教授)


「復興構想会議」 はできたけれど…

 4月14日、菅首相肝いりの「東日本大震災復興構想会議」の初会合が開かれた。翌日の報道によれば、議長の五百旗頭真(いおきべ・まこと)防衛大学校長は、「国民全体が負担する復興税の創設」を提唱した。菅首相は、「ただ元に戻すだけの復旧でなく、創造的な復興ビジョンを示してほしい」と要請していた。そのせいか、議長だけでなく、15人の委員それぞれも、積極的に発言、いろいろなビジョン、アイデアを提案する発言を行った模様だ。ところが、首相は、議論の対象から「原発問題」は外すよう指示していた、というのだ。おかしな話だ。重大な事故を起こした福島第一原発は、これからどうなっていくか見守っていればすむものでなく、放射能漏れを一刻も早く止めるために何をしなければならないか、検討が急がれる段階にある。その対策いかんでは、原発政策全体の見直しも必要になるだろう。特別顧問の梅原猛(哲学者)氏はさすがに強く反発、これに同調する委員もいたようだ。

 東電は政府にせっつかれ、福島第一原発の第一号から三号までの廃炉は、渋々ながら承知した。しかし、福島第一原発全体の廃止までは言明していない。「復旧」という言葉をしつこく使っている。放射能漏出状況をチェルノブイリ並みの「レベル7」と認めた後もだ。政府も、福島第一原発そのものの事業停止・廃止を強く求める気配がない。一応、2030年までに14基の原発を新設するとした「エネルギー基本計画」は見直すとしたが、原発全廃までを含む検討には、踏み込む様子がない。これでは、福島第一原発の事故が表面的に収まり、見かけ上これで大丈夫となれば、またぞろ日本の「原発村関係者」がうごめきだし、更地に戻した敷地に、今度こそ頑丈な発電所を再建するとか、ほかでも念を入れて安全対策を施し、原発を活用していく、というような話になりかねない。冗談ではないと思う。そういうカネを、「復興税」で出していくというのか。

 カネといえば、まず原発事故の被害補償問題もある。放射線被曝・放射性物質汚染の危険から、立ち退き区域に指定され、自宅を離れ、田畑、家畜も見捨てざるを得なくなった人たち、居住地を離れ、勤め先を失った人、家族が別れ別れになり、生活費の負担増に陥った人などへの補償は巨額なものとなるが、これに対して東電は補償の義務がある。加えて原発再建投資が必要となるわけだ。独力では資金調達不能で、政府から公的資金が投入される可能性も大きい。「復興税」がそれらの原資になるのだとしたら、それは“盗人に追銭”のようなものではないか。税金を使って東電の不始末の尻ぬぐいと、危ない仕事の再開にカネを用立てるなど、政府は断じてやるべきではない。復興構想会議の出だしから話がこのようにおかしくなるのは、政府のこの会議の位置づけ方・役割の認識の仕方が甘く、復興のために何から始めるかの方針がしっかりしていないせいだ。原発の見直しはタブーにしたまま、あとは勝手にオダをあげてください、というのでは、話にならない。

※以下全文はPDFファイルをご覧ください。
メディアウオッチ(桂)(110425).pdf
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2010年10月06日

沖縄とジャンヌ・ダルク ― そして尖閣諸島のこと

メディアウォッチ 第53回
沖縄とジャンヌ・ダルク ― そして尖閣諸島のこと

桂 敬一(元東大教授・日本ジャーナリスト会議会員)


 9月23日、東京・駿河台の明治大学リバティ・ホールで開催された集会、「沖縄フォーラムIN東京 普天間は問いかける」は、とてもいい催しだった。普天間問題をめぐる沖縄と本土のギャップをどうしたら埋めていけるか、本土はなにをすることができるかを考えていくうえで、参考になることがたくさんあった。私は最後に集会全体を振り返り、事実上締めくくりのコメントを述べる役目を与えられていた。そこで、最近の沖縄のたたかいをみていると、ジャンヌ・ダルクのことを思い出す、というようなことをしゃべった。時間が短かったので、その意味するところが十分には理解してもらえなかったかと思う。そこで、なんで私がそんな話をしたのか、あらためて説明したい。

◆「クニ」を守るために立ちあがったジャンヌ・ダルク

 ジャンヌ・ダルクは、フランス東北部のロレーヌ地方にある、ドンレミという寒村の農民の娘として生まれた。14世紀半ばから主にイングランドとフランスとのあいだでたたかわれた、中世ヨーロッパのいわゆる百年戦争のさなか、1412年に生まれ、両国の攻防の山場、オルレアンにおける戦闘でジャンヌはフランス軍を率いて戦勝をかち取り、一躍「オルレアンの乙女」と称えられ、国民的英雄となった。彼女のいくさへの参加は、神の啓示に従うものだったため、カトリック信仰のヒロインともされた。しかし、その後巻き返してきたイングランド軍と、これに通じたフランス軍の一派に捕らえられ、また教会にも見放され、1431年、火刑に処され、19歳で命を絶たれた。ジャンヌを邪魔者扱いした勢力が裁判で、彼女は神からの啓示でなく、悪魔から唆されたのだ―彼女は異端者だとする判決を下したからだ。だが、民衆のジャンヌに寄せる思いは消えなかった。彼女のおかげで王として戴冠ができたシャルル7世がイングランド軍を駆逐し、フランス全土がほぼ統一され、カトリック教会も人心掌握の必要を感じるようになると、ジャンヌ復権の動きが生じた。1455年、ジャンヌの母の懇請によって復権裁判が開かれ、処刑後25年の翌年、彼女はふたたび国民的英雄、殉教者に祭りあげられた。教会は少女を聖人に列した。

 フランス人はなぜジャンヌ・ダルクを、今でもある種の国民的象徴として敬慕するのだろうか。それがなかなか理解できない問題だった。しかし、自分の生まれた国、親しい同胞が住む国を、異国の軍隊の、思うがままの蹂躙にまかせてはならない、として立ちあがったジャンヌの気持ちを推しはかっていくうちに、だんだんあることがわかるようになってきた。フランス語では国は、ペイ(pays. 田舎、故郷、国)という。英語のカントリー(country)も同じような意味を持つ。そしてこれらは、国家(フランス語ではエタ=état、英語のステート=state)とは、はっきり区別される。そこにくると日本語は、クニが故郷と国の両方の意味を持つ点では共通するが、国が容易に国家の意味になってしまうところが、英仏語とはかなり違う。そして、わかってきたのは、ジャンヌは結局、自分たちのペイのためにたたかいつづけてきた、ということだった。

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2010年08月08日

いよいよ白熱化する安保・普天間問題めぐるたたかい

メディアウォッチ52
いよいよ白熱化する安保・普天間問題めぐるたたかい

桂 敬一(元東大教授・日本ジャーナリスト会議会員)


 8月4日の読売新聞・朝刊2面に、オヤッと思わせる記事が出ていた。

「日米同盟の意義 ネット漫画でPR 在日米軍が公開開始」の見出しの下、在日米軍が日米安全保障条約改定50周年を記念して、同盟の意義をアピールする漫画を作成、在日米軍司令部のホームページで4日から公開を始めた、という本文24行の小さい記事。カットに「私たちの同盟」と大きくタイトルが入り、少年らしいキャラクターと眼鏡の女の子との二人が星条旗のうえに立っていて、足元に「OUR ALLIANCE―LASTING PARTNERSHIP」(私たちの同盟―永続するパートナーシップ」のサブキャッチが入った表紙らしい写真も載っていた。これではなんのことかよくわからない。記事のなかに米軍ホームページのURLが記載されていたので、あとで開けてみようと思っていた。しかし、内心、「いよいよテキさん、おいでなすったか」という気がした。
 詳しくはPDFファイルをご覧ください。
katsura52.pdf
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2010年07月14日

クジラと石油と子ブタ ― 映画「ザ・コーブ」騒動が考えさせてくれたこと

クジラと石油と子ブタ ― 映画「ザ・コーブ」騒動が考えさせてくれたこと

桂 敬一(元東大教授・日本ジャーナリスト会議会員)


◆「ザ・コーブ」は本当に「反日」なのか

 映画「ザ・コーブ」の上映反対運動が話題となっている。右翼の妨害だとも報じられている。そういわれると思い出すのは、2007年秋、中国人監督の撮ったドキュメンタリー映画、「靖国」が発表されると、翌年にかけて、上映阻止を目指す右翼の騒ぎが起きたことだ。確かに靖国神社は、日本の総理大臣が参拝すると、中国、韓国・朝鮮、東南アジアの国々から反対の声が上がる、イデオロギー的な場所だ。これを中国人監督が、日本人の見方にはとらわれない目で見て、作品化したのだから、靖国神社を尊崇する右翼の人たちには、「反日」と映るところがあったのだろう。

 だが、「ザ・コーブ」は、和歌山・大地町のイルカ追い込み漁を題材とした映画であり、それがなんで「反日」に直結するのかがわかりにくい。横浜の奇特な映画館主さんが、表現物がだれにも見られないかたちで非公開に追い込まれるのはよくない、と頑張っているところに、上映阻止を叫ぶ大勢の人たちが集まり、その映画館の前で日の丸やスローガンの横断幕を掲げ、ハンドマイクで叫んでいるのをテレビでみた。それによると、イルカやクジラを食べる日本文化に敵意を示す作品だから「反日」だ、ということらしい。しかし、それだけでなんで右翼の人がいきり立つのか、もうひとつピンとこない。横断幕には「夫婦男女別姓反対」「外国人参政権反対」とも書いてあった。それでも納得がいかない。この二つのスローガンは、読売や産経など大新聞も社説で主張している。これらの新聞も「右翼」なのか。もっとわからないのが、右翼をみずから名乗るが、その言動に日ごろ感心させられるところの多い一水会の鈴木邦男さんが、上映を妨害するなと、横断幕、ハンドマイクの集団ともみ合っている光景が、テレビで映し出されたことだ。

 右翼とはいったい何なのだ、と不思議な気持ちになった。「ザ・コーブ」上映反対運動の人たちは、右翼的な政治目標や理論化された教条に基づき、そうした思想や政治勢力の拡大を図るというより、自分たちの文化や伝統、習俗が汚され、自分たちが美風と思っている感覚や価値観が、外部の文化の流入や異端の乱入によって失われていくことに、激しい嫌悪感、あるいは危機感を抱くようになっている人たちなのではないか、と思えてきたからだ。こうした特徴をもつ右翼は、「在日外国人特権反対」を叫び、在日韓国・朝鮮人や、さまざまな事情でやむなく不法滞在をつづける在日外国人に対しても、集団的に嫌悪感や激しい敵意を示すことがある。ある種のゼノフォビア(xenophobia。外国人嫌い)ともいうべき傾向が、なんでこんなに急に肥大化したのか、不思議でならない。

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2010年06月05日

「普天間問題」解決と日米安保の大変革はこれからだ

「普天間問題」解決と日米安保の大変革はこれからだ

桂 敬一(元東大教授・日本ジャーナリスト会議会員)


 中国は1997年、イギリスに植民地化されていた香港を、かつての清国政府が結んだ屈辱的な対英条約の取り決め、99年後の返還という約束どおり、平和裡に取り戻した。現在の中国政府の誕生は1949年だから、48年後に香港返還を実現したわけだ。そのしぶとさ、息の長さには、今さらながら驚かされる。というのも、なんという誇りを知らない国、卑屈な民族かと、これまでは眺めてきたのだが、沖縄のことを考えれば、日本のほうこそ敗戦後65年も経つというのに、その完全な返還のめどを、いまだに立てられないからだ。
 沖縄返還からでももう38年経つ。敗戦後99年というと、あと34年しかない。38年経っても沖縄の米軍基地の状況は、変わらないどころか、ますますアメリカの国際軍事戦略のなかに緊密に組み込まれてきた。ここで新たに名護・辺野古に恒久的な新鋭基地ができれば、あと34年内の沖縄の完全返還など、ますます覚束なくなる。しかも、在日米軍基地の維持・再編強化には日米安保条約によって、日本が巨額の資金を提供するのだ。アメリカがそれらを自発的に放擲、日本から出ていくなど、到底考えられない。
 日本も、米軍に日本から出ていってもらうためには、第一に、5年後あるいは10年後というように時限を定め、それまでには完全撤退を行うとする目標を設定する、第二にそこに至る間に、日米安保体制の根本的見直しを進め、段階的に軍事同盟的要素を希薄化し、在日米軍を縮小していく、第三に、この間は沖縄の米軍基地の現状変更を大きく伴う増強や更新、新軍事施設・基地の建設は行わない、第四に日米間に新たに、軍事同盟的要素を伴わない、経済・社会・文化的な協力・友好条約を締結する、第五に、アジア・太平洋地域における非軍事的な安全保障体制の実現を目指す協力関係を築く、などを課題とする戦略的な日米交渉を行っていくことこそ、必要となるのではないか。
 鳩山首相が、自民党政府の対米合意と同じような辺野古への普天間移設案にたどり着くやいなや、メディアは口々に彼の約束違反、無定見・無責任を非難し、自分たちが率先して支持率低下を誘い合ったような世論調査の結果を振りかざして、首相辞任を叫ぶが、民主党政権成立直後から「普天間は自民党合意どおりにやれ」と合唱しつづけ、首相の目論見を潰した自分たちこそ見識があったのだ、とでもいいたいのだろうか。むしろそれは、政権交代を支持した民意を裏切るものではなかったか。そうした自分たちの責任に口をつぐむ反省のないメディアの姿勢には、白々しいものさえ感じられる。
 無責任で軽率な政局ジャーナリズムは、さっそく社民党の政権離脱、参院選への影響、本命がみえない選挙戦の混沌に、移り気な読者・視聴者の関心を誘い、すでに普天間問題はケリがついたかのように振る舞っている。だが、「普天間問題」はまだ終わっていない。少なくとも沖縄現地では、こんないい加減な解決は許さない。激烈な反対闘争は選挙戦をも巻き込み、これからいっそう熾烈なものとなる。本土はこれを沖縄のことと眺めているだけでいいのか。沖縄に呼応し、本土でも今こそ大きな運動を起こし、参院選では「普天間問題」を本当に解決しようとする政治勢力に票を寄せ、5年後あるいは10年後の在日米軍撤退につながるような安保改定を目指すべきではないか。
 新しい情勢を生み出す点に関しては、参院選は中間的な通過地点にしかならないだろう。狡猾な政治家やこれと結託するメディアは、すぐ総選挙に話題を転じ、国民の関心を誘導するだろう。だが、これは「普天間問題」で結束を固め、広げていこうとする勢力にとってもチャンスとなる。11月にはオバマ大統領も来日する。日米安保を未来に向かって見直し、その先駆けとして「普天間問題」を解決することを求める日本の巨大な運動のうねりが彼を迎えるとき、そこに結集する政治勢力こそ、きたるべき総選挙における勝利者となるはずだ。(JCJフラッシュより転載)
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2010年01月01日

迫られる「アメリカに負けた日本」からの脱却

2010年の年頭に思う

迫られる「アメリカに負けた日本」からの脱却

桂 敬一(元東京大学教授・日本ジャーナリスト会議会員)


◆敗戦国のツケは64年経っても付いて回る?
 既往の心筋梗塞と軽度の糖尿病があり、2か月に1回ぐらいの頻度で、長年通院している。現在の主治医は40歳代後半ぐらいの男性。付き合いはもう長い。病気のこと以外でも言葉を交わす間柄だ。昨年暮れの診察時、「まだあちこち講演にいらしてるんですか」と聞かれた。70歳代も半ばとなった当方を気遣ってのことだろう。「講演はそれほどではないけれど、この歳になると、かえっていろいろ頼まれごとが多くなり、外出はけっこうしてます」。ほうっ、というような表情が返ってきた。そこでつい、沖縄返還「密約」情報開示請求裁判の原告団の1員になっている話をした。12月1日の公判で吉野文六元外務省アメリカ局長が証人として出廷し、日本政府の「密約」の事実を証言、テレビも新聞も大きく取り上げたから、この裁判のことは知っているだろう、とする思いもあった。ところが、けげんな面持ちだったので、裁判について少々説明を試みた。すると、事情は飲み込めたとする様子の彼から返ってきた言葉が、「だけど日本はアメリカに負けたんですから、そのぐらいのことはあってもしょうがないんじゃないですか」。意固地で心配性の老人をいたわるような、屈託ない笑顔がそこにあった。

 私は、予想外の答えに拍子抜けしたが、「日本はアメリカに負けたんだからしょうがない」という言葉を反芻するうちに、あらためて驚き、それがだんだん大きくなるのを感じた。私が期待していたのは、「たいへんですね。でもあまり無理なさらないでくださいよ」ぐらいの言葉だったのだろう。しかし、この問題を重要と考え、解決には全力を傾けねば、とするこちらの思いが、まったく通じない相手がそこにいた。私の考えに反対だと、立ちはだかる姿勢ではない。むしろ、些細なことにこだわらず、ゆったりお過ごしになったらいかがですか、とする思いやりが感じられた。暖簾に腕押しだ。このすれ違いに、「医者の専門バカで、これが大事な問題だということを知らないんだ」と理解しようとした。だが、待てよと思った。「世間のたくさんの人が彼と同じように思っているとしたら、こちらのほうが独りで勝手に力んでいるだけで、間が抜けているのはこっちではないのか。どちらが正しいかではない。世間の多数派から見たら、こちらはそういうものとして映る、ということになるのじゃないか」。驚きは静かな衝撃に変わった。アメリカに負けたのはもう64年も前だぞ。しかし、まだずっとしょうがないということなのか。

◆なぜこの時機に「佐藤『核密約』文書」発見か
 驚くことがほかにも起きた。暮れもだいぶ押し詰まった12月22日、読売の夕刊が、「核密約文書 佐藤元首相邸に 日米首脳『合議議事録』」「沖縄持ち込み 存在、初の確認」と、スクープを放った。なんで今この時機にと、まず思った。その大きな記事に並んで、「米国務長官 駐米大使 異例の呼び出し」「『普天間』先送りを了承せず」「与党3党『5月までに結論』」の記事も、2番トップで載った。他紙より格段に目立つ扱いだった。「佐藤『核密約文書』」発見は当然、翌朝の各紙もいっせいに追うところとなり、大騒ぎとなった。これが本当に読売の調査報道の成果としての特ダネなのか、だれかが仕組んだ暴露なのかはわからないが、客観的には、「アメリカに負けたんだからしょうがない」とする記憶のなかで生きてきた多数派の思いを、さらに補強する効果はあったのではないか。いや、「アメリカに負けた」とする記憶が薄れかけたものや、そんな記憶を初めから持っていない、より大きな多数派に、「負けた日本」の記憶をしっかり植え付けるほどの衝撃力を、このスクープは発していた。その効用は、過去の記憶の回復だけに終わるものではない。負けたからにはアメリカのいうことを聞くしかない―今やるべきことにもそれが付いて回っている、とする理解を促しさえするのではないかと思わせた。

 71年の沖縄返還協定調印(返還実施は72年)に2年近くも先立つ1969年、佐藤栄作首相とニクソン米大統領は、ワシントンで日米首脳会談に臨み、沖縄の施政権返還後の米軍基地の運用に関する協議を行った。非核3原則の政策をうち出している佐藤首相にとって、沖縄返還は「核抜き本土並み」でなければならず、アメリカから沖縄の核撤去の約束を得る必要があった。アメリカとしては、返還後も沖縄の基地は従前どおり使いたいとする、軍の意向を押し通す必要があった。実際、アメリカは続行中のベトナム戦争で、沖縄の基地を補給・訓練の拠点としてフルに稼働し、さらに北ベトナムへの空爆に向かうB52を、沖縄から直接出撃させていた。このような状況の下、佐藤首相の密使、若泉敬京都産業大教授とキッシンジャー米大統領補佐官とが秘密裏に接触、表向きの「核抜き本土並み」を米国側が承知する一方、内密を条件に、米国側から見た「重大な緊急事態」が発生したときは、事前協議を経て「核兵器の沖縄への再持ち込みと沖縄通過」を日本が認める、とする合意を、あらかじめまとめていた。こうしてお膳立てされてあった英文「合意議事録」に両首脳が署名、各通を両者が持ち帰ったのがワシントン会談の顛末だったが、佐藤首相の受け取った文書は、彼の死んだ75年、佐藤家で発見され、その後は、彼の次男、佐藤信二元衆院議員(元通産大臣)が30年以上も手元に保管してきた―その間のことは官邸も外務省もあずかり知らない、というのが読売スクープのあらすじだ。

◆「核密約」の背景にある不明朗な政治の実態
 おかしな話だ。私はこのニュースが明らかにした事実と、これを取り扱うメディアの報道・論評の姿勢に、腹が立った。トップ・シークレット(極秘)とされたこの「密約」=「合意議事録」は、そこに記載された約定によれば、米国側はホワイトハウスに、日本側は首相官邸に、保管されることとなっている。文書には職名を併記した両氏のフルネームの署名がある。どうみてもこれは、後代にわたって両国政府を拘束する公文書だ。おそらく米国側には約定どおり、ホワイトハウスに保管されているのだろう。これに対してなぜ日本では官邸に保管されておらず、佐藤首相の私物扱いにされてきたのか。外交上の機密に関し、その内容が関係機関内の責任者らに知悉されていても、その根拠となる文書の公開は一定期間拒まれ、秘密が保たれるということは、制度的にはあり得るだろう。だが、文書が私文書とされ、公的イシューが私事に変えられていたら、当該事案をめぐって生じる相手国に対す外交責任も、国内的な統治行為も、レジティマシー(公的な制度的正統性)を欠くものとなってしまうではないか。官邸も外務省も、よくもまあこんなことを放って置いたものだと、呆れるばかりだ。おまけに佐藤首相は、「非核3原則」を貫いて沖縄返還をかち取ったことを評価され、ノーベル平和賞をもらったが、これでは授賞委員会をペテンにかけたことになりはしないかと、ひとごとながら心配だ。

 沖縄返還「密約」情報開示請求裁判に関わってつくづく思うことは、法廷に出てくる外務省・大蔵省が関係する問題「密約」文書のほとんどすべてが、アメリカの国立公文書館や軍の関係機関から、アメリカの情報公開法に基づいて入手されたものであるのに対して、日本政府からはなにも出てこない情けなさだ。対抗的に保有しているべきそれらの文書について、両省は「不所持」「不存在」を繰り返すだけなのだ。ところが今回、佐藤「密約」の場合は、アメリカ側保管文書としては公開がないのに、日本側から、政府は関係ないぞといわんばかりのかたちで、日米両首脳の「合意議事録」がすっぱ抜かれたのだ。どう考えてもこれはおかしい。アメリカから出てこないのには、情報公開制度上のわけがあり、最高機密扱いでホワイトハウスに保管されたままという可能性がある。あるいは国立公文書館に移管されていても、情報公開指定の対象外に置かれたままということもある。もしそうだとすれば、佐藤家の混乱から、アメリカ側が最高機密としたままでいる「密約」文書が暴露される事態となったのは、とりもなおさず日本政府の失態ということになり、公然か非公然かは問わず、日米両国間の外交上のトラブルとならざるを得ない。ところが、そういう動きに発展する気配がないのにも、首をかしげたくなる。岡田克也外相は、「密約」の公表はよかったなどと、のどかなことをいっているし、民主党の対米外交上の失態だったら、自民党が鬼の首でも取ったみたいに大騒ぎして非難するのに、そんなことも起きない。アメリカも前もって承知していたことなのではないか、とする疑問が浮かぶ。

◆「密約」公開の開き直りと普天間問題のごり押し
 そこで思い返されるのが「日本はアメリカに負けたんだからしょうがない」だ。この「核密約文書」の暴露を思いつき、実行した人たちは、日本国民のそうしたメンタリティーを熟知しており、これを毅然と公表したほうが、かえって多くの日本人に、たいへんなことだったんだ、アメリカのいうとおりにしないとしょうがなかったんだ、と思わせることができると、踏んだのではないか。そして、読売の翌日朝刊に掲載された公表者、次男の信二氏の談話、24日朝刊の1面コラム「編集手帳」、社説「『佐藤』密約 東西冷戦下の苦渋の選択だった」などが、当時の困難な情勢の下、「国益」のためにやむを得ず、真実と異なる「密約」を隠し通し、その苦渋を一身に背負ったのが首相だったと、見ようにもよるが、故佐藤首相を、あたかも歴史の犠牲者でもあるかのように描いてみせる。冗談ではない。彼こそが、沖縄や核をめぐる、いろいろなとんでもない「密約」の原型をつくった張本人であり、日本の対米従属の構造化に道を拓いた元凶なのではないかと、私には思える。ところが、読売のスクープに追随した各紙も、さすがに読売ほど露骨な“佐藤びいき”は見せないが、彼の罪過を鋭く指摘し、批判を加えるかというと、そうではなく、なんとなく故佐藤首相の「密約」を遠巻きにして眺めているだけ、といった感じなのが苛立たしい。今度の「密約」の発覚は、いくら日本が戦争で負けた相手とはいえ、アメリカに対してこんなやり方をしてはいけない、ということを日本国民に実物教育する、恰好の機会なのではないか。新聞はせめてそのぐらいのことはいうべきだ。だが、そういう声が聞こえてこない。これでは新聞が率先、「日本は負けたからしょうがない」の空気をつくり出し、日本人をそれに馴らしつづけているようなものではないか。

 10月のゲーツ米国防長官来日と11月のオバマ米大統領訪日に際して、ほとんどの大新聞が、前政権の対米合意どおりに普天間基地の名護移設を実施に移す、とする態度表明を鳩山政権がすぐしないことを非難、このままでは日米同盟が危機に瀕する、と批判を繰り返してきた。確かに鳩山政権はもたもたしていた。だが、12月15日、政府はようやく、連立政権の3党首会談を経て、拙速の方針決定を避け、2010年5月まで移設方針の検討をつづける、ということにした。そこには、「日本は負けたんだからしょうがない」的な対応を改め、そろそろ今後の日米安保のあり方を根本から見直し、さらに、たくさんの米軍基地が置かれている沖縄現地の人たちの声もあらためてよく聞こう、とする姿勢がうかがえる。既定の合意に縛られずに、普天間基地をどこに持っていけるか、移転先の基地をどの程度の規模、機能を持つものとしてつくるべきか、日本として主体的に検討していこうという姿勢だ。新聞は本来、そうした方向の追求をこそ督励すべきだろう。ところが、読売・産経を筆頭に、大方の新聞は相も変わらず、すぐ移設先を名護に決めないのはけしからん、決めない鳩山政権はアメリカの不信を買い、日本はアメリカから相手にされなくなる、と叫びつづけている。こうした状況に普天間問題が置かれている時機に「佐藤『核密約文書』発見」の一石を投じたものは、そうすることによって、アメリカのこわさ、敗戦国の日本が直面しなければならない現実の厳しさを、あらためて日本人にわからせる必要がある、と考えたのではないかという気がする。そして日本の少なからぬ新聞がそれを、自覚の有無にかかわらず、手伝っているというのが実情ではないのか。

◆歴史転機としての現在―「負けた日本」から新生日本へ
 日本人が、負けたからしょうがないという考え方から抜けきれないせいで、いつまで経ってもアメリカが、勝手なことを日本にいったり、日本でしたりするのだろうか。あるいは、アメリカの勝手をいつも許し、またそれに馴らされ、いつも似たような対応を繰り返してきたせいで、日本人は、負けたのだからしょうがない、とする考え方から抜けきれないでいるのだろうか。現実には、どっちの関係も成立しているように思える。そして、どちらの関係にせよ、もう戦後65年、「55年体制」成立からは55年、冷戦体制崩壊(89年)からでも21年という長い年月が経った今日、それはもう解体されるべきものではないかと、痛切に思う。何によらず、いきなり日米関係を想定したとたん、アメリカ=勝った国、日本=負けた国、と思い描くことは止めなければならないということだ。それは意外とむずかしい。長年のうちに習い性としてきたことだからだ。しかし、努力して頭を切り替え、新しい考え方に意識を集中、21世紀の世界の変化を正確に見通し、その中でアメリカの何が今問われているのか、日本の立ち位置に変化はないか、日本が世界に貢献できる独自の役割は何かなどを、まず自分の頭で考えるようにしていく必要がある。新しい変化へと向かう民主党政権に一縷の望みが託せるうちに、そうした思考方法を確立、政府に変化の課題を呈示し、その実現を促していくことが、今年こそメディアに強く求められている、といわなければならない。メディアがそうした役割を発揮すれば、国民は、1945年に歴史の見方、政治の考え方を根本的に転換したのと同じような体験を、2010年にも味わうこととなり、日本が本当に変わっていくこととなる可能性もある。

 最後に沖縄のことを考えたい。というより、普天間問題を、沖縄にとって気の毒な問題だ―沖縄のために早く解決してやりたい、とするような発想で捉える愚と、この際はっきり決別しなければならない、といいたい。日本人全体が抱く漠然とした「アメリカに負けたのだからしょうがない」というメンタリティーの枠組みの中、沖縄全土の米軍基地こそ、わかりやすい「しょうがない」部分として残りつづけてきた。この事実が示すのは端的に、沖縄の米軍基地がほとんどこのままのかたちで残りつづける限り、日本人全体に、「アメリカに負けたのだからしょうがない」とするメンタリティーが、限りなく再生産されていくということだ。こうした文脈に沖縄問題を置いてみれば、それは沖縄の問題でなく、即日本のあり方全体の問題だということが明白となる。日本の国民全体がそう考えられようになったとき、これまでの日本が新しい日本へと、本当に変わるはずなのだ。
(終わり)

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2009年11月16日

鳩山首相の「東アジア共同体」をどう考えるか

メディアウォッチ(48)2009年11月15日

鳩山首相の「東アジア共同体」をどう考えるか

―日本は独創的な地域統合のモデルをつくれ―

桂  敬一(元東京大学教授・日本ジャーナリスト会議会員)


◆戦前の南洋諸島にいたたくさんの沖縄出身者
 最近、世間に生じる問題について引っかかると、どういうわけか、昔の出来事を思い出し、そこからいろいろ連想することが多くなっている。年のせいだろう。新政権、鳩山首相が「東アジア共同体」という構想を提唱した。その言やよし、と考えるのに伴い、2004年の7月から翌年の9月まで、1年2か月かけて沖縄の琉球新報が毎月1回、計14号発行した『沖縄戦新聞』を思い出した。ちなみにこれは、05年のJCJ(日本ジャーナリスト会議)賞と日本新聞協会賞とを、ダブル受賞した。沖縄戦60年を記念する企画だが、毎号、新聞4ページを使い(05年6月分のみ、沖縄地上戦を扱い、8ページ)、60年前のちょうど同じ日、沖縄はどのようなかたちで戦争に巻き込まれたか、報道のスタイルでその状況を再現してみせたのだ。60年前は厳しい報道管制の下、圧し隠されたままだったその日の真実を、今あらためて全面的に暴露、読むものの怒りと哀切の情を思いきり解放する、迫力ある紙面だった。1945年8月15日、新聞記者として戦争に加担した己が罪を責め、即日勤務先の朝日を辞したむのたけじ記者(故郷・横手市で週刊新聞『たいまつ』を発行する)は、60年後、この『沖縄戦新聞』をみて、「あっ、これだ」、こういうやり方があったのだ―あのとき朝日を辞めるべきではなかった、と後悔する(むのたけじ『戦争絶滅へ、人間復活へ』岩波新書)。

 しかし、私が『沖縄戦新聞』を思い出したのは、戦争の無残な実相を伝えるその着想の卓抜さを知らせたい、と考えたためではない。04年7月7日付発行の『沖縄戦新聞』第1号は、60年前=1944年の同日の「サイパン陥落」の実情を詳しく伝えるかたちをとっているが、米軍の総攻撃を受ける前のサイパン島に日本人住民が約4万3000人おり、その60%を超す約2万6000人が沖縄出身者だった(1937年現在)、という事実を初めて知り、強い印象を受けたことが記憶に残っていたのだ。サイパンだけではない。「南洋群島の歴史」と題したその記事部分には、米西戦争でアメリカがスペインから奪って領土としたグアムを除く、それ以北のミクロネシアの島々、マリアナ、マーシャル、カロリンの3諸島にはすでに35年ごろ、全体で約5万2000人の日本人が住んでおり、うち約2万9000人(55.9%)が沖縄出身者であり、それは39年には4万6000人にも膨れあがっていた、というのだ。もちろんミクロネシアの諸島には、チャモロ、カナカなどの先住民がいる。39年の統計ではそれは5万2000人弱程度だから、そのころになると、日本人のほうが彼らより数が多くなっていたに違いない。だが、被支配層となる先住民と日本人とのあいだに深刻な対立が生じた、といったようすがなかったらしいので、その点にもなにか不思議な感じを受けたことも、覚えている。

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2009年09月15日

政権交代で歴史を変える方向付けはできたか

メディアウォッチ(47)2009年9月14日
政権交代で歴史を変える方向付けはできたか

―新政権囲むメディアの大合唱は「変えるな」―

桂 敬一(日本ジャーナリスト会議会員、メディアウォッチ担当)


◆朝日による「日米関係変えるな」のメッセージ
 「日本では官僚機構が、おおむね8割方の情報を持っている。そうした情報なしに、民主党が『沖縄政策を変える』『インド洋から撤退する』などと言ったら、本当に後悔することになる」、「現行の沖縄に関する政策の実現を延期、あるいは中止することは、非常に危険なことだ」。
 投票日まであと2日、8月28日の朝日・朝刊、オピニオン・ページに載った「アメリカから見る 09政権選択」と題するインタビュー記事の一部だ。語っているのは、「知日派」として鳴らすマイケル・グリーンCSIS(米戦略国際問題研究所)日本部長。これには驚いた。「後悔することになる」とは、新政権となる可能性の高い民主党に向かって、お前は後悔するぞ、と言っているからだ。後の「危険なことだ」も同じだ。「お前にとって危ないことなのだ」と、民主党にのたまうのだ。
 このインタビュー特集には、もう一人登場する。共和党の大物下院議員、ニート・ギングリッチ元下院議長だ。彼も語る。「私の考えでは、国内政策では改革を、外交では継続性を強調した方がいい」、「この選挙で誰が勝とうが米国の指導層はそれを注視し、日本と協力するだろう。・・・誰が新政権を担うのであれ、その人たちと会って話を聞き、経済や安全保障上の問題で前進するための一致点を見いだしたい」。
 これも露骨だ。誰が政権に就こうが、外交政策が変わらなければそれでいい、という話だ。要するに、この二人の話を合わせると、アメリカは、日本に官僚機構がしっかり残っていて、経済にせよ安全保障にせよ、従来どおりの対米政策を変えない限り、今度の選挙で自民党と民主党のどちらが勝とうが、構わないと言っているのだ。
 そしてもう一つ不思議なのが、この時点で朝日がこのインタビュー記事をなぜ載せたのか、という点だ。朝日ほどかねてから2大政党制の実現を待望、その枠組みのなかでの民主党支持をはっきりうち出してきた新聞はない。今回の総選挙を、読売、日経、産経、NHKなどは「政権選択」の選挙と呼び、自民・民主をイーブンに扱う姿勢をみせていたのに対して、これをほぼ「政権交代」の選挙と呼びつづけてきたのが、朝日だった。交代可能な政党は民主党しかない。その民主党のマニフェストは、経済・軍事両面におけるアメリカ一極支配の終焉という認識に立つ、対米関係の見直しに触れる政策を含むものだった。また、朝日自身としても、改憲派の読売、日経、産経とは対照的に、日米2国間における集団的自衛権確立には反対で、護憲派としての立場を守る印象を、これまで読者に与えつづけてきた。その朝日がなぜグリーンやギングリッチに、身勝手なメッセージを投票間近な日本の有権者に、送らせることにしたのかが解せない。それまでの朝日の社説には、二人の話に通じるようなアメリカへの配慮を強調したものはなかったのだ。そうした対米配慮、日米同盟の維持、約束の履行を、解散・総選挙の日程が決まってから繰り返し説き、民主党に強請してきたのは、ほかならぬ読売、日経、産経の方だった。

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2009年08月22日

メディアウォッチ(46)2009年8月21日

メディアウォッチ(46)2009年8月21日

総選挙で国民はどのような新政権を求めているか

―自公政権打倒を目指す野党3党の戦略・政策を聞く―

桂  敬 一(日本ジャーナリスト会議会員、メディアウォッチ担当)


 私たち「マスコミ九条の会」が、今回の公開野党討論会「国民はどのような新政権を求めているか―日米安保・経済再建・市民参加」の企画検討に入った5月中旬は、麻生政権が顕著に内閣支持率を下げだした時期だった。それは6月に入ると、どのメディアの世論調査でも10%台にまで低落した。代わって、鳩山新代表の民主党が急激に支持率を伸ばし、メディアは「政権交代の選挙」、総選挙後の「2大政党制政治」に大きな関心を示し、そうした風を吹かせることに熱中しだした。朝日、毎日のような護憲派メディアも例外でなく、とくに朝日は民主党支持の線での「政権交代」「2大政党制」実現に争点を絞る傾向を見せた。しかし、55年体制が行き詰まり、オバマが世界に変化の衝撃を及ぼしている状況の下での総選挙に、「政権交代」「2大政党制」程度のことを期待するだけでは、私たちは不満だった。今回選挙は大きな歴史的転機をもたらすべきものだ、と思えたからだ。

 自公政権を打倒したあとの新政権の課題は何であろうか。やや大仰にいえば、ペリー来航、明治維新、1945年敗戦、冷戦体制と日米安保体制、冷戦崩壊、米国一極支配体制終焉などにも匹敵する、重大な歴史的転換期に臨み、新しい未来への針路を選択することこそ、その課題であろう。政府は、「9・11」後、イラク戦争とアメリカ主導のグローバリズムに追随、日米同盟の拡大・強化と国内政治経済体制の「構造改革」を押し進めてきた。だが、ブッシュ政権の戦争政策失敗、アメリカ経済の危機の露呈で、従来の対米追随路線の破綻は明白となった。政権を目指すものが総選挙で問われるのは、そのような路線と決別、新しい情勢に対応できる、かつてない画期的な歴史的針路を描くことである。だが、どの政党も、メディアも、口では歴史的な総選挙というものの、その意味、目指すべき目標やそこに至る道筋を、明確に語ることができていない。それならば、そのことを議論する場を自分たちでつくろう、と私たちは考えた。
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2009年07月07日

光当たる新たな沖縄「密約」裁判の歴史的意義

光当たる新たな沖縄「密約」裁判の歴史的意義

―注目すべき第1回公判と報道が掘り起こす新事実―

桂 敬一(元東京大学教授、日本ジャーナリスト会議会員/メディアウオッチ担当)


◆驚かされた裁判長の異例の訴訟指揮
 6月16日、沖縄「密約文書」開示請求訴訟の第1回公判が開かれる東京地裁705法廷の原告席に、私も原告団共同代表の一人として座っていた。初めてのことなので、なにか落ち着かない。弁護団からあらかじめ送ってもらった、当方の「訴状」に対する被告=政府側の「答弁書」は、ちゃんと読んだつもりだが、気になるところがあった。ずいぶん開き直った、傲慢ともいえる文言が何個所か目につき、腹が立ったのだ。できたら、被告席に勢揃いしている政府側代理人に真意をただしてみたい。そういう機会があるのだろうか、と思って、それらの個所に黄色のマーカーで印をつけていおいた。

 たとえば、「答弁書」の最後に記された「被告の主張」の項に、「一般論としては、二国間又は多国間の合意に向けた交渉の過程において仮に様々な文書が作成されたことがあったとしても、それが交渉の最終的な結果である合意自体でない場合等に、事後的に廃棄されることがある」と書かれてあるのには、カチンときた。これまで政府は、この沖縄返還協定「密約文書」の追及に対して、「保有していない」「不存在」、要するに「もってない」一点張りの「主張」を繰り返してきた。現に今回の「主張」も冒頭は、「対象文書をいずれも保有しておらず、・・・原告らが主張する事実関係については確認することができない」とする相変わらずの、木で鼻を括ったような文章だった。だが、今回はそれに、「一般論としては・・・」と、余計な理屈をくっつけてきたのだ。
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2009年05月23日

09年・各紙憲法論調分析

「生存権」中心に「活憲」論勢いづく護憲派新聞


―08年・憲法記念日の57新聞社説からみえるもの―


日本ジャーナリスト会議会員  桂  敬一(メディアウォッチ担当)



62回目を迎えた今年の憲法記念日、5月3日をはさんだ1週間に、「社説」「論説」「主張」などと標示した常設欄や定例コラム、ならびにこの日を意識した企画特集・特別寄稿などに、憲法9条を中心とした新聞各紙の護憲・改憲をめぐる論調動向がどのように出現していたかの調査を、07年・08年と同様、試みてみた。日本新聞協会で閲覧可能な79社83紙について考察を加えた結果、53社57紙・合計部数4407万部(カッコ内は昨年。以下同じ。51社55紙・4437万部)については、上記のような関連記事を通じて、その新聞の護憲・改憲をめぐる姿勢が判断できると考えられた。残る26社26紙は、常設社説欄もないところが多く、当該期間中に憲法をトピックとする記事が少々あっても、その新聞としての姿勢は判断不能と思われた。
 判断可能とした57紙のうち、「護憲」は35紙2491万部・部数比56.5%(35紙2535万部・57.1%)、「護憲的論憲」15紙346万部・7.9%(13紙257万部・5.8%)、「改憲的論憲」2紙6万部・0.1%(2紙87万部・2.0%)、「改憲」5紙1564万部・35.5%(5紙1558万部・35.1%)と分類できた。さらに前2者を護憲派新聞とすれば、それは50紙2837万部・64.4%(48紙2792万部・62.9%)、後2者=改憲派新聞は7紙1570万部・35.6%(7紙1645万部・37.1%)と区別できる。この2区分による改憲派新聞対護憲派新聞の勢力比の変化は微量ではあるが、08年は07年に対して、09年は08年に対して、それぞれ護憲派新聞が比率を高め、改憲派新聞がそれを低落させてきている、といえる。だが、その内容をもう少し詳しく分析してみると、前者の続伸にも不安定要因が認められる。それらの点を以下に考察する。
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2009年04月30日

「草g剛全裸事件」が伝えたものは何だったのか

「草g剛全裸事件」が伝えたものは何だったのか


―海賊対処法案は何ごともなく衆院を通過した―


日本ジャーナリスト会議会員  桂 敬一


 4月23日朝、メール・チェックのため、コンピューターをネット・プロバイダーのウェブ・サイトに接続、ポータル・ページを開けたら、ニュース速報のなかに、タレント、スマップの草g剛が「公然わいせつ罪で現行犯逮捕」とする見出しがあった。また馬鹿タレントが酔っぱらったかなにかして、通りがかりの女性に下半身を露出でもしたのか、と思ったが、本文を開けてはみなかった。ところが、画面を切り替え、そのまま仕事をつづけ、昼近くになったので居間に上がり、昼のニュースをみようとテレビをつけ、NHKにチャンネルを合わせたら、途端に飛び込んできたトップ・ニュースがこの事件だったのには、驚いた。そして、あまりにもくだらないので、腹が立った。そのままみていたら、深夜の通行人などいない公園のなか、泥酔したご当人がたった一人で全裸になり、大声を上げていた、というだけの話ではないか。しかし、近所の住民が気がつき、不審に思って警察に通報、逮捕・連行、留置されるにいたったというのだが、これしきのことでなんで逮捕なのかという疑問が、まず湧いた。意図的な公然行為が歴然としているとか、あるいは麻薬・覚醒剤併用ないし携行、さらにまた交通事故でも引き起こしている、というようなことなら話はわかる。だが、伝えられる程度のことだけだったら、所轄のどの警察署にもある、俗称「トラ箱」、酔っぱらい保護設備内に一晩収容、保護すればいいだけの話ではなかったのか、と思えたからだ。

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2009年03月23日

朝日『広告月報』休刊に感じる時代の変化

朝日『広告月報』休刊に感じる時代の変化


―マス・メディアはもはや「昔を今になすよしもがな」か―


日本ジャーナリスト会議会員 桂 敬一(メディアウオッチ担当)


 この4、5日のうちに溜まった郵便物を整理していたら、朝日新聞から送ってくる広告局の広報誌、『広告月報』の封筒があり、開けたら3月号が入っていた。ところが、表紙裏と目次のあいだに、ペラ1枚の紙が入っており、「今号をもって休刊。今後は、6月からウェッブサイトと予約申し込み者宛のメールマガジンにて情報発信を再開」という挨拶が記載されていたので、なんともいえない複雑な気分になった。天野祐吉・島森路子が編集長として名を馳せた、『広告批評』のこの4月での「休刊」というのと、同じぐらいのショックだ。おそらく一般の人には、馴染みのない刊行物で、不景気や経費節減のせいで、企業宣伝のためのサービスPR誌がここでも消えたか、ぐらいに受け止められるだけだろう。だが、大企業宣伝部の企画・調査関係者や、マスコミ界では広告会社の人たちには、よく知られた広報誌だった。また、出版界でも数年前ぐらいまでは、『広告月報』は、出版動向の情報提供に重きを置いていたせいもあり、またその年末号は決まってその年の出版界回顧を特集、版元や著者、主要な刊行物について値踏みを試みたりしたもので、気になる広報誌だった。さらに、今やテレビ会社の対外向け広報誌のほうがはるかにりっぱになっているが、これらも、媒体は異なるものの、新しいメディア広報誌のスタイルを追求するうえで、『広告月報』は大いに参考になるものだった。なぜ、それほどまでの評価を得ることができたのだろうか。続きを読む
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2009年03月06日

オバマで進歩追うアメリカ、麻生で退化する日本(2)

オバマで進歩追うアメリカ、麻生で退化する日本(2)

―米国の守旧派は日本の政治の自壊を喜ぶ―


日本ジャーナリスト会議会員  桂  敬一(メディアウオッチ担当)


 ローマでのG7、中川昭一財務相「もうろう会見」(現地時間2月14日夕方)の無残な光景は、15日が日曜で夕刊がないため、日本では16日朝刊から報じられた。遠慮会釈なく、問題の場面を暴露した写真は、アメリカのAP通信によるものが、第一報だった(朝日・毎日掲載。日経は出所不明で中川財務相の顔だけ。読売は写真も記事もなし)。つづいてテレビが何度も何度も、彼の表情、しゃべり、動作をつぶさに映し出すなりゆきとなったが、これまた、アメリカのABCが先鞭をつけ、さらにはロイターの動画配信が、またたく間に世界中に醜態をさらけ出していった。日本のテレビは後れを取ったのか、政府に気兼ねして遅くしたのか、報道は控え目だった。そのくせ、辞任が濃厚となると、扱いが派手になり、彼の辞任が決まるや、問題の場面のビデオを、ワイドショーでも視聴者の怒りや嘲笑を誘うように、繰り返し映し出した。この騒ぎにぶつかったせいで、日本「重視」を謳い、就任最初の外国訪問と前宣伝も賑々しかったクリントン米国長官の訪日が、かなり霞んだ。

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2009年01月01日

マスコミ九条の会 年頭随想 正念場・2009年の「初夢」

マスコミ九条の会 年頭随想 正念場・2009年の「初夢」

桂 敬一(「メディアウォッチ」担当)


 昨年は、太平洋戦争開戦2年目で国民学校に入学し、敗戦のときは4年生だった自分と同学年の村木良彦(1月)、筑紫哲也(11月)が亡くなり、おまけに導きの星とも仰いできた加藤周一さんを失い、愕然とする年だった。身の周りから、自分の体温として分かち合ってきたぬくもりが一気に消失、自分の属する時代、そしてそこにあったメディアは、いったいどう変わるのか、それはまるごと失われてしまうのかと、しばし呆然たる思いに駆られもした。

 だが、そうしてもいられない。麻生のバカ総理は、アメリカ発の世界金融危機に悪乗りし、「全治3年の不況」(1973年、福田赳夫蔵相の発言の口マネ)だの、「100年に一度の経済危機」(昨年10月、グリーンスパン元FRB議長の米下院での証言のなかの「100年に一度の津波」発言の便乗借用)、などとほざき、景気対策を口実に総選挙を無定見に繰り延べ、政権維持だけが自己目的化した延命工作に埋没、自力では選挙がやれる状況づくりもできずに、政治的空白を生み出しつづけている。

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