2016年11月27日

横山秀夫「64(ロクヨン)」を読んだ

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載
http://blogs.yahoo.co.jp/shosuke765
労働運動は社会の米・野菜・肉だ。
2016年11月26日
横山秀夫「64(ロクヨン)」を読んだ

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)


 バリ島往復の機中で読むために何がいいか。お茶の水駅前の丸善の文庫本売り場でふと目に止まったのがこの本。横山秀夫著「64(ロクヨン)」。文春文庫上巻355ページ、下巻429ページ、ともに税抜価格640円。あそうか今気がついた。「64」だから640円なのか。洒落たことするな。

 どこか特定してないD県警が小説の舞台説。帯の惹句「ミステリー界を席巻!究極の警察小説」(上巻)、「怒涛の展開、驚愕の傑作ミステリー」(下巻)。俺の読後感で言えば何が「究極」で何が「驚愕」なのかよく分からないが、ま、面白いのは面白かった。著者は元上毛新聞記者だ。

 それにしてもD県てどこだろう。著者が上毛の記者だったというから群馬県警かな。そしたら最近のネットニュースで千葉県警が強姦犯人の千葉大生の氏名を匿名で発表して問題になっていた。なるほど千葉県警もあるな。いずれにしても作中に東京新聞記者が出てくるから首都圏ということになる。

 主人公はD県警の広報官。腕のいい刑事だったが、不本意な人事で畑違いの部署に回された。広報官はマスコミ対策が仕事だ。広報室は記者クラブの隣にある。何かというと記者たちが押しかけてくる。記者クラブには朝日、毎日、読売、東京、産経など実在社のほかに東洋新聞、地元のD日報と全県タイムス、地元テレビ局のDテレビ、ラジオのFMケンミンが入っている。記者クラブの描写はさすがリアルだ。

 これらのメディアのうち作中で主な働きをするのが架空の東洋新聞で、キャップの秋川とサブキャップの手嶋。秋川は記者クラブを扇動して主人公の三上広報官を攻めたてる。広報室と記者クラブの対立の種は交通事故の加害者の名前を匿名にしたこと。加害者の主婦はD県の公安委員会の大物委員の娘だから県警としては発表したくない。記者クラブは怒って本部長あてに抗議文を出すと息巻く。

 そんなこんなで揉めてる最中に誘拐事件が発生する。東京から応援の記者がどっと駆けつける。D県警は喧噪の渦だ。事は誘拐事件だから犯人が捕われるか、被害者が見つかるか(死体の場合もある)するまで報道規制しなければならない。警察幹部、キャリア組、広報室と100人を超えるメディア関係者のつばぜり合いが始まる。この辺のストーリーの進め方はスピード感と熱が籠っていて迫力がある。

 県警と本庁の権力争いが背景にあるが、警察の内部のことなのであまり興味が沸かない。事件報道とマスコミの使命、国民の知る権利にどう応えるのか。それが問われる小説だったと思う。
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2016年11月24日

海外旅行・バリ島(2002年)A

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載
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労働運動は社会の米・野菜・肉だ。
2016年11月24日
海外旅行・バリ島(2002年)A

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)


 カンプンカフェで昼食。棚田を概観できる観光レストラン。メニューを見て「チンプンカンプン」と言って皆の笑いをとる。1時間の昼食の後はネカ美術館へ。地元の有力者ネカ氏が開いた美術館で大きくて質も高い。光森さんの解説でじっくり鑑賞。夕闇の前に白鷺の村へ。無数の白鷺が木に止まっている。白い花が満開になったようだ。きれいだけど地元の人は糞の始末で大変だろうな。

 夕食後はケチャダンス。50人を超す上半身裸の男性が「チャッチャッチャ」との口伴奏で唄を歌う。お姫様と悪魔が入り乱れて争うが、最後は悪魔が退治される。黒光りする裸の群像は凄い迫力だ。ラストで火のついた棒きれを振り回したり踏みつけたりする。一種のカルチャーショックで興奮したね。

 28日は車に分乗して遠くのお寺のお祭りに行って、帰りに道端の露店でドリアンを買った。午後ビラビンタンのミーティングルームでドリアンパーティをやった。食っているうちは甘くておいしいのだがしばらくすると強烈なウンコの臭いがやってくる。みんなキャーキャー言いながらも喜んで食った。

 夕方、うちの女房が雨の道路で滑って足腰を打った。29日はみんな川下りやおみやげ屋に出かけたのだが、おれたちは残って、光森さんに呼んでもらった地元の診療所の日本人看護師さんの手当てを受けた。傷は大したことはなくほっとした。午後、コテージで休んでいると物凄いスコール。やはり南国だ。

 その夜は小豚の丸焼きを囲んでお別れの「日パリ交流パーティ」。みんな歌って踊って賑やかに騒いだ。この模様がテープに撮ってあるが、この3年後に亡くなる小倉さんの「今日の日よさようなら」の替え唄が入っている。感慨無量だ。おれは音痴の声を張り上げて「可愛いあの娘」を歌った。

 バリ最後の30日、みんな正装して近くのお寺のお祭りに行った。お祈りしている寺院の境内に特設された競技場で闘鶏が行われており、鈴なりの人だかりだった。光森さんに聞くと結構な額を賭けているそうだ。人びとの頭越しに覗いたら、白と茶色の鶏が争っており、白が負けてひっくり返ると歓声が上がった。闘鶏の傍では数人が車座になってカード賭博のようなものもやっていた。

 マイクロバスで空港へ行く途中のジンバラン海岸に寄り、魚のバーベキューを食べた後、それぞれの航空便で帰路についた。成田へは12月1日の7:30に着いた。

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2016年11月21日

豊友会はおれのライフワーク

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載
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労働運動は社会の米・野菜・肉だ。
2016年11月21日
豊友会はおれのライフワーク

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)


 昨夜地元の地酒の会「豊友会」の例会があって43人が集まった。今回が169回。立ちあげが1988年3月だからもうすぐ29年になる。おれは2002年3月17日の第81回からの参加。当時おれは松戸市長選(6月23日投票)に立候補して選挙運動中だった。五香・白樺書店の青柳さんが、なるべく地元に顔を売っておいた方がいいといって連れて行ってくれた。何しろ酒の会だ。すぐ溶け込んだ。

 おれが入会した年、豊友会は鴨川の大山千枚田友の会に入った。田植え、草刈り、稲刈り、収穫祭には10〜15人が2時間半かけて鴨川まで出かけた。これらにほぼ毎回参加するうちに会の運営の集まりにも呼ばれるようになる。09年1月から10年12月の2年間は第11代会長もやらせてもらった。

 会長といっても乾杯の前に挨拶するくらいの役目しかないが、おれはそれなりに会のために働いた。まず黄色の生地に黒く「豊友会」と縫いとりしたノボリをつくった(もっとも縫いとりしたのは女房だが)。08年からは常盤平桜まつりに合わせて「花見の会」を催し、おれが下準備した。

 09年には6月と12月に箱根の毎日新聞強羅保養所で親睦旅行をやった。この世話人活動は結構手間ひまがかかったがその分参加者に喜ばれた。12人と15人が参加した。小田原「だるま」で食った昼食の鯵寿司も忘れられない。11年10月には大山千枚田の人たちも加わって18人参加という盛況だった。富士山が見事だった。ちなみにこの2年後、強羅保養所は健保組合の都合で閉鎖されてしまった。

 会長を降りて、かねてから考えていた交流会報づくりに着手した。新松戸に住んでいて地元の地域誌にエッセイを書いている大井さんに相談。やってみようということで11年3月に『豊友』創刊号を発行した。A5版4ページ100部。2号までは事務局の友野さんに刷ってもらったが、3号からはおれが自分で刷ることにした。カラー印刷にして写真をふんだんに使い見やすくした。

 友野さんと相談して作成経費として1部あたり4ページ10円、6ページ15円、8ぺーじ20円もらうことにした。それでも赤字かも知れないが、半分おれの趣味なのでそれで十分だ。『豊友』は今年の11月号で37号になった。継続は力なりというわけで、すっかり会に根付いている(と自賛している)。

 というわけで豊友会はおれのライフワークになりそうだ。昨夜もさんざん酔っぱらった。自転車では危ないので女房に車で迎えに来てもらった。ますます女房に頭が上がらなくなるが命には替えられない。
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2016年11月19日

海外旅行・バリ島(2002年)@

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労働運動は社会の米・野菜・肉だ。
2016年11月19日
海外旅行・バリ島(2002年)@

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)


 その後10回も行くことになるバリ島旅行の第1回目。当時のたまたま会に元神戸新聞労組委員長・新聞労連中執の光森史孝さんが参加していて、しきりにバリの素晴らしさを語っていた。光森さんは数年前からバリ島ウブドにコテージを建て、半分移住のような形で生活していた。その話を聞いてたまたま会のメンバーでバリへ行こうじゃないかという話になり実現したのがこのバリツアーだった。

 参加者は関西空港組と成田組に分かれ、それぞれ02年11月25日に日本を発ち、ウブドで落ちあうことになっていた。成田組は小倉三千雄さんと斉藤哲成夫妻、それからおれと女房の5人。成田発16:05のJAL便でデンパサールに向かう予定。ところが急に欠航だという。機体故障とかなんとかあいまいな理由をあげているが、ほんとは搭乗予定者の大量のキャンセルのせいではなかったか。

 何故キャンセルがそんなに出たのか。バリ島ではこの旅行の直前に繁華街のクラブで爆弾テロがあり、白人を中心に100人以上の犠牲者が出た。それで日本からの観光客もがた減りした。このたまたま会バリツアーも予定者のキャンセルが出ていた。結局18:55発の香港行きに乗りその夜は香港泊まりとなる。

 翌朝9:55発のJALでデンパサールへ。デンパサール空港には光森さんと関西空港組が待っていて出迎え。マイクロバスでウブドへ向かった。道は酷かったな。両側を下水が流れているが蓋をしていない。舗装はお粗末でがたがた揺れる。ベンジョールというお祭り用の飾りが家々の門に立っていた。

 夕食後、村の集会所で数十人が竹の筒を叩いて気勢を上げる民族音楽を堪能。正装の女性の澄んだ歌声、しなやかに手を動かす踊り。ただただ圧倒された。音楽と踊りが終わるとおれたちはみんな舞台に上がって可愛い踊り子と写真を撮る。コテージに帰っても興奮覚めやらず酒を飲む。飲んでるところに蛍が飛んできた。

 翌27日はウブド市内散策。王宮の中をのぞいてから向かいの市場へ。物凄い混雑。甘酸っぱい果物の匂い。早口のかけ声。サンダル、小物雑貨、衣類、玩具。魚には蝿がいっぱいたかっている。衛生的とは言えないが、いかにもアジアの市場らしい。足元はどろんこで滑りやすい。腰を引いてそろそろ歩く。

 市場を出てペンダントや腕輪を売るおみやげ屋さんの通り。女性たちは一軒一軒寄りたがる。狭い道をオートバイがスピードをあげて通り過ぎる。暑い。湿度も高くて汗がとめどなく出る。
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2016年11月16日

日本のトランプ観はあいまいなのでは

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2016年11月16日
日本のトランプ観はあいまいなのでは

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)


 米大統領選でトランプ氏が当選。当の米国民だけでなく世界中の人々がびっくりしたようだ。「大変なことになった、が率直な感想です。私は、彼は大統領選では勝てないと見ていましたから」と述べた元海兵隊員C・ダグラス・スミス氏の言葉(12日付『赤旗』)あたりが正直な心境といったところだろう。

 しかしびっくりしたままではいられない。今後どうすればいいのか。15日付『赤旗』は@民主党の候補者指名争いで善戦したサンダース上院議員、A進歩派の映画監督マイケル・ムーア氏の発言を紹介している。2人とも反トランプの姿勢を鮮明に打ち出し、たたかう方向を示している。

 サンダース氏=中間層の没落や貧困への怒りは、それをつくりだした人々へ向けられなければならない。「この怒りをイスラム教徒やヒスパック(中南米系)、女性といった身近な人々に向けてはならない。私はそれに反対するためあらゆることを行う」。トランプ氏の差別的言動には国民と共にたたかう。

 マイケル・ムーア氏=「トランプ氏に反対する運動を主導する1人になる。彼を止めるのだ。ウォールストリートを占拠した運動を小さく見せるほどの、数百万人規模の大運動になる」「彼はどんな思想も持ち合わせていない。彼が唯一信じるのは、ドナルド・トランプ(自身)だ。それは政権から追われる片道切符だということだ」「(ムーア氏は)トランプ政権打倒の先頭に発ち上がると宣言しました」。

 11日付『毎日』によれば歌手のマドンナさんも「希望を失うな。私たちは立ち上がる。新たな火がついた。私たちは決してあきらめない」とたたかいの決意を述べたという。まだ大統領に就任もしていないのに、「政権打倒」を突き付けられたのは米大統領史上でも初めてなのではないかな。

 こんなに明確な民主主義の破壊者に対して、日本の世論は少し見方があいまいなような気がする。彼は日本の米軍基地を引き払うようなことも口走っているが、そのように脅かして日本にさらなる負担と軍事的協力を押しつけようとしているに過ぎない。日本を属国にするつもりだ。断固反トランプで行くべきだとおれは思う。
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2016年11月11日

最後の楽園バリ島からB

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載
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労働運動は社会の米・野菜・肉だ。
2016年11月11日
最後の楽園バリ島からB

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)


 バリ島滞在5日目、曇りで涼しい。今日はどこへも出かけないで基本的にはビラビンタン内で過ごしたいと思っている。朝からしばらくインターネットが不調だったが、10:20、やっとつながった。この間『じゃかるた新聞』をまとめて3日分読んだ。やはり一面に米大統領選のニュースが出ていた。

 45代米大統領にトランプが当選。インドネシアの反響はどうか。「(ジョコウィ)大統領『協力関係続ける』」「反ムスリムに懸念」。ジョコウィ大統領はトランプ氏勝利を受けて9日夜、祝意を表し、「インドネシアは互いにとって利益ある友好関係を続けて行く準備はできている」と述べた。

 トランプ氏の過激発言、特に国内外のテロに関し「ムスリムのアメリカ入国を禁止する」と言ったことにはジャカルタの市民から驚きと警戒の声が上がっている。しかし大方の街の声は「少し反ムスリムという気がするけれども、あんまり心配はしない。まだ本当のところは分からない」「実業家だからアメリカ経済を率いるにはよいかも知れない」などといったあたりらしい。

 11時になって薄日が漏れてきて蒸し暑さがじわっと感じられるようになった。昨日、日本領事館に用事のある光森さんに同行してデンパサールに行ってきた。久しぶりにガルーダ公園(まだ工事中)に寄り、光森さんの「パリの治安に関する会議」が終わるまで、以前入ったことのある独立博物館で時間をつぶした。光森さんの話ではパリのリゾート地区でひったくりに遭う若い女性が増えているそうだ。

 ビラビンタンの前の田んぼを潰して建てたコテージ形式のホテル。まだすべてのコテージが出来上がるまでには半年以上かかるそうだ。ほんとは去年中に完成しているはずだったのにね。それからビラビンタンのスタッフだったストウさんが村長を務める村のお寺も建築に2年以上かかっている。この地は何でもスローなんだよな。車で移動中にも建てかけの家をそこら中に見かける。人手不足なのかな。

 左肩の痛みはなかなか取れないが、眠れないほどではない。このところ便秘気味だったがこちらへ来て逆に軟便っぽくなった。出先で下痢症状がでないか少し心配だ。明日は朝早くキンタキーニ高原まで遠出して植林セレモニーに参加する。朝きちんと出すものを出して腹の調子を整えておかなくちゃ。

 というわけで、時は静かに悠然と流れている。もうすぐ正午だ。部屋で、買い込み過ぎた缶ビールを飲んでからビンタンダイニングにうどんでも食いに行こう。それから昼寝だ。13日朝成田に着く。
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2016年11月10日

最後の楽園バリ島からA

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労働運動は社会の米・野菜・肉だ。
2016年11月09日
最後の楽園バリ島からA

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)


 静かなパリだが、首都ジャカルタは騒然としているらしい。アホック・ジャカルタ特別州知事のイスラムコーラン冒涜発言に抗議するデモの後遺症が収まっていないらしい。4日のデモでは群衆と警官隊の双方に250人の負傷者が出た。11月7日付の『じゃかるた新聞』が警察発表として報じている。

 「『背後に政治勢力』」「一部暴徒化デモで大統領」。ジョコウィ大統領が5日、記者会見で「事態を利用した政治勢力がいたと理解している」と述べた。光森さんによると日本大使館すじからホテル経営者にイスラム系過激派に注意するよう伝達があったそうだ。ま何が起こるか分からない世界だからね。

 『じゃかるた新聞』の解説記事によれば。インドネシアにおける歴史的デモは過去に2回あったという。一つは1974年の田中角栄首相公式訪問に対する反日デモ。実際はスハルト政権内部の権力争いが原因だったというが、在インドネシア日本人は震え上がったようだ。そんなこと知らなかったな。

 二つ目は98年5月のスハルト政権打倒を叫ぶ数十万人に膨れ上がった民衆デモ。デモを組織したのは闘争民主党で、揃いの赤シャツが市内大通りを埋め尽くした。見物の一般人もこぞってデモに加わったという。多分そのデモでスハルト軍事政権が倒れたのじゃなかったかな。

 おれの認識では、現ジョコウィ大統領はスハルト政権を倒した闘争民主党の流れをくむように理解している。そのジョコウィ大統領は問題発言のアホック知事を国家警察犯罪捜査局に出頭させて、事情聴取をすることにした。その模様は異例のメディア公開されるという。犯罪捜査局とは恐れ入ったね。

 「イスラム教徒は国民の9割を占めている。選挙はもとより政治的発言力は黙っていても大きい。コーラン侮辱問題に関する捜査の結果次第ではあるものの、ジャカルタ特別州知事選挙の行方は分からない」(『じゃかるた新聞』解説記事)。問題は今後も尾を引きそうだが不測の事態だけは避けたいものだ。

 今日も暑い。明け方ひと雨あったようだがおれは気がつかなかった。これからカンプンカフェに行って昼飯を食ってから世界遺産の棚田を回ってくる。夜は影絵芝居だ。バリ島3日目は事もなく過ぎてゆく。日本は寒いだろうね。こっちはじっとしていても汗がにじむ。それではまた・・・。

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2016年11月08日

最後の楽園バリ島から@

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載
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労働運動は社会の米・野菜・肉だ。
2016年11月08日
最後の楽園バリ島から@

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)


 「バリッバリッバリッ」物凄い雷の音に昼寝の夢を中断された。いま日本から5,840キロ離れたバリ島にいる。昨日7日11:00に成田を発って16:45(現地時間)にデンパサール着陸。予定時間よりだいぶ早い。喜んだのはいいが、毎度のことながら荷物の出てくるのが遅い。いらいらする。

 空港は3年前に新装なったが、離着陸システムは相変わらずのんびりだ。ビラビンタンのボンさんが車で迎えにきてくれていたが、出入国者が一段と増えて駐車場探しに苦労したそうだ。18:30に空港を出てウブドのビラビンタンには19:45。元神戸新聞労組委員長の光森さん夫妻が待っていてビンタンダイニングで一緒に夕飯。焼きそば(ミンゴレン)とやきとり(サティアヤン)とビンタンビール。

 開け放しの窓から蛍が見えた。前は群舞していたと思うが、一匹ずつすーっと光ってすぐ消えた。部屋におさまってトランクの中のものを引き出し、寝巻を着てからベランダで日本から持ってきた焼酎を水割りで飲んだ。風もなく星もなくどんよりとして蒸し暑い。バリはいま雨季に入ったところだという。

 夜は暑さのため寝苦しかったが朝は爽やかだった。6:00に起きて、明けゆく朝の光と空気を堪能した。朝食は8:00から。おれはバリ島は10回目。このところ朝飯のメニューは、珈琲、トマトサンド、オムレツ、レモンジュースで一定している。にんにくの利いたオムレツがおいしい。

 宿帳に名前を書くなどの宿泊手続きを終えてから王宮前のメインストリートで円とルピアの両替。いま1円は130ルピアになる。2万円替えたら260万。大金持ちになった気分だ。その足でスーパーへ行き、バリワインと缶ビールを買い込む。昼飯はいつも行く地元食堂。堅やきそばと小ビール2本。

 宿舎に戻り、ボンさんにパソコンをインターネットにつないでもらった。これでメールもブログ更新もできる。携帯もインドネシアモードに切り替えられるが、通話料が不明なので安易に使わない方が賢いようだ。おれの最初のバリ訪問は14年前になる。その頃に比べると便利になったものだ。

 いわゆるリゾート開発が進んでこの辺も急激に変貌しつつある。田んぼや畑を潰し、灌木を切ってどんどんホテルやコテージができている。市場も掘立小屋から2階建てのビルになった。道もきれいに舗装・整備されつつある。それは文明の進歩なのだろうが、バリ文化にとってはどういうものなのだろう。
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2016年11月06日

同期入社の鈴木章夫を悼む

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載
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2016年11月05日
同期入社の鈴木章夫を悼む

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)


 同期入社の「鈴章」こと鈴木章夫が10月31日、肺がんで死んだ。既に彼岸に行ってしまった「マチ」こと町田祐三、「おおい君」こと中村実、「あんちゃん」こと藤田充の仲間入りだ。これで10人の同期が6人になった。鈴章の訃報を聞いたという山田健一から電話あり。「おれ、今年1月に胃がんで全摘手術を受けて療養中なんだ」。山田の話によれば大平太郎はどうやら認知症になっちゃったらしい。

 田中信太郎には3年ほど前、取手の斎場で後輩の葬儀があって久しぶりに会ったが元気がなかった。彼は長男に先立たれてから同期の旅行にも参加しなくなっていた。滝沢直幸、石塚博幸は消息途絶だ。60年前、全員詰襟の学生服姿で入社式をした写真が残っているが、とうとう1人になっちゃった感じだ。

 鈴章は川崎工業高校卒というれっきとしたエリートエンジニアのはずなのに、おれと同じ超機械音痴。スパナの使い方も知らない。こいつ一流工業高校でいったい何勉強してきたんだ。1年の養成期間を経ておれは輪転課に、鈴章は鉛版課に配属された。鉛版課は18キロの鉛版を溶解釜に投げ込む力仕事だ。

 10人の同期生は忘年会や納涼会、節目の温泉旅行などでしょっちゅう集まった。集まるとおれは「労働者は団結しなければならない」と演説をぶった。中村などはそれに反発して「おれたちは背広着て有楽町に通っているんだから労働者じゃない」と言い張った。鈴章はクールな目で双方を観察していた。

 毎日新聞労組はユニオンショップで、入社1年後に正社員になると同時に組合員になる。おれはとたんに1人で職場新聞を発行(月刊で5号まで続いた)。その活動が認められて、青年部書記、職場執行委員、新聞労連東京地連書記長ととんとん拍子に役がついた。その間鈴章はじっと満を持していた。

 鈴章が所属する紙型・鉛版職場班はずっと会社派が実権を握っていた。彼はなかなか執行部には出られなかった。それが1975年の大住広人執行部で突然本部執行委員・職分制対策部長に選出された。職分制とは68年に導入された毎日型職務給のこと。組合は差別と組合弾圧の温床として猛反対していた。

 結局職分制は鈴章在任中の77年3月で廃止される。職分制対策部長としては大金星だ。印刷技術の変化で鉛版職場がなくなり、従業員はそれぞれ異職種に配転された。鈴章は編集の整理部や調査部で結構いい仕事をした。ずっと独り者だったが定年になってから愛妻俊子さんと巡り合った。幸せそうだった。

 今日5日午後6時から鈴章のお通夜が営まれる。風邪をひかぬよう暖かい格好で行こう。
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2016年11月02日

海外旅行・ハワイ(2002年)

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載
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労働運動は社会の米・野菜・肉だ。
2016年11月01日
海外旅行・ハワイ(2002年)

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)


 2002年はおれの人生の中でも激動の年だった。6月23日投開票の松戸市長選に「明るい松戸氏をつくる会」から立候補したのである。政党では日本共産党だけの推薦だ。約半年、生活のほとんどを候補者として全力投入した。結果、1万7500票、13%余の得票を得てまあまあ善戦。ご苦労さん。

 その骨休めも兼ねて女房と長女の3人でハワイに行った。9月10日から15日までの5泊6日(機中泊含む)。ハワイというのは日付変更線のあちら側にある。10日の20:00に成田を発ったのにホノルルに着いたのが10日の08:10(現地時間)。つまり時間が逆に進む、というか戻ってしまったんだな。

 宿はワイキキの浜辺にあるシェラトン・モアナ・サーフライダーホテル。狭いけどベランダがあって建物の間から海が見える。着いた翌日があの9・11同時多発テロから1周年。観光客がぞろぞろ浜辺へ出て赤い花を海に流してお祈りしている。ビキニ水着の若い女性も神妙な顔だ。おれたち3人も加わったが、おれはアメリカの爆撃で殺されたアフガニスタンの子どもたちを悼んでお祈りした。

 海水着を持っていったのだが、泳ぐ気はせず、海岸にはすぐ飽きた。バスで歴史博物館へ行ったり、オプションでポリネシア踊りを見たりした。腰蓑だけの若い男性が口から火を吹いて観客を驚かせた。ひと踊り終わるとおれたちを舞台に乗せて記念写真のサービスをしてくれた。

 朝飯はホテルのレストランだが、昼も夜も街へ出て食べた。とにかく日本人がうようよしているところで、和食レストランだらけだ。何もハワイへ来て天ぷら定食(それも高くてまずい)でもないだろうに、女房がアメリカンステーキは嫌だというので日本料理にした。熱燗は1本1000円とられた。

 早々に宿に引き返し、空港で買ってきたバーボンウィスキーを飲る。つまみは町のコンビニにあったビ―フジャッキー。テレビをつけると日本の衛星放送が見れる。女房と娘は例によって街へ出てウィンドショッピングだ。2人が帰ってきたころにはおれは酔いつぶれてベッドに大の字だったらしい。

 帰りの飛行機はホノルルを14日の10:45に飛び立って、成田に着いたのは15日の13:25(日本時間)。来る時に時間を儲けた気がしたが帰りに元を取られた。ま、家族3人の「憧れのハワイ航路」は可もなし不可もなしというところか。もう一度行きたくなるところでないことだけは確かだ。
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2016年10月31日

昨今の電通叩きと荒川恒行さん

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載
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労働運動は社会の米・野菜・肉だ。
2016年10月31日
昨今の電通叩きと荒川恒行さん

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)


 広告独占の電通が叩かれている。長時間労働とパワハラで過労自殺まで引き起こした企業に厚労省は「時短優良マーク」を与えていた。NHKの国会討論会で共産党小池晃書記局長に追及されて、当時の担当大臣だった田村憲久氏が「反省」したという。(31日付『赤旗』)。

 大体、電通には労働組合があるのか、という声も聞こえる。ある。連合にも全労連にも加盟していないが、MIC、広告労協の主力組合である。電通労組というとおれの頭にすぐ浮かぶのは荒川恒行さんだ。荒川さんとは70年代初めからの付き合い。トルコやスペインに一緒に旅行もした。

 1935年生まれの荒川さんは、59年に学習院大学政経学部を卒業してその年に電通入社。63年に組合代議員になったことがきっかけで組合運動に入り込む。職場新聞「アルファ」の編集長から64年には電通労組本部執行委員長になる。そして広告労協議長、MIC事務局長と会社の仕事をしながらの労働組合活動を電通定年退社の91年まで続ける。小さい身体だったが、やることは精力的で実践派だった。

 荒川さんが組合活動家と5人で都労委に昇格差別是正の不当労働行為事件を申し立てたことがある。申立は72年。荒川さんはこの申立についてMIC編集の遺稿集「私の電通」で次のように述べている。

 「5人はそれぞれ家族や親しい仲間などとも相談し、後顧の憂いのないよう万全の態勢をとった。というのも当時の私たちは、労働委員会の何たるかもろくに知らない素人集団であり、まして家族などから、『会社と裁判で争うなどとんでもない』といった意見や、『裁判闘争となると長い年月がかかるのではないか』、あるいは『やってもいいが、ほんとに勝てるのか』といった様々な疑問や怖れがあったからである。

 いろいろ悩んだ都労委闘争だったが、たたかいは2年ちょっとで勝利する。会社が和解に応じて全員の副部長昇格を認めた。おれが都労委委員になる3年前だ。

 荒川さんは電通定年後映画の「にっかつ」で新たな仕事に取り組んだが94年に退社。その数年後、杉並区西荻窪の自宅を大改装。エレベーター付きの3階建てだった。佐藤一晴さん夫妻と新居に招待されたことがあった。そこで数年過ごしたのかな、2005年11月9日に70歳で亡くなられた。もし存命なら昨今の電通叩きにどんな感想を言うのだろうか。話を聞いてみたい気がする。
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2016年10月30日

海外旅行・韓国(2001年)

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載
http://blogs.yahoo.co.jp/shosuke765
労働運動は社会の米・野菜・肉だ。
2016年10月29日
海外旅行・韓国(2001年)

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)


 11月25日から28日までの3泊4日。手元には手帳に書かれた簡単な記録しか残っていない。その手帳によると、どうやら出発からドジをふんだらしい。「集合場所が第一ターミナルなのに第二ターミナルと信じていて、Gカウンターに行った。KE便は第一と気付き、連絡バスで第一へ。疲れた」。

 成田発9:20。同行者は夏にハンガリーへ行った出版労連関係で、うちの女房は行かなかった。そのこともあってターミナルの間違いらしい。ソウル着12:00。ホテルは3泊とも世宗(せぞん)ホテル。どんなホテルだったか、着いた日に何をし、何を食ったか記憶がない。多分焼肉とマッコリでパタンキューだったんだろうな。

 2日目に「教科書問題で俵義文さんとともに韓国の関係者と交流会」とある。俵さんはずっと前からソウルに滞在していて、中国や韓国の研究者たちと共同編集の歴史教科書をつくるための作業をしていたらしい。その作業が実って4年後の2005年5月に「未来をひらく歴史―東アジア3国の近現代史―」(223ページ1600円・日本での発行は高文研)という立派な教科書ができた。

 俵さんは元出版労連中執でその当時からの知り合いだ。定年前に教科書会社を辞めて「子どもと教科書全国ネット21」事務局長になった。俵さんに誘われておれも「教科書ネット」の会員だ。

 3日目の27日は「戦争博物館 ソウルタワー」としか書かれていない。ということは独立記念館とか西大門刑務所跡などへは行かなかったんだな。戦争博物館は1年前にも行ったが、朝鮮戦争やベトナム戦争の展示しかない。ソウルタワーの帰りに安重根記念館へ寄ったかどうかもはっきりしない。

 最終日は民俗村まで足を伸ばして遊んでいる。ここはのんびりしたテーマパークで、ロッテワールドなんかよりずっといい。おれはこの後も3〜4回行っているが、その都度新しい発見がある。屋台のようなところでチヂミを食わせマッコリを飲ませてくれる。民俗村でゆっくりして、ソウルを18:00に発ち成田に20:40に着いた。どうやら、出版の人たちの教科書問題をテーマにしたソウル旅行に付き合わされた感じだ。ま、それなりに面白かったけどね。

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2016年10月27日

11498 それでもつらい、大川小学校判決

水久保文明さんのブログ「ヘボやんの独り言」より転載
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16年10月26日
11498 それでもつらい、大川小学校判決

■水久保文明(JCJ会員 千代田区労協事務局長 元毎日新聞労組書記)


 石巻市と宮城県に賠償命令が下った。84人のいのちを奪った津波。賠償命令が出たからと言って、いのちが帰って来る訳ではない。つらい判決である。

 判決は市と県の責任をどういう形で認めたのか、現段階では不明である。その内容が明らかになったら、改めてこの問題に言及したい。が、地震発生から45分間にわたって、避難することもせず待機していたという。何故なのか。

 福島県浪江町の請戸(うけど)小学校では、いち早く避難し一人の犠牲者もけが人も出さなかった。同小学校は2階部分にまで津波が押し寄せていた。それでも「避難する」という素早い判断が子どもたちのいのちを守った。こことの違いはどこにあったのか。

 疑問はまだ闇の中だが、あいまいにしてはならない。災害列島≠ノおける危機管理の在り方、いのちを守ることの大切さ、そのときの判断――。この事件に潜む教訓は、山ほどある。防災と災害被災者支援に取り組んで、20年を超えた私自身も気づかないところにあるかもしれない。この裁判の行方、しっかり見極めたいものである。

                           ◇=◇=◇
<大川小訴訟>石巻市と県に14億円賠償命令
河北新報 10月26日(水)15時16分配信


 東日本大震災の津波で死亡・行方不明になった宮城県石巻市大川小の児童23人の19遺族が市と宮城県に23億円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、仙台地裁(高宮健二裁判長)は26日、学校の責任を認め、計約14億2660万円を支払うよう市と県に命じた。公立学校教職員の管理監督下で震災の津波で犠牲となった児童生徒を巡る司法判断は初めて。全国の教育現場に大きな影響を与える可能性がある。

 19遺族は2014年3月に提訴。訴訟では(1)津波の到達を予見できたか(2)津波の被害を回避し、児童を救えた可能性があったか―が主に争われた。遺族側は「防災無線や市広報車からの情報で津波の襲来は認識できた。裏山などへ避難すれば全員助かった」と主張。市側は「当時得られた情報から想定を超える規模の津波は予見できず、結果は回避できなかった」と反論していた。

 訴えによると、11年3月11日午後2時46分の地震発生後、大川小の教職員は約45分間、児童に校庭で待機するよう指示。校庭近くの北上川堤防付近(標高6〜7メートル)に避難を開始した直後の午後3時37分ごろ、高さ8メートルを超す津波にのまれ、児童74人と教職員10人の計84人が死亡・行方不明になった。

 当時、校内にいて助かったのは教職員11人のうち男性教務主任1人と、児童4人のみ。学校の管理下で子どもが犠牲になった戦後最悪の惨事とされ、遺族らは真相究明を求めてきた。

 仙台地裁で言い渡された津波訴訟判決は6件目。行政の賠償責任が認められたのは、東松島市野蒜小を巡る訴訟(仙台高裁で審理中)に続き2件目となる。
                           ◇=◇=◇

★脈絡のないきょうの一行
ETC料金で4万件の過剰請求。中央道と圏央道に関する路線だと。うちも被害に遭っているかも。怒。

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2016年10月26日

連合の評判が悪いのは当然だが

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載
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労働運動は社会の米・野菜・肉だ。
2016年10月26日
連合の評判が悪いのは当然だが

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)


 このところ連合の評判がすこぶるよくない。例の新潟県知事選で原発再稼働派の自民候補を推して落選。続いて衆院東京10区補選でも共産党との選挙協力を妨害した。このため民進党候補は野党の票を集めきれず自民候補に大差で敗れた。連合は民進党の足かせになっているという声もある。

 この二つの選挙ではっきりしたのは、連合が「反共」と「労使協調」の労働組合であるということ。全国的に反原発の世論が盛り上がっているというのに、電力会社と二人三脚で再稼働を謀る。市民団体が苦労して築きあげた野党共闘から共産党を排除しようとする。これでは評判が悪くなるのも当然だ。

 しかし悪いのは連合であって(それも企業や権力と癒着した一部幹部)、労働組合がすべて悪いわけではない。その辺をごちゃ混ぜにして「もはや労働組合はいらない」などと言い出す危険がある。現役の労働組合に奮起を促す。ま、おれたち労働組合OBの責任も大きいけどね。お互いがんばろう。

 この前ネットで「二木紘三のうた物語」を開いたら「聞け万国の労働者」を取り上げていた。「『聞け万国の労働者』と聞くと、労働運動・左翼運動が盛んになった戦後になって歌われ始めた歌だと思う人が多いかもしれませんが、実は、大正9年(1920)5月2日、日本初のメーデーが東京・上野公園で開かれたときに発表されたものです。

 永井建子(けんし)作曲の軍歌『歩兵の本領』や、そのメロディを採用した旧制一高の寮歌『アムール河の流血や』の曲に、池貝鉄工の従業員で社会運動家だった大場勇が詞をつけたもの。同じメロディが右と左のデモンストレーションソングに使われたのですから、皮肉な話です」。

 これには読者からの投稿があってそれが痛烈。「今の労働組合に聞かせたい歌ですね。春闘賃上げといっても総理の要請でベアがあるだけ。ストもなければ団体交渉もない。労働三権の行使もない賃上げ。馴れ合い賃上げで勝ち取った成果など吹き飛んでしまえ。無産の民、非正規労働者決起せよ」。

 おれなんかも、労働運動に生き甲斐を感じ、労働運動で飯を食ってきた1人なんだろうな。昔話をすればキリがないが、問題は現在、それからこの先どうするかということだ。今真剣に考えて再建方針を立てないと労働組合は絶滅品種になってしまう。

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2016年10月23日

海外旅行・ハンガリー(2001年)D

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載
http://blogs.yahoo.co.jp/shosuke765
労働運動は社会の米・野菜・肉だ。
2016年10月23日
海外旅行・ハンガリー(2001年)D

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)


 9日は朝の8時にホテルを出て、ドイツとの国境に近いチェスキー・クロムロフという中世の趣を残した世界遺産の町へ向かった。昼食付きの小旅行。道路の沿線は見渡す限りの農地だ。広い畑と豊かな稔り。そんなボヘミヤ地方をソ連は工業国にしようとした。そこに誤りがあったようだ。

 クロムロフの町並みは素晴らしかった。町の真ん中を川が流れていて優雅な橋がかかっていた。「中世」を満喫して夕方プラハに戻り、夜は昔修道院だったという音楽レストランでツアー最後のディナー。例によってビールとワインをがぶ飲みしてやっとこさホテルに帰り、殆ど気絶状態でベッドに倒れた。

 《チェコという国は、第二次世界大戦までウクライナとチェコとスロバキアを合わせた大きな国だったわけですが、戦争が始まるとスロバキアが抜け駆けでナチと裏取引をやりまして結局ばらばらになりました。大戦が終わってチェコとスロバキアは一緒になったがウクライナはソ連にとられちゃった。

 占領したのはアメリカとソ連だったが、ヤルタ会談でソ連に帰属することが決まっていたので鉄のカーテンの内側に閉じ込められてしまった、とガイドさんは嘆いていますが、嘆くようなことばかりだったのか。しかとは分かりません。土地も先祖からの宝物も取られて突然馬小屋みたいなところに入れられたと言う。まあそういう実例もあったのかも知れませんがね。ま、ここは誰でも欲しくなるような土地ではありますね。

 日本は遠いからここへ攻めてくるのは無理だろうけど、例えばお金で買うとかしてここの土地を手に入れたいものです。清水さん、豊島区労協で買わねえか。まあ冗談ですけどね。今回の旅行でははほどほどにワインを飲んだので、健康で気分良く帰れそうです。飲み過ぎた人もいる中で、自制心というのはいかに大事かということを痛感した10日間でした(周囲の笑い声)。

 チェコの文化はなだらかで、あまりぎすぎすしたものは見当たりません。女性が美しい国です。特に若い女性がね。なに言ってるのかな。ようするにチェコはいい国です》。

 10日午後プラハを発ち、ウィーン経由で成田へ、11日8:20、機中でもぐっすり眠れて、元気に帰国。9年ぶり2度目のハンガリー旅行でした。

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2016年10月20日

日露領土交渉と浅田次郎「終わらざる夏」

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載
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労働運動は社会の米・野菜・肉だ。
2016年10月20日
日露領土交渉と浅田次郎「終わらざる夏」

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)


 18日、日本共産党は「日露領土交渉の行き詰まりをどう打開するか」という提言を発表した。提言の(2)で共産党は「国後、択捉は千島列島にあらず。だから返還せよ」との日本政府主張が国際法的にも通用しない、と言い切っている。この姿勢を抜本的に再検討すべきだというスタンスである。

 おれはこれを見て、つい最近読んだ浅田次郎の「終わらざる夏」が思い浮かんだ。集英社文庫で上下2冊、728ページの長編である。「終戦直後の知られざる戦い≠舞台に『戦争』の理不尽を描く歴史的大作」なのだそうだ。舞台は千島列島の最北端、カムチャッカ半島の鼻先にある占守島である。

 占守(シュムシュ)島は南北30キロ、東西20キロほどの、千島列島には珍しい平坦な島だ。ここに太平洋戦争終結時「最新鋭の戦車聯隊と1個師団1万5000の将兵」がいた。当時の大本営はアリューシャン列島の失陥後、北からアメリカ軍が進攻してくると予測。それをを食い止めるための部隊だった。

 千島列島は最北端の占守島を含め日本固有の領土であった。明治維新頃までは樺太も千島も日露混住の地域だった。日露それぞれに国境画定の必要を認め1875年(明治8年)、「樺太・千島交換条約」を結んだ。この条約により日本は樺太に対する権益を放棄する代わりに千島列島を日本領土に画定した。

 浅田次郎「終わらざる夏」によると、明治政府が熱心に千島統治をすすめたため、郡司成忠海軍大尉が「報效義会」(ほうこうぎかい)なる集団を率いて占守島へやってきたという。いろんな困難を乗り越えてこの地に定住するようになった。先住民や島周辺で漁をするアイヌとも共存してきた。

 1945年8月15日に日本は降伏したのだが、その3日後の18日にソ連軍が戦争を仕掛けてきた。最初ベルリン戦線から指し回した劣勢な部隊に攻撃させておいて、日本軍がやむなく反撃に出ると本格的な戦争に持ち込んだ。小説の主人公たち(ソ連兵も含めて)はあらかた戦死してしまう。

 生き残った若い医師菊池が抑留されたシベリアで冬を迎えるところでこの小説は終わる。菊池は「どれほどいじめられても、生きなければならない」と決断する。「おのれの身をやすやすと見限るほど、人の命を助けてはいない」。菊池医師は今も存命なのだろうか。生きているとしたら昨今の安倍政権によるロシアとの領土交渉をどんな思いでみつめているのだろうか。
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11497 晩秋の尾瀬ヶ原B止

水久保文明さんのブログ「ヘボやんの独り言」より転載
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16年10月20日
11497 晩秋の尾瀬ヶ原B止

■水久保文明(JCJ会員 千代田区労協事務局長 元毎日新聞労組書記


 おやおや、少しラッシュ気味に。大集団も到着した。静かだった湿原が、いきなり賑やかになる。これもまた良し、である。ミズバショウの季節はこんなものではない。人を見にきたような錯覚になることさえある。

【込み合ってきた木道、正面は至仏山】
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 次の目標は「龍宮十字路」だ。しばらく歩くと3bほどの沢というか、小川が出現。橋の上から覗いてみると、な、なんと。イワナの稚魚が泳いでいるではないか。それも集団で。5aから10a程度だ。イワナは神経質で怖がり屋で、人の足音やちょっとした物音でも逃げてしまう。ところがここのそれは違う。

 橋の上でドン、ドンと踏みつけて音を立てると近寄ってくるのだ。不思議な光景である。もしかしたら、ハイカーがパンのカケラなどのエサを投げ込むのではなかろうか。人が近づく気配を感じると、エサをもらえるという条件反射の可能性もある。そういえば、尾瀬でイワナを捕まえる人はいない。賢いのか困ったことなのか……。

【集まって来たイワナたち】
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 十字路付近にも休めるスペースがある。ここで一息。南側に富士見峠がある。ずいぶん前だが、鳩待峠から横田代、アヤメ平を経て富士見峠の手前で北上し、この十字路に入ったことがある。ゴールデンウィークの最中だったが、全山雪であった。

 このとき、人が歩いた踏み跡がなく方向を採るのに苦労した。尾瀬ヶ原に着いたときは、一面、真っ白でどこに道があるか分からない。おおよその検討をつけながら歩いたものだ。おそらく、湿原にも踏み込んだことだろう(ごめんなさい)。そのときは無事に木道を見つけ十字路に到着し、鳩待峠まで戻ることができた。ここは、そんな思い出の場所だ。

 この十字路から、直角に左折し東電小屋の方(南)に向きを変える。さらに分岐で、もう一度左折。しばらく歩くと、「三又」に着く。ここからはもと来た道である。一休みの後、今度は至仏山を正面に観ながら、下山開始である。

 最初に休んだ山の鼻で行動食をとり、気合を入れ直す。有料トイレ(100円)を借りて用を済ませいよいよ(登りの)下山だ。ゴール近くになると、登りはきつくなる。子どもたちに(悔しいけど)追い越されてしまう。それでも山の鼻から鳩待峠まで、1時間で到着。地図のコースタイム1時間20分より早かったことで良し、としよう。

 帰路、関越道沼田ICにほど近い白沢・道の駅に隣接する「望郷の湯」で汗を流し、この山行をしめくくった。

【コースタイム】
 鳩待峠(6:30)−山の鼻(7:20 7:40)−三又(8:30 8:40)−十字路(9:05  9:30)−東電小屋分岐(9:50  10:00)−三又(10:30  10:40)−山の鼻(11:10 11:40)−鳩待峠(12:40)

★脈絡のないきょうの一行
山本有二農林水産相の「強行採決」発言、辞任に相当。品も格もない大臣に失望だ。
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2016年10月19日

11496 晩秋の尾瀬ヶ原A

水久保文明さんのブログ「ヘボやんの独り言」より転載
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16年10月19日
11496 晩秋の尾瀬ヶ原A

■水久保文明(JCJ会員 千代田区労協事務局長 元毎日新聞労組書記


 この山の鼻で一休み。持参のみかんがうまい。一息入れて、尾瀬ヶ原に入る。木道がつながっている。ここは基本、右側通行だ。まず、最初の目標「三又」へ急ぐ。正面に日本百名山の一つ、燧ケ岳(ひうちがたけ・2,356M)が現れる。立派だ。

 振り返れば、これまた百名山の一つ至仏山(しぶつさん・2,228M)が聳えている。天気の良さに、その姿は一層映える。こんな燧ケ岳と至仏山を見たのは初めてかもしれない。尾瀬ヶ原の人気は、この二つの山の影響があると思われる。尾瀬の晩秋と二つの山を見せてもらって、至福の時であった。

【正面に立派な燧ケ岳】
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【振り返れば至仏山】
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 私はこの両山とも、5月のゴールデンウィークの雪の中を歩いた。燧ケ岳は尾瀬沼から取り付いた。このときは目の前に雪があり、雪のカベ≠登っているような錯覚に陥った。

 燧ケ岳の山頂から「見晴らし」の小屋へ下る途中、道を間違え、小一時間、雪の中を彷徨した。単独行だったためちょっと怖かった。谷筋から稜線に上がるところにくくりつけてある目印のリボンを見落とし、直進したのが敗因。小屋の風呂がやけに温かかった。

 至仏山は、小至仏山から頂上までのトラバースをこわごわ歩いた。雪崩が起きないか不安だったからだ。ところが山頂の雪は、風で吹き消されていた。ばかりか、眼下の尾瀬ヶ原は白一色で、その広さを呆然と見惚れたものである。そんなことを思い出しながら歩いていた。

 「三又」の手前で、若い人がしきりにカメラのシャッターを押している。池に映った燧ケ岳を撮影しているのだ。早い時間帯だったことが功を奏したのだろう、水面は鏡のように穏やかで、これまた「逆さ燧ケ岳」がお見事だった。「明鏡止水」の現物版である。

【水面に映った燧ケ岳】
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【逆さ燧ケ岳と私】
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 写真を見ていただければ分かるとおり、尾瀬ヶ原は広い。実にひろい。すべて木道でつながれている。三又で一休み。反対側からやってきた人たちもここで休み、やや混雑気味に。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
北方領土問題が急浮上。返還が筋だが、返ってくると観光化で島の環境破壊が進むのでは?
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2016年10月18日

11495 晩秋の尾瀬ヶ原@

水久保文明さんのブログ「ヘボやんの独り言」より転載
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16年10月18日
11495 晩秋の尾瀬ヶ原@

■水久保文明(JCJ会員 千代田区労協事務局長 元毎日新聞労組書記


 尾瀬ヶ原は、夏、そして雪の季節とミズバショウの季節に訪ねたことはあるが、秋は行ったことはなかった。そこでいい天気に誘われて、10月16日の日曜日に行ってみた。込み合うことを予想して、夜中のうちにスタート、登山口の「鳩待峠」に着いたのは夜中の2時過ぎ。とりあえず車の中で仮眠。同行はSさん。

 鳩待峠まではマイカー規制があり、要注意だ。この日は、規制外で利用できた。駐車場は想定どおり込んでいた。同好の士はいるものだ。霜に覆われて真っ白になっている車もある。これらは、前日から山に入っている人たちのものと思われる。当夜着いた車は、車内があたたかいから霜はつかないからだ。ということは、外はそれだけ寒いということになる。

 外が明るくなり、途中のコンビニで買い込んだサンドイッチを朝食として頬張る。しっかり食べないとバテるから。食事を終わらせて、車の外に出てみると寒い。震えがくるほどだ。慌ててザックの中からマウンテンパーカーを引っ張り出して着込む。うん、少し落ち着く。

 6時半、歩き出しだ。どの登山口からもそうであるが、尾瀬ヶ原に入るには(この鳩待峠からも同じ)、下りからはじまる。ということは、尾瀬ヶ原は広大な窪地≠ニ言うことになる。ちなみに、この尾瀬ヶ原の東側にミズバショウが群生する「尾瀬沼」があるが、この原のほうが低く、水はこちらに流れてくる。

 この水は「百名瀑」の一つ、三条の滝に注ぎ、只見川となって奥只見湖に流れ込む。そのあとはなんと、新潟空港近くを河口とする「阿賀野川」につながるのである。只見川の源流は尾瀬沼であり尾瀬の水は、遠く新潟市に注いでいるのである。「尾瀬の水が新潟に」――考えると気が遠くなりそうだ。

 尾瀬ヶ原へは、鳩待峠から下って行く。登山道に霜が降りて所々、真っ白になっている。特に木道は滑らない様に気を遣う。おやおや、早い時間にもかかわらず登って(下山して)来る人もいる。前日、小屋泊りの人たちだろう。「お早うございます」とあいさつしながらすれ違う。登山道は尾瀬ヶ原も同じだが、2車線≠ノなっており、歩きやすい。

【晩秋の登山道】
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 小さな沢を4つほど横切る。木製の橋がかかっているから大丈夫。周辺の木々は、秋色に染まり葉を落とし始めていた。晩秋というより、初冬なのかもしれない。その秋色を撮影するカップルもいる。

 まず、「山の鼻」と呼ばれる場所に着く。おもしろい名前だ。おそらく尾瀬ヶ原を顔に見立てた場合、「鼻」の位置になるのだろう。ここにはテントサイトがあり、何軒かの山小屋もある。色とりどりのテントから出て来た人たちは、それをたたむ作業を始めていた。これまた、山の風景である。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
死刑廃止に反対が73.3%(FNN調査)。「殺された人も殺した人も同じいのち」の教育不足が露見。課題は重い。
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2016年10月17日

海外旅行・ハンガリー(2001年)C

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載
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労働運動は社会の米・野菜・肉だ。
2016年10月17日
海外旅行・ハンガリー(2001年)C

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)


 ハンガリー旅行Bに思い違いがあった。ブドウ畑のある市長さんの別荘へ行ったのは8月4日で、5日は夕方ブダペストに着き、夕食はブダ地区の民謡酒場でとった。賑やかに盛り上がった。

 6日午前、世界遺産の古い村でおばあさんたちの歌声を聞く。これはテープに録ってあるがひなびた味のある民謡だ。おばあさんたちの白と赤の民族衣装が可愛いい。歓迎のパーリンカに昼前から酔っぱらった。夜は市内で中華料理、食事後9時からドナウ川の舟遊び。左右両岸の建物もくさり橋もライトアップで浮かび上がっていた。「こんな鎖に縛られて見たい」と言ったのだが誰にも相手にされなかった。

 7日朝、市場をひと巡りした後国会議事堂へ。《国会議事堂の中です。赤絨毯が敷き詰められています。議員は380人。思ったよりも小さいけど議員控室はきらびやかで立派です。ガイド兼通訳のガールさんの説明によると、建築時大理石が足りなかったので偽物の素材を使っている場所があるそうです》。

 昼飯はブダ地区の古いレストラン。地下に穴倉があって世界の有名人のシャンパンがボトルキープしてあるという。穴倉に降りてシャンパンのおすそ分けをいただいた。午後はエリザベートの館を見学。エリザベートは同じハクスブルグ家の中でもハンガリー人に親しみを持たれていた。夜はサヨナラパーティ。

 8日は朝早くホテルを出て空港へ。9時半にチェコのプラハに着く。まずプラハ城へ向かう。城の中の教会に4トンの銀を使ったという棺桶がある。実は2トンしか使わなくてあとの2トンは地下に貯蔵してあるそうだ。棺桶の中には懺悔の秘密を守るため牧師が生きたまま入ったというんだがホントかな。

 ガイドしてくれたチェコ人の若い女性。顔は可愛らしいのに言うことは凄まじい。「(共産党政権時代)財産を持ってた人は全部取り上げられて、住む所もなくなっちゃったんですよ。あなたはここから出ていきなさいと言われて、着たまんま冬でもコートも着せられないでトラックに乗っけられて馬小屋みたいのところでお前はここで住むんだと降ろされた。宗教関係の人たちはみんな牢屋に入れられた」

 「一番酷い時期は1950年代の始まりなんですよ。ご先祖さまたちが血の汗流して守ってきた小さい畑、麦畑も全部取り上げられてしまった」と彼女の弁舌は留まるところを知らない。
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