2018年06月23日

爆風(98)

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載


労働運動は社会の米・野菜・肉だ。

2018年06月23日

爆風(98)

 一般引揚者を見送った国府軍留用者92人とその家族163人は、すっかり寂しくなった官舎街で、寄り添って日々を送った。当初国府軍が企図した火工廠工場再開は見通しが立たない。八路軍との戦闘も次第に雲行きが悪くなるばかりだ。そうなると多数の日本人を家族ごと留め置く理由がなくなる。国府軍は留用解除と全員を帰国させる方向へ方針を変更した。こうして留用者の帰国が始まることになった。

 第一次留用解除者の1人稲月光は46年10月10日に唐戸屯官舎を出発、遼陽、奉天を経由して錦州駅に翌11日に到着した。しかしすぐには葫蘆島へ向かえず、錦県の収容所で24日まで過ごす。土間にアンペラを敷いて寝た。24日早朝に出発して葫蘆島港へ。すぐ乗船する。船はアメリカ籍だがフリゲート艦でなくリバティ型の貨物船「ベンジャミン・フランクリン号」。26日博多湾入口に着き11月10日に上陸した。

 松野徹は第二次留用解除組で、47年5月25日に唐戸屯を出る。遼陽駅で満州紡績などの引揚者と合流して奉天まで到達したが、そこで大きな倉庫に入れられた。約1か月の収容所生活の後、6月30日に奉天駅から無蓋貨車で葫蘆島へ。日本の貨物船大久丸に乗船。7月2日に出港して7日に佐世保入港、11日に上陸した。

 ほぼ時を同じくして第三次留用解除が行われ、医師の勝野六郎、第三工場の和泉正一もその中に入った。250人いた留用者とその家族は一次、二次の留用解除を経て150人ほどになっていたが、そのうち138人が第三次組に含まれる。第二次と同様まず奉天で収容所へ。そこでほぼ2ヶ月過ごして7月25日に葫蘆島へ向けて出発した。引揚船は日本船籍の大瑞丸。7月27日に出港して佐世保へ。上陸は8月2日。

 第三次組の帰国で旧火工廠残留者は、総責任者だった吹野信平をはじめ加藤治久、鈴木貢、鈴木弓俊、石川浩太郎、武藤茂保ら数人になった。これらの人たちはさらに1年留用生活を続けることになるのだが、その間の事情について「関東軍火工廠史」の編集者である鈴木弓俊が「留用雑感」と題する手記を書いている。敗戦後のソ連軍、八路軍、国府軍に関する感想、批評もあって面白いので抜粋して紹介したい。

 《22年夏以降内線の戦況は、日を追って国民政府軍に不利となり、23年に入ってからは、国府軍の手による遼陽の工場再開は絶望となった。
 私は元々大陸に就職したい希望あったのが、軍人として満州の土を踏むこととなり、「その国の文化を知るには先ず言葉から」と教本を求め、通訳の資格のある軍属氏に話をつけて3、4人で勉強を始めたのは昭和17年であった。しかも「中国語会話」は日本語での議論に転じ、中国語は実用には程遠い状態で敗戦を迎えてしまった。しかも直接中国人と仕事で接渉するようになったのは、中国人と自分自身で交渉しなければ日常の用も足せなくなった22年度以降なので、自分自身の耳と口で中国人に直接あたった期間は1年そこそこに過ぎず「中国を語る」などと、大きな口はきけない。それでもこの短い期間に中国について大きな感銘を受けた。
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爆風(97)

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載


労働運動は社会の米・野菜・肉だ。

2018年06月21日

爆風(97)

 船長は「つまらぬことにこだわって意固地になるな」とお冠。この時とばかりに米泥棒の濡れ衣を証拠を示して告発した。船長は顔面を緊張させて聞き入っていたが、「すぐさま調べるので待ってほしい」と引っ込んだ。暫くして戻ってきた船長は深々と頭を下げて今までの非礼の段を詫びた。そしてこのことは上陸後当局に報告しないよう嘆願する。こちらも真相を分かってくれればそれでいいので承諾した。

 船室のどこからともなく歓声が上がった。一斉に冷たくなったカレーライスを、温かい気持ちで食べ始め、賑やかな会話が戻った。子どもたちは大きな声で「ご馳走様」とスプーンを置く。船は穏やかな航行を続けていた。その夜は上陸を控え、船員と引揚者が入れ混じってのど自慢大会が開かれた》。

 一方第三大隊が乗ったLST―606は7月7日に葫蘆島を出発して、10日には無事博多港外に到着した。しかしそれですぐ上陸とはならず、港外に停泊したまま再度の検疫が行われる。日本の山々が見える。心は逸るが他の引揚げ船で伝染病患者が発生したとかで、検疫は念入りだ。筆者の記憶では全員DDTを噴霧され白いお化けのようだった。もっともお化けたちは嬉しそうに笑っていたけどね。

 12日に博多港内に入ったが、そこでまた検疫、上陸が許されたのは14日午前10時だった。上陸はしたがその日は海岸の松原寮という収容所(休息所)に一泊、15日早朝から復員局で復員手続きを行うことになる。まず所帯主が引揚げ時に満州で交付された罹災証明書、退去証明書を提示して外地引揚証明書を受け取る。これによって新居住地(引揚げ先)への転入手続きや生活物資の特配を受けられる。

 次に引揚げ先毎の外食券(1枚4食分)を受給する。戸塚家は関東地方だから1人8枚である。さらに全国各線に乗車できる無賃乗車券が配られる。引揚者の中には内地旅行に差し支えるような服装の者がいるので、当該者には相当の被服の支給もある。最後に帰郷雑費として1人50円が支給される。

 博多駅からは引揚者専用列車が毎日運行されていた。大阪行き11時46分、門司行き16時04分、名古屋行き19時01分の3本だが、引揚者多数の場合は増発もある。戸塚家は15日午前中に手続きが終わったとしても、大阪行きに乗ることは無理だ。多分夕方の名古屋行きに乗ったのではないか。

 名古屋から東海道線で東京へ向かったはずだ。東京では親戚の家で何泊かしたような気もするがはっきりしない。東京から常磐線、常総筑波鉄道を乗り継いで、今の茨城県常総市、当時の結城郡菅原村へ着いたのはいつ頃だったのだろうか。筆者の記憶では着いた時には小学校が夏休みに入っていた。とすれば、7月20日以降だったのだろう。遼陽・桜ヶ丘を発ってひと月近く、日本の土を踏んでからでも1週間を超える長い旅だった。
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梅雨本番、新聞紙面も湿っている

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載


労働運動は社会の米・野菜・肉だ。

2018年06月20日

梅雨本番、新聞紙面も湿っている

 今日6月20日付『毎日』朝刊を読みながら感じたことのつれづれを書く。

 「正恩氏、習氏と会談」「3度目訪中 連携強化を確認」。このところ金正恩の評価がうなぎ上りだ。ま、戦争より平和の方がいいし彼が平和の方を向いていることはいいことだから株をあげたことは喜ばしい。金正恩の株をあげた功労者はトランプと習近平である。この金、習、トランプに共通している政治信条があるとおれには思える。「意見の違い」や「個人の尊重」を認めないことだ。故に(3人とも政治家としてそれなりの資質があるとは思うが)おれは信用していない。

 「日本前半1−1」「格上コロンビアと初戦」。サッカーのワールドカップ予選。結果は日本が2−1で勝った。日本時間の午後9時に始まった試合。決着がついたのが午後11時だ。それでも結果が入らないというのは降版が11時前ということだ。この辺は13版地域だ。おれが輪転機をまわしていた頃(もう50年前になる)の近県版は午前1時過ぎに刷り始めた。午後11時に終わった試合なら完全に結果が入った。当時輪転機は社内にあって社員が回していたが今は別工場で別会社の社員が刷っている。

 「政府、プラごみ減へ戦略」「来年G20までに 産業界に賛否」。松戸市のごみ収集は可燃ごみが週3回でプラスチックごみが週2回だ。それでもプラゴミの日はゴミ集積場が満杯になる。あれは一部再利用しているのだろうがかなりの量が埋められているはずだ。そういえばバリ島のプラごみ公害も深刻だった。バリは棚田がたくさんあり、水利事業が発達している。その水路がペットボトルやレジ袋で詰まってしまうという。おれが滞在したビラビンタンの道路の脇の水路もあちこちでせき止められていた。

 「乗って眺めて世界を巡る」「ハマりました エスカレーター」。おれが驚いて恐怖にかられたのがサンクトペテルブルクのエスカレーター。05年の7月、市内観光はバスでなく地下鉄で移動。それはそれで面白いのだが、地下鉄ホームへの下りエスカレーターは凄かった。まず長い。長いからではなかろうがスピードが半端じゃない。音も激しい。事故がたまにあるらしく降り口に係のおばさんがいて監視している。あれは二駅くらい乗ったのかな。上りのエスカレーターを降りたところに暴力スリがいたっけ。
 
 「加計氏、首相と面会否定」「『担当者が偽情報』強調 獣医学部巡り」(1面)「加計理事長会見」「疑惑打消しに躍起」「質問を遮るそぶりも」「『なぜ岡山で』疑問の声」「文科省職員『不透明感増すだけ』」「『疑われるとは思わなかった』」(第2社会面)。おれのコメントなし。
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爆風(96)

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載


労働運動は社会の米・野菜・肉だ。

2018年06月16日

爆風(96)

 引揚船の中の私の記憶としては米の飯のほかに、船中で死んだ人の水葬風景がある。船首なのか船尾なのか、開く方の扉を開けて遺体を海に流した。子どもの遺体だったような気がする。もう一つ、日本への航行中気が狂って海に飛び込んだ人の記憶。もちろん知らない人だが、子ども心にショックを受けた。

 この投身事故については同じ船に乗っていた西村操の手記がある。《船が葫蘆島を離れる頃から彼(小川某)は狂った。明日乗船という日、彼の妻が懸命に背負ってきた母が死んだのだ。体が弱く盲目であった。みんな疲れてはいたが山の崖に穴を掘って泣きながら埋めた。彼は放心して喚き、暴れ、ひと時も目を離せなくなった。男たちは代わる代わる彼の見張りにつく。彼の妻は幼児を抱いて泣き続けた。やがて乗船し船が玄界灘にさしかかった。船酔いで長男が苦しむので甲板に出た私の目の前で彼が見事なダイビングをした。彼は抜き手を切ってしばらく泳いだがやがて海面から消えた》。

 引揚船に使用されたのは米軍のLST(上陸用舟艇)だが、船長はじめ乗組員はすべて日本人だった。だから乗船とともに既に日本に帰ったような気になった。しかしその日本人乗組員との軋轢を経験した引揚者もいた。少し長くなるが、第一大隊の隊長を務めた加々路仁の手記を次に掲げる。

 《船が玄界灘を出た頃である。炊事の使役に出た者から「船の倉庫から米が盗まれた。船長と機関長は引揚者を疑っている」との情報が入った。私は引揚に際してくれぐれも不正がないようにと注意してきた。乗船時の挨拶でも強調したのに、このような事が起こるとは夢想だにしなかった。やっと日本へ帰れるとの気のゆるみか。残念でたまらない。一か年の苦難の体験は何ら得るところがなかったのか。

 早速中隊長の集合を命じて協議した。中隊長たちは果たしてそんな悪事を働く人がいるのか、と不審を抱いて真相の究明に動き出した。船員には覚られぬよう部内の調査を始める。しかし調査には時間がかかる。その間船長や機関長に何も言わないでいるわけにもいかない。とりあえず詫びに行くことにした。船長は「引揚者の皆さんはご苦労されてこられ、又内地に帰られても家もない方もあり、生活の不安から少しでも食料を持ち帰りたいのは人情だ。お米の件は何とかするから心配するな」と寛大な態度だった。

 内密の調査の結果「米泥棒」の真相が次第に判明してきた。船員の中には不心得者がいて、引揚者用の米をピンハネしておいて博多上陸の際ヤミ屋に流すらしい。今回の事件もその一つで、盗まれたと称する米が倉庫とは別のところに隠してあるという確証も掴んだ。

 そのことを直接船長に告発すると事態が難しくなることが予想される。そこで一計を案じた。船長に対して「今日の昼御飯を抜きにしてその分の米を弁償に充てる」と申し出た。昼飯はカレーライスの予定だった。船長は「引揚者に昼飯を食わせなかったら上陸後問題になるからどうか食べてほしい」と出来立てのカレーライスを各人の前に並べさせた。船室にカレーの香りが立ち込める。

 20分、30分しても誰もカレーに手を出さない。いままでざわめいていた船内は静まり返る。40分くらいした頃、船長と機関長が私のところへきて「折角おいしいカレーライスを作ったのに冷めてしまう。早く食べるように命令しなさい。米泥棒のことなど気にするな」と言う。「船長の言われることはもっともだが、我々引揚者の中に不心得者がいたのだから連帯責任で現物を返済する」とこちらもがんばった。
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2018年06月15日

歴史的会談の歴史的意味 ―メディアの報道姿勢を問う

2018年6月14日
歴史的会談の歴史的意味 ―メディアの報道姿勢を問う

梅田 正己(編集者)


 2018年6月12日、米朝首脳会談が行われた。
 翌13日の各紙はもちろん大きく紙面を割いてその「成果」を報じた。しかしその報道は、一定の評価をしながらも、そろって具体性に欠けるとして留保をつけていた。
 例えば、朝日3面の横の大見出しは「非核化 あいまい合意」
 読売3-2面の同じく横見出し、「非核化 課題多く 北の姿勢 見極め」
 日経3-2面の横見出し、「非核化 時間稼ぎ懸念 米朝敵対解消を演出」

 社説もそろってそのことを指摘していた。
 まず、朝日から。
「合意は画期的と言うには程遠い薄弱な内容だった」「署名された共同声明をみる限りでは、米国が会談を急ぐ必要があったのか大いに疑問が残る」
 さらには「その軽々しさには驚かされるとともに深い不安を覚える」「重要なのは明文化された行動計画である」
 その「明確な期限を切った工程表」が示されてないから「会談の成果と呼ぶに値」しないというのである。

 毎日の社説も同様の留保をつける。
「固い約束のようだが、懸念は大いに残る」「そもそも北朝鮮がCIVD(完全かつ検証可能で不可逆的な非核化)に同意したかどうかもはっきりしない」

 読売社説も、「評価と批判が相半ばする結果だと言えよう」としながらも、ホンネは批判の方に傾いているようだ。「懸念されるのは、トランプ氏が記者会見で米韓軍事演習の中止や在韓米軍の将来の削減に言及したことだ。和平に前のめりなあまり、譲歩が過ぎるのではないか」

 日経の社説も同様の論調だ。「真に新たな歴史を刻んだとみなすのはまだ早い」と言った上で、同じく米側の前のめりを批判する。
「米側はすでに(北朝鮮の)体制保証で譲歩を余儀なくされた。今秋の米中間選挙を控え、目先の成果を焦るトランプ政権の前のめりな姿勢を、北朝鮮が巧みに利用したといえなくもない」

 以上のように、全国紙各紙は今回の米朝首脳会談について、できるだけその成果を割り引いて評価したいと見ているようだ。テレビにおいても、登場するコメンテーターの殆んどは同様の見方をしているように私には思われた。

 では、両首脳が署名した共同声明を改めて見てみよう。「非核化」に関する部分を見ると、こう書かれている。
 ―「トランプ大統領はDPRK(朝鮮民主主義人民共和国)に対して安全の保証(security guarantees)を提供することを約束し、金正恩委員長は朝鮮半島の完全な非核化(complete denuclearization)に向けた堅固で揺るぎない(firm and unwavering)決意を再確認した」
 ―「3 2018年4月27日の板門店宣言を再確認し、DPRKは朝鮮半島の完全な非核化(complete denuclearization)に向けて取り組むことを約束する」

 各紙の社説も、テレビのコメンテーターたちも口をそろえて、CIVD(完全かつ検証可能で不可逆的な非核化)が具体的に述べられていないから非核化を信じるわけにはいかないという。
 つまり共同声明で2度にわたって明言されている「完全な非核化(complete denuclearization)」では不十分というわけだ。

 しかし、すべての識者が指摘するように、CIVDは厖大かつ複雑な手間と時間がかかる。現有する核爆弾やミサイルを廃棄するほか、関連の研究施設や製造工場などインフラの解体、さらには開発に従事した科学者や技術者の処遇など、山積する問題をすべて処理しなければならないからだ。
 それには、10年、20年の歳月を要するというのがおおかたの認識だ。
 したがって、朝日社説がいうような「明確な期限を切った工程表」を示せという要求そのものが、現時点ではどだいあり得るはずがないのである。
 両首脳は世界中が注視する中で、「完全な非核化」という言葉がくり返し記された共同声明に署名し、その実行を誓約した。
 その誓約にもとづいて、これからその「工程表」が両国の専門家集団によって作成され、実行されてゆくのである。

 今回の首脳会談にたどりつくまでには70年近い歴史過程がある。その基底に横たわる最大の事実(事態)は米国と北朝鮮がいまなお潜在的な戦争状態にあるということだ。そのことを端的に示しているのが、毎年実施される米軍と韓国軍の合同軍事演習だ。仮想敵国はもちろん北朝鮮である。
 テレビでよく見るその合同軍事演習の光景は、海岸での上陸作戦の演習である。想定されている海岸はどこの国の海岸か? 北朝鮮の日本海側の海岸であることはいうまでもない。

 さて、こうした潜在的戦争状態にそなえて、北朝鮮は100万人の軍を維持してきた。人口2500万の国で、将兵として働き盛りの青壮年100万人を非生産的な軍隊の中に閉じ込めておくのがいかに過重な負担、損失であるか、考えてみるまでもない(ちなみに日本の自衛隊は人口1億2500万人に対して25万人)。
 その上に長年にわたり国連の経済制裁を受けて、北朝鮮の経済的窮迫はいまやのっぴきならないところまで追いつめられている。人々の恐るべき飢餓線上の状況は、漏れ伝えられる報道でかいま見るとおりだ。

 北朝鮮がこうした軍事的・経済的苦境から脱するためには、戦争状態の継続に終止符を打ち、国の全力をあげて経済復興にとりくむほかに道はない。
 それには、米国・韓国と交渉して、現在の停戦協定を破棄し、新たに平和条約を結ぶしかない。そのため北朝鮮は一貫して米国に講和のための直接対話を呼びかけてきた。
 しかし米国はそれに応じず、北朝鮮との対話を拒否し続けてきた。なぜか。

 米国がその覇権主義的世界戦略を維持するためである。
 第二次大戦以降、超大国・米国は、「世界の警察官」として振る舞ってきた。そのシェリフの地位を保持するためには、世界の要所、要所に軍事基地を確保し、そこに自国の軍を配置しておかなくてはならない。
 そしてそのためには、常に軍事的緊張状態を保っておくことが必要だ。言いかえれば、常に仮想敵を設定しておく必要がある。
 かつて冷戦時代には、ソ連が仮想敵だった。しかし1991年にソ連は消滅した。中国とは1970年代から国交を開き、今では緊密な経済協力関係にある。なにしろ中国は米国政府の発行する国債の最大の保有国なのだ。米国のドルの価値は中国の手ににぎられているとも言える。

 では、冷戦後の北東アジアにおいて、軍事的緊張の震源として設定できるのはどこか?
 いまだに潜在的戦争状態にある北朝鮮をおいて他にはない。この「北朝鮮の脅威」があるからこそ、米国は韓国に3万、日本に5万の米軍を配置しておくことができるのである。それも日韓両国に「感謝」されながら。
 
 そういう国家戦略があって、米国は北朝鮮から停戦協定の廃棄とその平和条約への転換を求められながら、一貫してそれを拒否し続けてきた。
 北朝鮮側としても、そのことはわかっている。したがって、たんに要求するだけで直接対話が実現できるとは思っていない。米国を対話のテーブルに引き寄せるには、物理的な力を誇示してせきたてるしかない。

 そう考えて、北朝鮮は国民生活の窮迫を犠牲にしながら、また世界中から非難を浴び、制裁を受けながらも、核兵器とミサイルの開発に没頭してきたのである。核とミサイルの対象国は、だから、初めから米国以外に眼中になかった。
 
 その核と大陸間弾道ミサイルを、北朝鮮は今ようやく手にすることができた(と米国に思わせる段階に至った)。
 その結果、ついに米国大統領が―特異なキャラクターの持ち主に代わったということもあって―直接対話の場に登場してくれた。幸運にも、北朝鮮政治指導者の念願がついにかなったのである。

 では一方、トランプ大統領の方はどうか。
 だれもが指摘するとおり、この秋には中間選挙がひかえている、同大統領のコアな支持率は30%程度だという。そのむき出しの自国中心主義に対しては、良識層はこぞって批判的だ。イスラエルを除けば、国際的にも不評だ。
 しかし人一倍名誉欲の旺盛なトランプ氏は、せっかくつかんだ超大国の最高指導者の地位をそう簡単に手放すわけにはいかない。

 そこへ持ち上がったのが、北朝鮮との首脳会談だ。第二次大戦後の歴代大統領がだれ一人としてなし得なかった歴史的会談を実現し、うまくいけば6カ国協議では果たせなかった核問題を自分の手で解決できるかもしれない。ノーベル平和賞の声も聞こえてきた……。

 こうして、米朝両国の最高指導者の思惑と希望が合致し、今回のシンガポール会談が実現したのである。そしてそこで合意された最重要な議題が「完全な非核化」だった。
 その合意事項の実現は、双方の利益に一致する。当然、その目的に向けて、これから手段が講じられていくはずだ。歓迎こそすれ、冷や水を浴びせる理由はない。

 ジャーナリズムの第一の役割は、権力の監視である。その監視には、権力の悪行を暴き出し、批判することとともに、権力が行なった善行に対してはそれを評価し、称えることも含まれる。

 今回の米朝首脳会談の成果については、それが北東アジアの最大の歴史的懸案事項解決への第一歩であることを評価して励まし、両首脳が移り気になって逆戻りしないよう国際世論による歯止めを構築してゆくのがジャーナリズムの役目でなければならない、と私は考える。

 なお今回の首脳会談の成功から北東アジアの平和への道筋がつけられれば、日本にもただちに「平和の配当」がもたらされる。
 まず、いま政府がすすめている弾道ミサイルに対する地上配備の迎撃ミサイル、イージス・アショア(1基、1000億円)の山口県と秋田県への設置は取りやめられる。どちらも北朝鮮のミサイルを前提にしているからだ。

 また、いま沖縄の辺野古で、政府が沖縄の県民世論を無視して建設中の米海兵隊の飛行場と軍港を兼ね備えた一大軍事基地も必要がなくなる。沖縄に海兵隊を配備する理由として、政府と米軍は第二の朝鮮戦争への対処を挙げているからだ。しかしもはやその危機は去ろうとしている。

 もう一つ、3年前、安倍政権は集団的自衛権の容認を閣議決定、それにもとづく安保関連法(いわゆる戦争法)を強行成立させた。
 そのとき安倍首相が最大の根拠として挙げたのが「我が国を取り巻く安全保障環境の根本的な変容」だった。具体的には「北朝鮮の脅威」だ。
 しかし、今回の首脳会談を手はじめに、朝鮮半島をめぐる情勢が「危機」から「平和」へとそれこそ根本的に変わってゆけば、大半の憲法学者から憲法違反を指摘されている安保関連法は無用となるはずだ。

 ちょっと考えただけでも、米朝の敵対から和平への転換は、日本にも多大な「平和の配当」をもたらす。
 にもかかわらず、この国の多くのメディアが、今回の米朝首脳会談の「成果」を割り引き、こき下ろすのに精を出しているように見える。

 みなさんは、安倍政権と同様、やはり「北朝鮮の脅威」が持続してほしいのだろうか。
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2018年06月14日

爆風(95)

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載


労働運動は社会の米・野菜・肉だ。

2018年06月14日

爆風(95)

 引揚げ港の葫蘆島は渤海湾に面し、満州と北京を結ぶ交通の要所だ。葫蘆島というが島ではない。瓢箪の形をした小さな半島だ。葫蘆とは瓢箪の意味らしい。日本へ船出するためには遼東半島の先端の大連の方が適していたが、大連は当時ソ連軍の管轄下にあり使わせてもらえなかった。
 
 戸塚家が所属した桜ヶ丘第三大隊は6月28日に東京陵を出発、29日午後3時に錦県駅に着いた。錦県駅は錦西駅のかなり手前の駅で、2万人を収容できる大規模な収容施設がある。施設とはいうが、実際は既に引き上げた日本人の家屋を当てたもので、1軒に何家族か詰め込まれ寝る場所がなく外で寝る人もいた。

 この収容所で7月5日までの1週間滞在した。その間の食事は各自の負担だ。食料は現地の中国人から買うしかない。その値段が日々高騰していた。引揚者は乗船までの費用として1人500円の携行を許されていたが、収容期間がどのくらいになるのか不明ということもあってみんな苦心した。

 7月5日午前4時、第三大隊はいよいよ葫蘆島へ向けて出発することになる。錦県駅から無蓋貨車に乗り、葫蘆島最寄りの茨山駅へ。午後3時に着いてまた収容所だ。この茨山は葫蘆島を見下ろす小高い丘だったらしい。ここに後年、引揚事業を記念する石碑が建てられた。

 茨山収容所には7日まで2日間いた。この間も食事は各自負担である。7日朝収容所を出発して2キロ歩く。港が見えた。日本の船も停泊している。我々が乗るのはアメリカの上陸用舟艇LST−606だ。乗船前、港の広場で最後の携行荷物検査が行われた。検査の終わった順に桟橋に向かう。大きなリュックを背負った行列が続く。戸塚家も父と姉がリュック、母は乳飲み子を背負い、私は亡き妹の遺骨を抱き、5歳の妹は遅れまいと懸命に歩く。乗船するとデッキに立ち止まる暇もなく船底の船室へ詰め込まれた。

 第二工場事務員瀬下信の手記「乗ったのはアメリカのLSTとて戦車を吐き出す軍艦だった。タンクの代わりに我々が筵を敷き詰めたところへ寝ることになった。夏だったからよかった。船はグルっと廻って遼東半島沖を航行中、気のせいか砲声を聞いた様な気がした。赤い夕景の中をイルカが付かず離れず何百何千と空中に舞った。夜は上甲板に集まって船員たちの心尽くしか演芸大会を夜毎楽しんだ。LSTとは便利な船で、夜間海の真っただ中で停まり前方の観音扉を開けると潮風が通り抜けて昼の暑さを忘れる快適な乗り心地だった」。

 船出した日の夕食に麦入りのご飯が出た。涙が出るほどおいしかった記憶がある。おかずが何だったかは忘れた。
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JR東労組の組合員大量脱退に思う

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載


労働運動は社会の米・野菜・肉だ。

2018年06月13日

JR東労組の組合員大量脱退に思う

 バリ島から帰国して3日目、溜まった新聞を読むのに骨折った。と言っても連載小説と川柳と赤旗の訃報欄のほかは見出しに目を通す程度だけどね。この間、米朝会談が取り止めになったり復活したりと目まぐるしく、今朝の新聞などは(『赤旗』も)特大の活字で白抜きの大見出しだ。

 そもそも金正恩の親父の金正日の時代から北朝鮮はアメリカとの差しの会談を要求していた。核開発もミサイルもそのための圧力手段だった。トランプがその圧力に負けて会談に応じただけではないか。北朝鮮にしてみればアメリカを引きずり出せれば中身なんかはどうでもいいというわけだ。

 3週間の記事の中では6月7日付の『毎日』夕刊の社会面に注目した。「JR東労組3.2万人脱退」「2月以降 スト予告に反発」。JR東日本の全社員5万6000人のうち4万6870人を組織していたJR東労組が2月から5月の間に激減し、1万5140人になってしまったというのだ。

 『毎日』によれば激減の原因は、2月6日に発したスト権行使の予告に対する組合員の反発だという。「ストライキをやれば電車が止まることもありうる。世の中の流れに合わない主張で、お客様に迷惑をかけるのはおかしい。組合にはついていけないと思った」という脱退者の話を取り上げている。

 JR東労組の源流は国鉄時代の動力車労働組合(動労)である。かつて動労は「順法闘争」と称して過激な行動を繰り返していたが、87年の国鉄民営化に対して突如反対から受け入れに変身、当局と妥協して生き残りを図った。国民の足を守る立場から民営分割に反対を堅持した国労や全動労はJRへの採用拒否や採用された人も運行現場から排除されるなどして組織的に大打撃を受けた。

 動労の変身を指導したのが松崎明である。彼は松戸電車区で組合活動を始めたが、60年安保の時期、極左の黒田寛一(クロカン)と接し反共・暴力集団の急先鋒となる。過激派「革マル」を率いて「中核派」と暴力的に対決する。国鉄内では動労が革マル、中核派は千葉動労に拠点を置いた。

 国鉄民営に賛成して当局に付け入った動労は、労使協調労組鉄労と手を結んでJR総連をつくり、その中の最大労組JR東労組を牛耳る。しかし松崎が死んだ後は当局との関係がぎくしゃくし、ついに当局に見放される。それを察した組合員が大挙逃げ出した、というのが今回の組合員激減の真相なのではないか。
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3週間お世話になったバリよサヨナラ

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載


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2018年06月08日

3週間お世話になったバリよサヨナラ

 バリでの3週間が過ぎた。明日は深夜便で帰国だ。去年も7月に23日間滞在したが、前の10日間は新聞OBの仲間と、後ろの1週間は娘夫妻と孫たちと一緒。今回は3週間丸々1人だった。もちろんこのコテージのオーナー光森さん夫妻、マネージャーのボンさんがいるので全くの1人ではないが。

 もう一つの去年との違いは去年あんなに苦しんだ腰痛が治ったことだ。去年は約2キロの王宮まで歩くなんて考えられなかったが、今年は時間はかかったがちゃんと歩けた。バリの良さはやはり車の移動だけでは分からない。歩いて目で確かめなくちゃ。自転車もいいなと思ってボンさんに頼んだのだが「危ないからダメ」と一蹴されてしまった。ときどき自転車で道を走っている西洋人を見ると残念の感がある。

 バリの伝統芸能の筆頭は何といってもガムランとレゴンダンスである。今回は光森さんのおかげで世界に通用する最新の演奏と演技を堪能できた。5月25日、モダンな円形劇場で行われた若手ガムラン演奏家の新曲お披露目コンサート。ピアノとのコラボで、おれにはジャズ風のリズムに聞こえた。これからこの曲を引っ提げてヨーロッパの公演に出かけるそうだ。聴衆には高校生が目立っていた。

 6月2日にネカ美術館ホールで開かれた日本・インドネシア国交樹立60年記念行事も文化度が高かった。こちらはレゴンダンスだ。踊りての多くがデンパサールにある国立芸術大学の卒業生。大きく開かれた眼の中で踊る眼球、魔法使いのような指の繊細な動き。芸術音痴のおれもこれには酔いしれたね。

 バリの食い物の主力はナシゴレンとミンゴレン。ナシはご飯でミンは麺だ。要するにチャーハンと焼きそば。その周りに鶏肉や野菜が乗っている。そのほかではサテといって竹串に肉や魚のミンチを塗って炭火で焼いたもの、辛い魚のスープや玉ねぎ主体の天ぷらもある。ビールはビンタンビール。

 ネカ美術館のはす向かいにヌリーズワルンという店先で肉を焼いている老舗の食堂がある。ここのスペアリブが有名。ウブド食い歩き地図にも載っている。おれも食ったが、甘いタレが肉にしみ込んでいて美味。骨をしゃぶるともう一度旨さが口に広がる。これで12万ルピア。他に比べて高めの値段だ。

 ビラビンタンに着いた翌日からインターネットがつながったので、メールやフェイスブック、プロ野球速報などでパソコン相手の毎日。それでも人と直接会わないわけだからのんびりはできた。のんびりしすぎてのんびり疲れになったほどだ。明日はバリともさよなら。今度何時来れるかな。
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2018年06月07日

爆風(94)

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載


労働運動は社会の米・野菜・肉だ。

2018年06月06日

爆風(94)

 隊長山口克己少佐率いる第四大隊総勢1054人は6月27日午前8時、集合地点の太子河駅に向けて出発した。太子河駅は旧満鉄大連ー新京線の遼陽駅から旧火工廠に資材を運ぶため敷設された引き込み線の仮設駅である。引揚げ者たちは長年住んだ東京陵の官舎街に別れを告げ、思い思いに歩を進めた。

 第一中隊長の印東和は特大のリュックサックに荷物を詰め込んで妻子とともに歩いていたが、途中で4歳の長女が「もう歩けない」とベソをかいて道端に座ってしまった。夫婦ともに特大のリュックを背負っているので子どもをおんぶできない。かといって荷物を捨てるわけにもいかず途方に暮れた。

 後からどんどん追いこされる。中隊長としてはこれ以上遅れるわけにはいかない。そこへ声をかけてくれたのが顔見知りの南満工専動員学生の岩佐君で、「私のリュックは小さいので印東さんのを背負いましょう」と言って軽々と背負ってくれた。地獄に仏とはこのこと。印東は涙が出るほど嬉しかった。

 全員が太子河駅に到着し照り付ける炎天下で列車の来るのを待ったが、夕方になっても姿を現さない。隊の渉外係が八方手を尽くして連絡の結果、列車到着は明朝になることが判明した。初夏の満州は日が沈むとぐんと気温が下がる。東京陵へ引き返すこともできず、近くの村落で野営することになった。

 (筆者は本ブログで戸塚家の所属した第三大隊の出発も1日延び、その原因は27日が朝から大雨だったと記した。それは第三大隊の幹部だった田中弥一氏の記録によるものである。ところが第四大隊の印東氏は予定された列車が来なかったためという。第三大隊と第四大隊は同時に桜ヶ丘を出発したことがはっきりしている。そうすると出発が1日延びたのは雨のためか、列車遅延のためか、という疑問が残る。

 そこで当時9歳だった筆者の記憶がどうなのか、じっと思い返してみた。私の記憶では、戸塚家の6人は朝日町の人たちとともに鉄道線路を目指した。それは駅というより線路の際で、炎天下にじっと列車を待っていた。雨が降っていた記憶はない。列車は来ない。もう東京陵へは戻れない。夜を徹して線路の際に座り込んでいた。第四大隊のように近くの村落の軒下を借りたような記憶はない)。

印東和の手記。《近くの村落で野営することになったが、我々のような軍隊経験者ならともかく老幼婦女子には苦痛の夜だったろう。真っ暗闇の中を満人村落を訪れ、家屋の土間ならいい方で、大部分は軒下で夜を明かした。翌朝無蓋貨車で遼陽へ行き、駅前広場で荷物検査。午前中いっぱいかかる。遼陽からの列車も石炭運搬用の無蓋貨車。出発したのが28日午後1時。その夜は奉天の貨物駅で貨車に乗ったまま眠る。翌朝奉天を発った列車はその後ものろのろで、葫蘆島のある錦西駅に着いたのは30日の午後だった》。
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「働き方改革」は亡国の法案だ

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載


労働運動は社会の米・野菜・肉だ。

2018年06月04日

「働き方改革」は亡国の法案だ

「働き方改革法案」が衆議院を通過した。政府与党は何が何でも今国会でで成立させるつもりらしい。彼らがそれだけ熱を入れるのには訳がある。法案成立は財界筋(日米独占資本)の強い意向であり、それに応えることが国民の信頼を失いつつある政府自民党の唯一の生き残る道だからである。

 この法案、中でも高度プロフェッショナル制度に対して野党は「過労死促進法」だとして強く反対している。もちろんその捉え方は間違ってはいない。「過労死被害家族会」の訴えは説得力がある。しかし、高プロ制度を過労死との関連だけで糾弾するのでは少し狭すぎるのでないか、とおれは思う。

 高プロ制度は戦後70年続いた日本の労働基準法体系を根本からひっくり返そうとするものだ、というのがおれの見方だ。現行の労基法には労働時間、休憩時間、休日、有給休暇、時間外労働、時間外・深夜労働割増賃金などの規制・規定が明示されている。その規制が十分かどうかは別だが・・・。

 今度政府・財界が導入しようとしている高プロ制度はそれらの規制をきれいさっぱり取り払ってしまう。労働時間という概念が消えてしまうのだ。確かに今まででもタクシーの運転手や一部セールスマンにはなんぼ金を稼いだからいくらという歩合制賃金のところがあった。しかしそれらの歩合制労働者も1日8時間、週40時間の規制は適用される。もちろん最低賃金制も適用なので無制限な長時間・低賃金労働は禁止された。

 何故資本主義社会なのに労働者の労働条件保護が法律で決められねばならないのか。それは資本主義を維持するためである。資本主義といっても働くものがいなければ社会は成り立たない。労働力の再生産が必要なのだ。いわば「持続可能な労働力」かあって初めて資本主義が存在できるだ。

 労働時間の規制は労働者の要求であると同時に資本主義の成立要件でもある。何故なら労働者が生理的条件を超えて働くようになったら、労働力の補充は途切れ、生産はストップせざるを得なくなる。日本の財界筋・独占資本はそこのところが分かっていない(分かっている人もいるのかも知れないが)。

 目先の利益にしか頭が働かない。アベノミスクとかいっても景気は一向によくならない。生産が落ち込んでも利益は確保したい。それには1人の労働者からより搾り取るしかない。そのためには8時間労働なんかに構ってはいられない。3人に8時間ずつ働かせるより2人に12時間ずつ働かせるほうがずっと安くつく。それが本音だ。「働き方改革」は亡国の法案だとおれは思う。
posted by マスコミ9条の会 at 20:57| Comment(0) | 労働運動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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