2017年06月19日

政権による公務の私物化を許さない

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載
http://blogs.yahoo.co.jp/shosuke765
労働運動は社会の米・野菜・肉だ。
2017年06月18日
政権による公務の私物化を許さない

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

 国政私物化の安倍政権のもとで、公務員は官邸のごり押しに振り回されている。職務に忠実になるとはどういうことか。国民に対する奉仕者としての任務はどう果たせるのか。公務員であること故の悩みは尽きない。その悩みや言い分は公務員の内部からは出しにくい。それを出させたのが公務員の労働組合だ。

 6月13日、国公労連が院内で開いた集会のタイトルは「加計・森友問題の徹底解明を求め、公務員・行政の私物化を許さない6・13緊急院内集会」。――「『公務員は全体の奉仕者であって一部の奉仕者ではない』(憲法15条)にもかかわらず、『一部の権力者の下僕になることを強いらる』(前川喜平文部科学省前事務次官)事態が続発しています。国公労連は、国の行政現場から、加計学園・森友学園問題の徹底解明を求めるとともに、公務の公正・中立性の確立を求めます」。

 14日付『赤旗』がこの集会の模様を報じている。写真によると会場の席は全部埋まっている。主催者挨拶は岡部勘市委員長。「核心は、政治権力によって公正であるべき行政がゆがめられ、税金が不適切に使われたのではないかということだ。国民の基本的人権、安全・安心を守る公務のあり方を根幹から揺るがす問題だ」。

 全経済産業労組飯塚盛康副委員長は「公務員を下僕のように扱い、問題が起きれば、個人に責任を押し付ける安倍政権に怒りの声をあげよう」と呼びかけた。国公労連鎌田一書記長は「首相官邸が幹部人事を握り、公務員が政権の意向に従わざるを得ない仕組みになっている」と指摘する。

 国公労連の集会案内によれば、このほか「”霞が関不夜城”の過労死ラインで懸命に働く職員への理不尽」「背景にある国家戦略特区と内閣人事局の問題点」などの報告があったはず。また菅官房長官を記者会見で追いつめた東京新聞の望月衣塑子記者も発言したと聞いている。

 労働組合の社会的役割は、企業経営のチェック機能だとおれは思っている。公務員労組の場合は行政のチェックだ。今回の国公労連の取り組みはまさに労働組合がやるべきことをきちんとやったということだ。労働組合の存在感が薄くなっている昨今、国公労連の努力に敬意を表する。
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2017年06月01日

絶対お薦めの本「ともにがんばりましょう」

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載
http://blogs.yahoo.co.jp/shosuke765
労働運動は社会の米・野菜・肉だ。
2017年05月31日
絶対お薦めの本「ともにがんばりましょう」

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

 バリ島在住の光森さんがグループメールで紹介していた塩田武士著「ともにがんばりましょう」を読んだ。著者は1979年兵庫県生まれ、神戸新聞社に勤務後小説家になる。神戸新聞を彷彿とさせる発行部数75万部の上方新聞が小説の舞台。おれが読んだのは講談社文庫で395ページ、740円+税だ。

 多分2010年前後の秋年末交渉。議題は@年末一時金、A深夜労働手当の引き下げ問題、Bハラスメント防止の三つ。組合側交渉メンバーは委員長、副委員長、書記長と4人の執行委員。会社側は労担をかしらに総務局長、各局次長クラスのこちらも7人。10月26日の会社回答から11月15日の交渉妥結まで必死の攻防が続く。主人公で教宣担当の武井執行委員は寝る間もなく奮闘させられる。

 上方新聞労働組合は新聞労連加盟だが、体質は根っからの企業内労組である。組合と対峙している朝比奈労担は10数年前の労組委員長であり、現寺内委員長も退任後は会社中枢を担う人物だ。だから対立しても奥深いところでは信頼感や連帯感がある。しかしだからといって交渉議題での安易な妥協は許されない。数百人の組合員の生活がかかっている。働きやすい労働環境を維持しなければならない。

 おれはこの労使交渉の悪戦苦闘を読んでいて。40年前の毎日労組を思い出した。当時毎日新聞社は金融資本に揺すぶられて倒産の危機にあった。おれは本部交渉員ではなかったが、大住委員長、福島書記長らは、議題や深刻さは違うものの、基本的にはこの小説と同じような立場で苦闘したのだと思う。

 妥結を前にした寺内委員長の言葉が泣かせる。「私はこれまで、情報の海を渡るのに、再販制度、記者クラブ制度、戸別配達でつくられた『新聞』という豪華客船にとって代わるものなどないと思ってました。しかし、90年代半ばよりパソコンと携帯電話が同時普及し、国民の生活の質を変えてしまいました」

 「豪華客船とはまるで違う構造の、船ともポートとも判別がつかない乗り物が、いま情報の海を失踪しています」「(かつての豪華客船は)船底には穴が開き、徐々にその身が沈みつつあります」「しかし、きれいごとを抜きにして我々は生き延びねばなりません。それは単なる生活者としてではなく、新聞人としてです」「こんな時代だからこそ、新聞の存在意義が問われるはずです」。

 新聞労働運動に携わった人はもちろん、新聞に関心を持つ多くの人に読んでもらいたい本だ。
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2017年05月31日

祝・第88回メーデー――私の生い立ちとメーデーB

水久保文明さんのブログ「ヘボやんの独り言」より転載
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17年05月06日
11537 祝・第88回メーデー――私の生い立ちとメーデーB

■水久保文明(JCJ会員 千代田区労協事務局長 元毎日新聞労組書記)

 当時、中卒者は「金の卵」ともてはやされていた。高度成長期にあって、重要な働き手だったからだ。子どもたちは金≠生んだのである。ちなみに、現在すすんでいるNHKの朝ドラ(ひよっこ)は東北地方出身の子どもたちが多いが、九州、四国からの集団就職は大阪、愛知に配属されていた。

 東京に出てきたのは良かったが、仕事を探すのに苦労した。みつかったのは新聞配達だった。集金はなく朝夕の配達だけで宿舎や社会保険も完備しているという。有楽町にあるその新聞販売店に飛び込んだ。前述したように、同じような勤労学生ばかりだった。店は全ての新聞を扱っている「合売店」だった。

 配達先は企業だったため、一般家庭のように早起きは必要ない。販売店が借り上げたアパートから電車通勤で十分間に合った。企業相手の配達は、かなりの量になった。自転車に積むと、自分の背丈ほどになった。当時はまだ路面電車が走っており、雪が降った日はその線路に自転車のタイヤがはまり、新聞ごと倒してしまい泣き≠ェ入ったものである。

 その新聞販売店が、私が労働運動を始めるスタートになったのである。1964年に上京し翌65年に初めてメーデーに参加。ということは、組合活動に参加したのは17歳だったことになる。(自分で言うのも変だが)実にませた高校生だったといえる。

 私がそうなった背景はあった。父の影響である。父の具体的な活動の中身は覚えていないが、一生懸命に労働組合活動をやっていた。当時、炭鉱労働者の組合は「炭労」と呼ばれ総評の中ではいわゆる闘う労働組合だった。父の思想的背景には、九州大学教授の向坂逸郎教授がいた。

 私が炭住街で暮らしていたころ、エネルギーが石炭から石油に変わっていった。そのため炭鉱は次々と閉鎖され、そこで働いていた労働者は職を失っていった。その最大の闘いが「三井・三池闘争」だった。この闘争を指導したのが向坂逸郎氏だと言われている。当時の社会党内にあった、いわゆる協会派である。

 私の父はこれに影響を受けていたのではなかろうか。中学生のころ、「向坂先生」という言葉を幾度となく耳にしたことがある。中身は覚えていない。が、父は向坂理論を糧にして活動していたと思われる。その意味において組合活動は徹底してやっていたし、レッドパージの対象者にもなったのだろう。

 その父の影響が、私の中にあったことは事実だと思う。新聞販売店の待遇改善は当然だと思ったし、組合に入るのに抵抗はなかった。以上、やや長くなったが、私がメーデーに参加するようになったきっかけを述べてきた。その労働運動が今でもつづいていることに、誇りをもっていいだろう、そう考えている。

★脈絡のないきょうの一行
7日・フランス、9日・韓国で大統領選挙。目が離せないぞ。

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祝・第88回メーデー――私の生い立ちとメーデーA

水久保文明さんのブログ「ヘボやんの独り言」より転載
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17年05月02日
11536 祝・第88回メーデー――私の生い立ちとメーデーA

■水久保文明(JCJ会員 千代田区労協事務局長 元毎日新聞労組書記)

 私のルーツは、五島列島にある。だからと言って、五島で暮らしたことはない。聞いたところによると、父の家族が詐欺に遭い田畑すべてを失くし労働者化≠オて、島を離れて手っ取り早い炭鉱夫になったという。私が生まれたときに祖父はすでに他界していたが、父もその兄弟も長崎県、佐賀県、福岡県の炭鉱街で炭鉱夫として働いていた。

 私が生まれたのは、父が戦地・中国から帰ってきた1947年。団塊の世代だ。佐賀県伊万里市の炭住街だったがすでに二人の姉がいた。私が生まれた直後、福岡県直方市に移っている。父は労働組合の活動をやっていたらしく、レットパージを受けている。そのため、炭鉱を転々としている。もちろん、子どもである私も一緒に動いた。

 小学校2校、中学校は3校を経験している。その度に教科書が違い、苦労したことを覚えている。考えてみれば、当時は学校ごとに教科書を決めていたようだ。教師が選んでいたと思われるが、国の検定を受けたものではなく、それが本来の姿ではなかろうか。

 話が横道に外れた。私の下に妹と弟3人が生まれた。「貧乏の子沢山」の典型で、両親は7人の子どもを育てることになったのである。手元に写真家・土門拳の「筑豊のこどもたち」という写真集がある。

 1960年の作品であるが、この中に学校に弁当を持って行けない子供の写真がある。昼食時間に本を読んでいる。私はその子と同じだった。私の場合は学校の図書館に籠った。子どもに弁当を持たせてやれない母の気持ちはいかほどであったか、それを思うと今でも心が痛む。

 そういう生活のなかで、私は小学生の頃から定時制高校に通う、ことを決めていた。したがって中学卒業とともに、集団就職列車に揺られ愛知県刈谷市の鉄工所に勤めた。ふるさとを離れるとき母が見送りにきてくれた。15歳の少年の旅立ちだった。母はずっと手を振っていた。その姿を見て、小林多喜二の言葉を借りれば「泣かさって、泣かさって」仕方がなかった。

 ちょうど今、NHKの朝ドラが集団就職で上京して仕事をする子供たちの姿を描いている。あれとオーバーラップする。私は仕事が終わって、刈谷から(今では)JR東海道線で6駅離れた岡崎の工業高校の定時制に通った。もちろん電車通学は初めてだった。

 ところが、大学に行きたいと考えていた私はショッキングな話を聞かされた。大学に行くには、工業高校は不利だというのだ。悩んだ挙句、普通高校に乗り換えるため当時東京に住んでいた姉を頼って上京した。東京オリンピックが開かれた1964年であった。

(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
祝・憲法制定70年。平和主義はいつまでも元気であってほしい。
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祝・第88回メーデー――私の生い立ちとメーデー@

水久保文明さんのブログ「ヘボやんの独り言」より転載
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17年05月02日
11535 祝・第88回メーデー――私の生い立ちとメーデー@

■水久保文明(JCJ会員 千代田区労協事務局長 元毎日新聞労組書記)

 きのう、代々木公園で「メーデー」が開催された。連合は4月29日に行っており、本来の5月1日はこのメーデーが本家≠ナある。メディアは、「全労連系」という表現をするが、これは間違い。全労連に参加していない組合も含めて、実行委員会を構成し代々木公園に結集するからだ。当然、千代田区労協もここに参加する。

 私は、今年でメーデーには連続53回目の参加となった。初メーデー≠ヘ1965年。まだ高校生だった。定時制高校に通っていた私は、職場の労働環境があまりにもひどく、個人加盟の労働組合に加入していた。職場は新聞販売店だった。

 なぜこの職場を選んだか。定時制高校生にとっては絶好の環境だったからだ。朝刊の配達が終わって夕刊の配達までの間、勉強できたし昼間の大学に通学している仲間にとっては夕刊までに戻ればいいわけで、好都合だった。その新聞販売店には90人近くが従事していた。そのほとんどが、私のような高校生だったり、大学生だったり、大学受験生だった。何故か司法試験の受験生もいた。

 配達地域は千代田区内の大企業が密集する丸の内・大手町界隈、さらに霞ヶ関の官庁街もエリアだった。首相官邸、宮内庁にも配達していた。総理大臣や天皇は私たちが配達する新聞を読んでいた。今でもこの販売店は同じエリアを配達している。

 ここで待遇改善のたたかいが始まった。要求はシンプルだった。今でも残っている所もあるが、新聞販売店は朝刊の配達が終わると朝食が出た。この朝食に「おかずを出せ」というのが要求になったのだ。そのころの朝食は、ご飯と味噌汁、そして漬物だけだった。いわば、おかず闘争≠セ。

 そしてもう一つは、通勤手当をよこせ、だった。学生だから、ということで仕事のための交通費は支給されていなかったのだ。二つのシンプルな要求は共感を呼び、非公然だったが労働組合を十数人で結成した。この組合を軸に「従業員自治会」なるものをつくり、ここが要求交渉に当たった。結果は、なんと100%の要求実現をみたのである。

 ところが、その後販売店は1967年の春から夏にかけて、私も含めて6人を解雇したのである。恐らく組合結成の首謀者と見られたのであろう。6人の内訳は、大学生4人、予備校生1人、そして私は高校生だった。なんと、高校生争議団の誕生≠セったのである。初めてメーデーに参加したのが1965年。その2年後にクビを切られたのである。

(次回につづく)
★脈絡のないきょうの一行
北朝鮮の核実験に、噴火の恐れ(CNN)。アメリカや、イギリス、中国の時にはその懸念はなかった? ヘン。
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メーデー、60年ぶりの不参加

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載
http://blogs.yahoo.co.jp/shosuke765
労働運動は社会の米・野菜・肉だ。
2017年05月01日
メーデー、60年ぶりの不参加

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

 今日は第88回中央メーデー。朝から爽やかな五月晴れだ。もっともお昼頃から天気は不安定になり、雷、突風の惧れもあるという。おれは1958年の第29回中央メーデーから何らかの形でずっと参加してきたが、今年は例の腰痛で残念ながら断念した。おれのメーデー参加歴を振り返ってみたい。

 おれが初めてメーデーに参加した頃は、神宮外苑の絵画館前だった。その後芝公園での開催もあったと思う。60年代初めからは代々木公園に定着した。当時は統一メーデーで、労働4団体や純中立労組もこぞって集まった。デモコースは青山―国会前―新橋までで、6キロはあった。あまりの人数に行進はのろのろで、解散地点の新橋へ着くのは夕方になった。駅前の立ち飲みのビールの旨かったこと。

 統一メーデーは88年の第59回まで続いた。89年に総評解体、連合、全労連発足。そのあおりで分裂メーデーになった。メィン会場の代々木公園は連合に取られて、全労連系は江東区の辰巳緑公演に追いやられた。新聞労連は朝日や読売が全労連メーデーを嫌って不参加。おれが委員長を務める東京地連は組織決定して辰巳緑公園に参加した。参加者はそれまでの1000人から300人に減った。

 その後、全労連系メーデーは90年の夢の島公園を経て、91年からは亀戸中央公園に。毎年代々木公園使用を申し込むのだが都の不当な連合優先措置で認められなかった。デモコースはいくつかあったが、おれたちは浅草終点が多かった。お好み焼きや天ぷら屋での打ち上げ会は結構楽しかった。

 98年はフランスのパリメーデーに参加した。CGTと一部中立系の隊列に参加、リパブリック広場からナシオンまで3時間かけて行進した。こちらも労働団体ごとの分裂メーデーだったが、解散地点は同じように組まれているらしい。解散後のビールで乾杯風景は日本と同じ。屋外テラスで気勢をあげていた。

 連合がメーデー開催日を大型連休最初の休日(今年も4月28日だった)と決めたおかげで、01年からは全労連系が代々木公園でできるようになった。世界的にメーデーは5月1日だと思うんだがね。

 02年に松戸市長選に立候補した関係で、02年から05年まで4年間は松戸メーデーへの参加だった。午後2時から西口公園で集会を開き、デモコースも1キロほど。駅東口で解散し年金者組合の人たちと居酒屋庄屋で懇親会。都内へ出るより数倍楽ちんだがやはりちょっと物足りない。

 05年に新聞OB会代表委員に選出されたこともあって、06年以降は代々木公園の中央メーデーに参加してきた。それが今年途切れた。ああこれで「おれのメーデー」も終わりなのかな。
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護憲的改憲論なるものに与しないぞ

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載
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労働運動は社会の米・野菜・肉だ。
2017年04月30日
護憲的改憲論なるものに与しないぞ

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

 「なるほどそうか」と注目した文章がある。『週刊金曜日』4月28日、5月5日合併号の宇都宮建児氏の小論。タイトルは「新9条論(護憲的改憲論)は有効か」。「(戦争法成立後)自衛隊の存在を憲法に明記し、自衛隊の実力行使に歯止めをかけるべきだという『新9条論』または『護憲的改憲論』が台頭してきている」として、小林節、伊勢崎賢治、田原総一郎、今井一氏らの名前を挙げている。

 おれはこの宇都宮論文を読んで、55年ほど前のある「論争」を思い出した。当時おれは20代前半で250人の輪転職場に2人しかいない毎日新聞労組東京支部執行委員だった。同時に新聞労連東京地連の書記長も兼務していた。警職法改悪反対や60年安保闘争の真っただ中、労働運動の昂揚期だった。

 高度経済成長の波に乗って新聞に面白いほど広告が集まり、それを紙面に載せるため増ページ競争が盛んだった。それは直接労働条件の悪化につながると同時に、広告主への配慮から報道の自由が侵されるのではないか、という懸念もあった。新聞労連は勿論、毎日労組も増ページ反対闘争に取り組んだ。

 その時出たのが「絶対反対か条件闘争か」という議論である。増ページ反対と言ってもどうせ阻止できるものではない。増ページそのものは認めて、労働強化にならないように増員とか休憩時間確保とかの要求を出せばいい。報道の自由については増ページ反対運動とは切り離してたたかうべきだ。

 おれたちは職場集会を基本に、組合大会でも新聞労連の各種会議でも侃侃諤々の議論をした。おれは青年層や新聞労連に結集した他社の仲間とともに、増ページの本質は資本の過大利潤の追求にあり、搾取の強化である。病源は根っ子から断ち切らねばならない、として絶対反対闘争の貫徹を主張した。

 労連共闘、職場闘争を通じてはげしくたたかい、増ページは止められなかったが、結果的に増員や休憩時間を確保させた。言論の自由を守ろうのスローガンのもと、新聞研究活動が大きく盛り上がった。おれたち活動家は増ページを止められなかった挫折感を克服し、原則的たたかいの大切さを噛みしめた。

 『週刊金曜日』に戻る。宇都宮氏と同じテーマで論じた田中優子氏は「軍事力について悩み、議論し、現実と理想の乖離に心地悪い思いを持つ」それが「憲法9条の存在理由である」ときっぱり言い切る。その通りだと思う。

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2017年04月20日

『赤旗』日付欄の元号併記に思う

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載
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労働運動は社会の米・野菜・肉だ。
2017年04月19日
『赤旗』日付欄の元号併記に思う

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)


『赤旗』が4月1日から題字横の日付欄に元号を併記するようになった。何故そのようになったのか。日本共産党のホームページ(4月5日付)に理由が載っている。「今回の措置は、『西暦だけでは不便。平成に換算するのが煩わしい』『元号も入れてほしい』など読者のみなさんの要望を受けた措置です」。

 「読者の要望を受けた措置」というが、元号=天皇制=教育勅語=侵略戦争と連想ゲームのように言葉が浮かぶおれたち年代にとってはそれほど単純な話ではない。共産党ホームページも言っているように、1979年の元号法制定の時、共産党は「天皇の代替わりごとに改元する『一世一元』は、主権在民の憲法下ふさわしくない」として反対しているのだ。その時点から見て元号の本質が変わったとは思えない。

 元号法とは「第1項 元号は政令で定める。第2項 元号は、皇位の継承があった場合に限り改める」というだけの日本で一番短い条文だ。明治憲法下の皇室典範には元号の規定があったが、新憲法や戦後につくられた皇室典範には元号に関しては何もなかった。昭和天皇が高齢になってきて、このままでは彼が死んだ後新たな元号を制定する法的根拠がなくなる。それで大急ぎでつくった法律なのだ。

 確かに元号は、国民の間で慣れ親しまれているとは言える。いま、公文書で西暦だけしか使わないのはパスポートくらいのものだ。役所への諸届けやビジネス文書、学校関係、病院の受診受付などすべて元号で表記する。しかしそれは元号表記が便利で合理的だからではなく、記入用紙が元号で書くようになっているからだ。法律は元号を強制しないとなっているが、実際は強制されているのである。

 おれは今年80歳になるが、2017から1937を引くとすぐ計算できる。元号ではそうはいかない。こんな例は無数にあると思う。元号使用が国民の便利のためとは到底思えない。結局天皇制と結びついた国家権力の国民支配システムの一環なのだと思う。いま、インターネットやスマホ時代の若者の元号離れが進んでいるという。おれはこれから西暦一本化が進むと思うし進ませなければならないと考える。

 なお『赤旗』が元号を併記するのは日付欄だけで、本文は今まで通り西暦のみだという。そうなると読者の「要望」だという「平成に換算するのが煩わしい」「元号も入れてほしい」などの声に応えるためには本文も元号併記しなければならなくなる。それでは歴史を逆戻りさせることにならないか、心配である。
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2017年04月18日

韓国訪問レポート@ 最高の案内人・植村隆さん

水久保文明さんのブログ「ヘボやんの独り言」より転載
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17年04月17日
11526 韓国訪問レポート@ 最高の案内人・植村隆さん

■水久保文明(JCJ会員 千代田区労協事務局長 元毎日新聞労組書記)


 3月23日から25日まで、韓国・ソウルを訪ねた。外国に足を運ぶのは30数年ぶりだ。弁護士の友人に誘われ、慰安婦問題に関心を持っていたこともあって、二つ返事でOKを出した。以下、3日間の行動を報告したい。

 羽田空港を後にして、ソウル・金浦空港に着いたのは午後3時過ぎ。入国までかなり時間がかかる。パスポートの顔写真を確認され、両人差し指の指紋を取られたらやっと自由空間≠ノ入る。同行は弁護士2人、日朝協会の事務局長と私の4人。小回りがきくし、他の3人は何回か韓国には来ており安心。

 預けた荷物が回って来るのを待って、構内から外へ。そこには案内の紙を持った出迎えの人がずらり。我々を待っていてくれた人はすぐに分かった。元朝日新聞記者の植村隆さんだ。植村さんは、週刊文春などによって「捏造記者」のレッテルを貼られ、ネトウヨらの執拗な嫌がらせを受けて、家族も含めて被害に遭った。ご本人自身は予定していた神戸の女子大学で教壇に立つことが出来なくなった。

 植村さんは捏造記者だと報道した週刊誌こそ捏造である、として捏造ではなかったという名誉回復と、被った被害の損害賠償の訴訟を起こして東京地裁と札幌地裁でたたかっている。裁判を起こしたあと、韓国カトリック大学から客員教授として招聘され、裁判をたたかいながら現在は同大学で教鞭を執っている。

 私は植村さんには、宮澤・レーン事件の真相を広める会の取材を受けたときに初めて会った。新聞記者らしく、一つ一つきちんと確認しながら取材するその姿に共感を覚えた。そのときは確か、函館支局長だったはずだ。

 まず金浦空港から、地下鉄で宿泊先の明洞(ミョンドン)のホテルへ直行。案内されたのは明洞聖堂。韓国カソリックの本山である。植村さんのカソリック大学は、ここがバックになっているという。立派な建物である。中に入ってみると、ちょうどミサの時間だったらしく、きれいな歌声が響いていた。さりげなく写真を1枚撮らせてもらった。

 次に「最近できた施設に行きましょう」と明洞の繁華街を歩いてそちらに向かった。途中、広い通りに面したところで座り込んでいる人たちがいた。聞いてみると、ホテルを解雇され抗議中だという。植村さんに通訳をしてもらい、激励してその場を後にした。(次回につづく)

【明洞聖堂】
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【社前に抗議文をかかげて闘うホテル労働者】
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★脈絡のないきょうの一行
共謀罪法案が審議入り。「キノコ違法採取」も共謀罪だそうだ。笑えるけど、怒りたくなる。
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海外旅行・韓国(2009年)

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載
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労働運動は社会の米・野菜・肉だ。
2017年04月15日
海外旅行・韓国(2009年)

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)


 新聞OB九条の会の年間特別企画。タイトルは「日本植民地時代のたたかいに学ぶ」。参加者は藤木(朝日)、清水、斉藤康、榎本(以上読売)、戸塚、岩田(以上毎日)、石坂、斉藤哲、川合(以上日経)、山川(道新)の男ばかり10人。旅行手配はたびせん・つなぐで、添乗員は荒井江梨香さん。

 10月6日朝8時20分に羽田を発って、10時35分にソウル・金浦空港着。空港を出るとその足で西大門刑務所博物館へ向かう。おれは2度目だが他メンバーは初めて。日本植民地時代、独立運動に立ちあがった義士たちが、監禁、拷問、処刑された。展示室には、その模様がリアルに再現されている。

 西大門刑務所を出たメンバーの顔は重くて暗い。2日目はその思いをさらに増幅させられた。午前はバスで1時間半揺られて独立記念館。広い敷地に展示館が点在している。「同胞の試練」館では、1894年の農民蜂起の平定に便乗して日本軍が朝鮮に出兵、王妃閔妃を殺害する情景が趣向を凝らして再現されている。「3・1運動」でバンザイする白い衣服の集団像は凄い迫力。メンバーは言葉もない。

 午後はまた1時間バスに乗ってソウル郊外の「ナヌムの家」を訪問。安信権所長の案内で展示室など所内を歩く。元慰安婦6人が談笑する居間は日当たりのいい明るい部屋。そこで元慰安婦・ハルモ二たちと会見したが、赤や青の原色のブラウスを着た彼女たちはニコニコしていて明るい。一緒に記念写真を撮らせてくれたが、おれたちの方が日本の歴史的犯罪に思いを馳せ、複雑な表情だ。小額だがカンパを置いて施設を後にした。

 滞在3日目の8日は、前2日とはうって変わった楽しい1日。お昼を挟んで午後までテーマパーク「民俗村」。野外のテーブルで、マッコリの上澄みだというどんどん酒をどんどん飲む。帰りのバスはみんな爆睡。南大門市場やタプゴル公園に行ったが人混みの中を歩くのが辛かった。夜は評判の韓国製ミュージカル「ナンタ」の鑑賞。料理人を題材にしたテンポの速い音楽劇で、入場料6000円の価値はある。

 帰国日の9日は世界遺産の昌徳宮(チャンドックン)を見て、仁寺洞(インサドン)を散歩。昼飯に参鶏湯(サンゲタン)を平らげる。夕方の便でソウルを離れ、午後9時半に羽田に着いた。西大門刑務所、独立記念館、ナヌムの家と気が重くなる旅だった。そのため夜の酒宴は気が乗らない、と思いきや、それはそれこれはこれで割りきり、連夜、焼肉とマッコリ三昧の結構なツアーでした。
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過去も米の戦争は空爆から始まった

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載
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労働運動は社会の米・野菜・肉だ。
2017年04月11日
過去も米の戦争は空爆から始まった

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)


 アメリカのトランプ政権がシリアへの空爆に踏み切った。「米『化学兵器を阻止』」「シリア軍にミサイル攻撃」「露が避難『侵略行為』」「市民ら15人死亡 現地報道」(8日付『毎日』)。地中海に常駐している駆逐艦2隻からシリア空軍基地に向けて巡航ミサイル・トマホーク59発を発射したという。

 トランプ大統領は今回の攻撃は限定的なものだと言っているようだが、一度空爆を始めたらそれだけでは終わらないのが歴史の教訓だ。あのアメリカを戦争の泥沼に引きずり込んだベトナム北部のトンキン湾空爆。9・11テロの報復を理由としたアフガニスタン空爆。大量破壊兵器があるとのガセネタで始めたイラク空爆。結局地上軍を投入して本格戦争を始めたではないか。戦争に限定なんかあり得ないのだ。

 さらに恐ろしいのは、今回のシリア空爆が北朝鮮への威嚇だという点だ。北朝鮮が弾道ミサイルを開発していることに対抗して米艦船を朝鮮半島に集め、「すべての選択肢がテーブルの上にある」と広言。シリアの次はお前だぞというわけだ。この挑発行為によって危険に晒されるのは韓国と日本なのだ。

 トランプ大統領は4日のシリア攻撃について、アサド政権の化学兵器による攻撃で犠牲になった子どもの写真を示し「非人道的行為であり、これを防止するための攻撃は米国の利益になる」と言った。彼はアフガニスタンやイラク、ベトナムへの攻撃で死んだ子どもたちは死んで当然と言うのだろうか。

 おれたち日本国民として看過できないのは、こんなトランプの蛮行を日本の最高責任者・安倍晋三首相が「支持」し「理解」すると表明していることだ。北朝鮮への軍事的圧力行為についても9日、トランプ側から申し入れられた電話協議に応じ「緊密に連携して対応する」と即座に約束した。

 安倍首相は電話協議の後の記者会見で「シリア、北朝鮮について率直な意見交換を行うことができた。大統領が同盟国、世界の平和と安全のために強いコミットメンと(関与)をしていることを高く評価した」と述べた。トランプがやったこと、やろうとしていることにもろ手を挙げて賛成したということだ。

 これからシリアでの軍事行動はエスカレートするに違いない。北朝鮮でも何が起こるか分からない。トランプ大統領に隷属を表明した日本。北朝鮮が自国を守るためと称して、日本を攻撃する口実を与えたことだけは確かだ。こんな首相には即刻退陣してもらわなければならない。日本と日本国民の安全のために。
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海外旅行・第2回バリわくわく旅行(2009年)

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載
http://blogs.yahoo.co.jp/shosuke765
労働運動は社会の米・野菜・肉だ。
2017年04月08日
海外旅行・第2回バリわくわく旅行(2009年)

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)


 10〜12人の参加を予定してバリ島旅行のお知らせを出したところ、予想の倍以上の参加希望がありびっくり。光森さんと相談の上、@09年1月25日〜31日、A2月1日〜7日の2班にし、おれは2週間バリに滞在することにした。第1班は東電グループ7人、日立の篠田夫妻、出版の4人とおれで14人。第2斑は新聞グループ8人に全税関の牛越夫妻、松戸の阿南夫妻、塩田さんと友人らで16人。

 宿泊は当然ビラビンタンだけでは収まらないので、隣接するビンタン・プソナ、ビンタン・バリに分宿した。滞在日程は2班ともほぼ同じ。手元に第2班の日程表が残っていたので書き写す。

 第1日=空港お迎え。車でビラビンタンへ。カフェ・ビンタンで歓迎夕食会。反省会の後就寝。
 第2日=朝の散歩。朝食後滞在手続き。街へ出てルピアに両替。ネカ美術館で絵画、彫刻鑑賞。郊外のカンプンカフェで昼食。午後王宮、市場の散策。夕方ケチャダンスを見て、夕食はベベブンギルでアヒル料理。
 第3日=午前中、インドネシア独立戦争英雄墓地。旧日本兵の墓も。マルガラナにある残留日本兵の像も見る。デンパサールで昼食後、パリの父・三浦襄翁の墓参り。ジンバラン海岸で魚料理の夕食。

 第4日=昼飯含め午前中は各自選択コース。@川下り(ラフティング)、Aモンキーフォレスト、Bキンタマーニ高原の温泉プール。午後3時にビラビンタンに帰り、ヒンズーの正装をして村のお祭りへ。
 第5日=夕方まで自由行動(スーパーでおみやげなどの買い物。マッサージ・エステ。コテージのベランダで昼寝など)。6時半からミーティングルーム前の庭で日・パリ交流パーティ。
 第6日=午後3時頃まで自由行動。昼食はカフェ・ビンタンで天ぷらそば。チェックアウトしてビラビンタンにお別れ。クタで夕食をとり、デンパサール空港へ。深夜便でひと眠りして朝7時に成田着。

 長いと思った2週間もあっという間だった。それにしてもよく飲んだな。インドネシアは長い間オランダの植民地だった。地元のビンタンビールはハイネッケンと同じ製造法だという。これがうまい。ワインはスーパーに行くとフランスやイタリアのが売っているが、やたらと高い。バリワインならボトル1000円くらいだ。椰子でつくった地酒のアラックは40度もあるからよほど薄めないと昏倒する。

 バリに残留し独立戦争に加わった旧日本兵の像やお墓があるとは知らなかった。敗戦直後、インドネシア独立の約策を果たせなかったとしてピストル自殺した三浦襄翁の逸話も強い印象が残った。
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35年前を思い出させるトランプのビザ規制

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載
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労働運動は社会の米・野菜・肉だ。
2017年04月05日
35年前を思い出させるトランプのビザ規制

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)


 本5日付『毎日』夕刊1面中段の囲み記事。「米ビザ審査強化 日欧も対象」「トランプ政権検討」。トランプ大統領がアメリカ入国のビザ申請に際し、携帯電話を提出させ、通話履歴などからテロ組織とのつながりを調べることを検討しており、その対象に日本や欧州も含まれるというのだ。

 この記事を読んで35年前のある事件を思い出した。1982年、当時の米大統領は就任2年目のレーガンだった。民主党のカ―タ―を引きずり降ろしたタカ派大統領だ。この年の6月、ニューヨークで国連軍縮総会が開かれることになった。日本からも各団体が大量に代表団を送り込む運動が盛り上がった。

 新聞労連は81年11月に「第1回平和問題全国集会」を開き、反核平和運動に職場から参加していく方針を固めた。82年になって、3・21広島集会、5・15沖縄集会、5・23東京集会とせり上がって最後が6月7日からの第2回国連軍縮総会だった。新聞労連の代表団は井川団長(地連書記長)をはじめ20人。マスコミ代表41人の半数を占めた。ところがいざニューヨークへ行くまでが大変だった。

 5月初めに各代表団はアメリカ渡航のビザを申請したが、総評などのビザはすんなり発行されたのに東京原水協と平和委員会の約200人は認められなかった。レーガン政権は日本共産党員は入国させないという。それにマスコミ代表団もひっかかった。さんざん揉めたあげく渡航寸前にビザはおりたが、原水協や平和委員会などは会議参加を断念した。マスコミ関係も全員共産党員でないとの誓約をさせられた。

 「出版労働者が歩いてきた道」によれば「(出版労連代表の7人は)アメリカ政府によるビザ発給停止の妨害のため出発を遅らせられたが、6月5日、マスコミ文化共闘代表団として出発した。東京原水協代表団などが、ニューヨーク行きを断念してヨーロッパに向かったため、マスコミ文化共闘の役割は重大となった」のである。

 その後日本共産党の幹部もアメリカに行けるようになった。現に今年の3月27日からニューヨークで開かれた「核兵器全面廃絶につながる、核兵器を禁止する法的拘束力のある協定について交渉する国連会議」という長い名前の会議に日本共産党の志位和夫委員長ら幹部が出席している。

 歴史は繰り返すといわれるが、今回のトランプ大統領のビザ規制は35年も歴史を後戻りさせることにならないだろうか。
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海外旅行・ギリシャ、エーゲ海(2008年)B

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載
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労働運動は社会の米・野菜・肉だ。
2017年04月03日
海外旅行・ギリシャ、エーゲ海(2008年)B

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)


 9月19日朝7時半、クルーズ船オーシャン・カウンティス号は、5日前に出航したピレウス港に戻ってきた。もうチェックアウト手続きは済んでいる。朝食を済ませると早々に下船だ。

 下船に当たってテープに「これで4泊5日の『魅惑のエーゲ海クルーズ』も終わりです。かなり贅沢な5日間でしたが、なんとなくお仕着せの贅沢という感じで、手づくりのものが感じられなかったように思います。ま、金で買える贅沢というのこんなところだろうね」と感想を吹き込んだ。

 バスが待っていて、コリント運河や遺跡のあるミケーネへ向かう。確かに広大な遺跡だ。中央の礼拝堂跡みたいのところで、白い衣装の巡礼団のような人たちが厳かな歌声で祈りをささげていた。遺跡の中を強制的に歩かされてほとほと疲れた。昼食はアテネ市内に戻って魚料理で白ワインを飲む。

 昼食後、5日前に泊まったスタンリーホテルへ。3階の客室の窓から道路を見下ろすと歩行者が見えるが、やたらに肥っている人が多い。若い女性はスタイルがいいんだけどね。街中で感じたのは、道路で携帯を使っている人がほとんどいないことと自動販売機がないこと。いいことだね。

 ただし車は怖い。道路を横断しようとすると、赤信号でも車が突っ走ってきて危ないことおびただしい。ガイドさんの説明によると、ギリシャ人は普段のんびりしているが、ハンドルを握ると人格が変わってしまうのだそうだ。ギリシャ最後の夜はホテルの屋上レストランでわいわいがやがやと過ごす。

 20日の朝7時半にバスでホテルを出発、アテネ空港へは約1時間。10時30分発のトルコ航空機でまずイスタンプールへ。正午に着いて、17時10分発の便まで空港内で時間を潰す。その間なにをしたかしかとした記憶はないが、売店やレストランをうろつきまわって多分ワインとブランデーを飲んでいたのだと思う。イスタンプールから成田までは約12時間。21日午前11時に成田に着いた。

 ギリシャに行ったのはこの旅行だけだし、トルコにはその後行っていない。ギリシャはその後金融危機で大騒ぎになった。緊縮政策に反発する労働者や市民のデモがアテネを埋めたと報道された。トルコもイスタンプールでの再度のテロ事件など物騒な国になっている。あの頃170円もしたユーロが今は120円を切っている。世界はわずかな時間にも思いもよらぬ変化があるものだと実感する。

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2017年04月01日

「共謀罪」と過去2件の治安立法

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載
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労働運動は社会の米・野菜・肉だ。
2017年03月31日
「共謀罪」と過去2件の治安立法

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)


 3月21日、「共謀罪」法案の国会上程が閣議決定された。これから国会内外で熾烈な攻防が始まる。過去3回も国会に提出され、猛反対にあっていずれも廃案になった戦後最悪の治安立法だ。国民の大運動で叩き潰すためにも、歴史の教訓として、戦前戦後の二つの同種法案について触れたいと思う。

 一つは1922年(大正11年)に高橋是清内閣が国会上程した「過激社会運動取締法案」である。17年のロシア革命に刺激され、日本でも大正デモクラシーと呼ばれる民主運動が盛んになる。特に20歳以上の男子全てに選挙権を与えるよう求める普選運動が全国に広がる。これを阻止するためだ。

 この法案は余りにも露骨だったため、労働組合や言論界が中心になった反対運動で廃案になり、高橋内閣は総辞職する。《ちなみにこの年の7月15日、堺利彦を委員長とする日本共産党が誕生》。政府は過激運動取締法を治安維持法と名前を変えて25年(大正14年)2月、普通選挙法と同時上程し、成立させた。

 二つ目は戦後16年経った1961年(昭和36年)2月に池田勇人内閣が国会に上程した「政治的暴力防止法案(政暴法)」である。いうまでもなく前年は安保反対闘争で全国的に労働者、農民、市民の運動が燃え広がった。安保改定は強行されたが岸内閣は総辞職し、日本の革新運動は絶頂期を迎えていた。これを抑えるべく「テロ行為を防止するため」と称して自民党が議員立法で国会に上程した法案である。

 法案は政治的暴力行為を「政治上主義を推進して、殺人、傷害、逮捕監禁、強要、器物損壊、政府中枢施設への不法侵入による暴行」「特定人物を殺害することの正当性を主張する行為」と規定。さらに「将来継続または反復して政治的暴力行為を行う明らかな恐れがある団体」「殺人を犯した政治的暴力団体」「将来または反復して殺人を行う明らかな恐れがある場合」は団体解散などの規制ができるとした。

 法案上程の62年2月当時、おれは24歳で新聞労連東京青年婦人協議会議長。7月からは地連書記長(非専従)になった。連日国会周辺の政暴法反対デモに新聞労連旗とハンドマイクを担いで参加した。ある日のデモでは首相官邸前で機動隊に分断され、孤立して道路に座り込んだ。しばらくしたら「部隊で排除する」との宣言と同時に警棒で小突きまわされながら虎ノ門の特許庁前まで押しまくられた。

 ハンドマイクは壊れ、履いていた下駄のハナオは切れ、裸足で新橋まで歩いた。そんなたたかいがあって政暴法は衆議院では可決されたが、参議院で採決されずに廃案になった。

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2017年03月28日

海外旅行・ギリシャ、エーゲ海(2008年)A

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載
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労働運動は社会の米・野菜・肉だ。
2017年03月28日
海外旅行・ギリシャ、エーゲ海(2008年)A

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)


 9月16日、クルーズ2日目。朝の7時にトルコのクシャダスに寄港。港からバスでエフェソス遺跡に向かう。ここは11年前に佐藤一晴さんやゴリちゃんたちと来たところだ。西暦前にこんな建造物をつくった連中は物凄いと思うが、2度見せられると疲れもあってうんざりする。早く船室で昼寝したい。

 遺跡見物がやっと終わって正午に船に戻りレストランで昼飯。ワインの酔いでいい気分になりしばらく昼寝。午後4時に放送で集められ、聖ヨハネが黙示録を書いたというパトモス島に下船。ヨハネが籠った洞窟があるというのだが、かなり歩くらしいのでおれはパス。港のベンチで時間をつぶした。

 午後7時に帰船、キャビンの窓からエーゲ海に沈む夕日を撮った。ディナーは「グリークナイト」といって、ギリシャ国旗の白と青をどこかにまとわなければならない。おれは青いジャケットと白いワイシャツにした。バイキング形式の料理とビール、ワインの飲み放題、音楽とショ―で楽しかった。

 一晩中航海して、次の寄港はロードス島。目が覚めたら港の中だった。朝飯を食べて甲板に出たら船が接岸するところだった。ロードス島は騎士団で有名。騎士団通りとか騎士団長の家とかを見る。今まで寄った島の中では最も大きい。海岸にはデッキチェアが並んでいたが、人っ子一人いない。

 午前中でロードス島見物を終え、船に戻って昼飯。例の飲み放題のカードのモトをとるためワインをガブガブ。午後は船内をぶらぶらしたり昼寝したりデッキで浅田次郎の「王妃の館」を読んだり。夕食のドレスコードは「フォーマル」。おれは和服を着て足袋を穿いた。田中さんが誕生日のお祝いを受けた。

 9月18日、朝起きたらクレタ島の港だった。朝飯後下船し、バスで島内観光。クノッソス宮殿といっても土台だけ。11時に戻って昼飯。ワイン2杯。なんとか例のカードはモトをとれそうだ。午後は最後の寄港地サントリーニ島へ。活火山の島だ。最近では1956年に大噴火があったという。怖いね。

 最後の夕食はグループ毎のテーブルが用意されていて服装もカジュアル。メモにより、これまでの飲み物料金を合算したらめでたくカード代をオーバーした。グループだけのテーブルなので気兼ねなく騒いで、食事後はホールで南洋の踊りを楽しんだ。船はサントリーニ島を出航、帰路についた。

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2017年03月26日

「森友」の本質は忖度と縁故主義

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2017年03月26日
「森友」の本質は忖度と縁故主義

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)


 3月25日、日本維新の党の松井一郎代表は「(『森友』問題で)首相が火に油」を注いでいると安倍晋三首相を批判した(26日付『毎日』)。これは、23日の森友学園・籠池泰典理事長の証人喚問で「はしごを外した犯人は松井知事だ」と名指しで非難されて頭にきた八つ当たり的発言と見られる。

 松井氏は「(今回の問題は)贈収賄のような事件ではない」「良いそんたくと悪いそんたくがあるが、(今回は)悪いそんたくではない」「火に油を注いでいるのが安倍総理だ。そんたくはあったと、はっきり認めるべきだ」などと述べている。確かに森友学園側から多額の賄賂が政界に流れている痕跡は薄い。

 しかし@国民の財産が議員や高級官僚の「そんたく」によって不当に値引きされたこと、A小学校開校申請が知事の「そんたく」によって認可の便宜がはかられたこと、は容易に推認できる。たとえこの間に金が動いていなくても、やはり疑獄の一種なのではなかろうか。では彼らの忖度の動機は何なのか。

 この問題についての鋭い指摘をネットで読んだ。アフリカ研究者・舩田クラ―センさやかさんである。ちょっと読みにくい文章なので要約して紹介する。

 「これは典型的なネポティズム(縁故主義)で、アフリカの独裁者が使う手法です。つまり権力を握る者(大統領夫人を含む)が、近親者に次々に便宜を図ることです。長期政権は腐敗し、ネポティズムがはびこります。反対派国民を大虐殺したことで有名なルワンダの大統領は、IMFの緊縮政策で悪化した民衆の不満をヘイト的行動に誘導して、民主化運動による政権崩壊を回避しようとしました。

 森友騒動で分かったのは、政・官・財・教育・宗教・地域を巻き込んだ『戦前戦中社会の復活運動』が改憲を頂点に着々と進んでいるということです。この運動に関わることで縁故者になれ、様々な便宜が図られるという構図なのです。運動である以上大切なのは「思想」で、必ずしも金銭授受は必要としません。『仲間意識=縁故』とそれへの『恩・従』は不可欠で、『親分子分関係』と呼ばれる所以です」。

 縁故・近親者ほど、一度「縁」が崩壊すると憎しみは百倍にもなる。籠池夫妻と安倍夫妻、松井一郎、稲田朋美、籠池証言ではあの葛西敬之の名前も飛びだした。ルワンダ時代のアフリカを彷彿させるではないか。
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2017年03月24日

海外旅行・ギリシャ・エーゲ海(2008年)@

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載
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労働運動は社会の米・野菜・肉だ。
2017年03月24日
海外旅行・ギリシャ・エーゲ海(2008年)@

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)


 このツアーも田中恭一さんの呼びかけ。目玉は4泊5日のエーゲ海クルーズ。参加者は添乗員(富士旅行社)を含めて24人。うち男性7人。女性が圧倒的に多い。2年前に亡くなった都労委事務局の細見さんの奥さん令子さんも。新聞関係はおれと石坂政雄さんだけ。旅行中ずっと同室だった。

 9月12日、成田発12:50のトルコ航空51便でイスタンブールへ。約13時間。時差6時間。現地時間18:50にトルコ・アタチュルク国際空港着陸。おれは2度目のトルコだ。トランクを受け取って19:50にはバスに乗れた。ポルポラス海峡のヨーロッパ側にあるクリスタルホテルに泊る。

 翌日は朝早くホテルを出て市内観光。ブルーモスク、アヤソフィア、トプカプ宮殿、大バザール。すべて11年前の97年5月に1度来たところだ。夕方17:00にイスタンブールを発ってアテネには18:25。バスで市内のスタンリーホテルに着いたのが午後8時半。ホテルのレストランで夕食。

 14日はアテネ市内観光。見どころは何と言ってもアクロポリスの丘。丘というだけあって足場の悪い道をかなり上らされる。遺跡は部分的に修復中で布を被っている。とにかく暑い。早く丘を降りて冷たいビールを飲みたい。「日曜日はダメよ」の国だけあって開いている店は少ない。夕食は今夜もホテルの屋上につくられたレストラン。夜景を見ながらビール、ワイン、ブランデーをがぶ飲み。うまくて安い。

 昨夜、帽子を席に忘れたが翌朝ちゃんと届けられた。さてエーゲ海クルーズ乗船の日だ。バスでピレウス港へ行き10:30、クルーズ船「オーシャン・カウンティス号」に乗船。総トン数17.593トン/全長163m/ 全幅23m/プール/400席のラウンジ/巡航速度17.5ノット/最大乗客数800人。5日間ビール、ワイン、ドリンク飲み放題のカードを72ユーロで買う。安いのか高いのか。

 11:00出航。避難訓練とか説明会とかあって、夕方5時に最初の訪問島ミコノス島に上陸。エーゲ海に浮かぶ白い宝石と言われている。白い壁の家と教会、白い石畳の迷路、骨組みだけの風車、ペリカンもいた。行列の後について歩く。海岸の露店に並んだロブスター。いつかテレビの旅行番組で見た風景だ。19:30にミコノス島を離れて船に戻る。船内の夕食はなにしろ飲み放題なので殿様気分だ。
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2017年03月22日

聞け!過労死遺族の悲痛な叫びを

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載
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労働運動は社会の米・野菜・肉だ。
2017年03月22日
聞け!過労死遺族の悲痛な叫びを

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)


 月100時間の過労死ラインを認める「労使合意」が大問題になっている。全労連をはじめ労働組合、労働弁護団はもちろん、一番声高く怒っているのは過労で家族を亡くした遺族の方々だ。3月15日に開かれた労働弁護団主催の集会で「東九州過労死を考える家族の会」の桐木弘子さんは悲痛な声をあげた。

 「私は9年前、過労自死で、23歳の息子を亡くしました。大手自動車会社の整備士だった息子は、転勤後わずか4カ月半後に、『工場長、使えない人間で、すみませんでした』という遺書を残して、自ら命を絶ちました。繁忙期の一番忙しい時期に転勤させられ、息子は戦力として働かされて、重大なミスをおかしてしまいました。周りの支援もなく、自信をなくして、精神疾患を発症したあげくの自死でした。

 自分の命にかえても守りたいと思って必死に育てた我が子が、仕事が原因で自死するときの衝撃は想像を絶するものでした。最愛の我が子を救えなかった自責の念と絶望、喪失感など、とても言葉で言い表せない苦痛でした。子どもに先立たれた母親の悲嘆が一番大きいと言われていますが、もっと苦しくつらかったのは息子本人です。死を決心したとき、どれだけ苦しんだのか、死を決行したときどれだけ痛かったのか。仕事から逃れる方法がそれしか思い浮かばなかった息子がかわいそうで今でも胸が詰まります。

 国会では、時間外労働の上限を繁忙期に100時間まで認めるという恐ろしい法律が制定されようとしています。たとえ100時間未満ととりつくろっても99時間と100時間にどれだけの違いがあるのでしょうか。この法案を通そうとしている人たちは、100時間の時間外労働がどれだけ過酷なものか認識しているのでしょうか。

 過労自死は、仕事が原因でうつ病に罹患することによって死に至ります。過労死ラインを合法化し、死ぬかも知れないとわかっている労働時間を働かせたあげく、死なせることがあれば、まさに殺人であると私は考えます」(「弁護士ドットコム」で紹介された集会アピールより)。

 おれたちが労働組合運動に首を突っ込んだ時、一番最初に目にしたスローガンは「職場を基礎に、いのちとくらしを守ろう」だった。過労死ラインを認めるろ「労使合意」には、職場労働者の苦痛も、いのちの大切さも感じられない。これはまぎれもなく社会の退行であり、組合存立の意義の喪失であるとおれは思う。

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2017年03月20日

海外旅行・南フランス(2007年)B

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載
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労働運動は社会の米・野菜・肉だ。
2017年03月20日
海外旅行・南フランス(2007年)B

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)


 27日、朝の9時にサルラ・ラ・カネダをバスで発って1時間半、フランスで最も美しい村といわれるサン・シル・ラポピーに着いた。山の中腹に木造の色鮮やかな家々が並んでいる。昔は村人の住居だったんだろうが、今はレストランや喫茶店になっている。その1軒の狭いレストランでランチを食べた。

 午後はさらに1時間半バスに乗ってコルド・シュル・シェルへ。通称「天空の城塞都市」と呼ばれている。確かに見晴らしのいい高台だが、これといった見ものはない。2時間近い滞在は退屈だった。夕方17:30にアルビに着いて、ホテル(メルキュール・アルビ・バスティドゥ)にチェックイン。夕食は7時から。レストランまで歩いて、蟹肉のスープとポークフィレソテーで白ワインを飲んだ。

 フランスは10月28日から冬時間に切り替わる。昨日までの朝9時は8時ということになる。というわけでゆっくりホテルを出て、まずロートレック美術館へ。その後教会を二つばかり回ったが、バスの中でガイドさんが説明した中世のカタリナの話が面白かった。権力と結びついたキリスト教が新興宗教のカタリナに対抗して、権威を示すためにでかい教会をつくったんだそうだ。こけ脅しだよな。

 昼食は、航空機製造の大都市トゥールーズで三々五々各自で食べる。エールフランスの組合がストライキに入っていてパリへの国内便が心配されたが、われわれの便は時間通り飛んだ。20:05パリ・オルリー空港に着く。ホテルはコンコルド・モンパルナス。名前は立派だがそれほどのことはない。

 29日は終日自由行動だったが、朝から土砂降りの雨。みんなそれぞれ前から予定していたらしく、さあっと散っていった。おれはこれも予定のない女性と2人で、エールフランスOBに美術館を二つ案内してもらった。夕食は例の「牡蠣の三段重ね」を食べたが、40ユーロもとられた割には物足りなかった。

 30日は帰国の日。午前中エッフェル塔の真下から出航するセーヌ川クルーズに乗る。ノートルダム寺院のあるシテ島をぐるりと回って出航地点に帰ってくる約2時間の船旅。昨日とは打って変ったいい天気で、ゆったりとパリ最後の時間を過ごせた。午後8時にホテルを出て、ドゴール空港着20:45。

 23:25発のAF278便で一路成田へ。成田着10月31日午後7時。南フランスという今までとちょっと異質なフランスに接した8日間。カモ料理とワインを満喫した結構な旅でした。

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