2018年04月13日

爆風(71)

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載
http://blogs.yahoo.co.jp/shosuke765
労働運動は社会の米・野菜・肉だ。
2018年04月11日
爆風(71)

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

5 引き揚げ=遣返
 「引き揚げ」は中国語では「遣返」である。元のところへ戻すという意味だ。日本人居留民は「日僑」と呼ばれた。他国に仮住まいする日本人というわけだ。

 山海関方面から進攻した国民政府軍が錦州を経て奉天に向かう。奉天で南北に分かれて南を目指す部隊が遼陽に到着したのが3月20日。その日のうちに旧火工廠にも進駐してきた。八路軍の廠長秘書だった松野徹は国府軍の進駐についてこんな感想を述べている。

 《3月18日、八路軍が姿を消したと思ったらたちまち国府軍がやってきた。何のことはない、同じ軍隊の第一師団が第二師団と交代したようなもの。長い間敵対してきた国民党と共産党が遼陽郊外で2、3発撃ちあっただけですんなり入れ替わった。我々には想像ができない交代劇だ》。

 松野が数日ぼんやり過ごしていると、遼陽駐屯国民党本部から名指しで出頭命令がきた。八路軍時代に酷い目に遭った松野は、今度は表に出ないで潜んでいようと思ったのだが隠れきれない。責任者の吹野信平ら数人の居留民会幹部の一員として旧満州国政府の建てた遼陽県公舎に出向いた。

 公舎には金ぴかの肩章をつけた将軍が待っていて笑顔で応対。吹野たち一行に対して「君たちの工廠は今後、我が軍の東北火薬廠として再開する。ぜひ君たちに協力してもらいたい」と懇請し、工場長だの技術課長だのと書いて印を捺した立派な紙を渡された。松野も火薬廠庶務課長の辞令を受けた。蒋介石に率いられた国民政府は、日本が進出した満州南部の工業地帯をそのまま残して建国の基礎にしようと考えた。そのためには日本人技術者に残留してもらわなければならない。それを「留用」と称した。

 金ぴか将軍の意図は、吹野や松野に留用者として残れということだ。松野たちは《どうせ日本は負けたんだ。内地はアメリカに占領されて彼らの言うなりになっていることだろう。満州、朝鮮、台湾、樺太より引き揚げさせられた日本人は、内地の四つの島に押し込められて中々生活も難しかろう。こうして留用されるのも後に再び中国に進出するための布石となるのではないか》と話し合った。

 そして《我々はその捨て石になろうではないか。国民党のために働こう》との決意に達した。留用者は吹野、松野らの幹部だけに限らず、技術者、医療関係者など数百人規模になる。それらの人たちのその後については別項で詳述することにする。ここでは筆者一家を含めた一般居留民の引き揚げに話を戻す。
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爆風(70)

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載
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労働運動は社会の米・野菜・肉だ。
2018年04月10日
爆風(70)

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

 銃殺された浜本宗三はどんな人物だったのか。浜本は陸軍技術大尉で火工廠では製造科長の役にあった。1914年(大正3年)5月14日生まれで横浜の出身、享年31歳、家族は夫人と2人の男の子。「関東軍火工廠史」に寄せられた証言をもとに人物像に迫ってみた。

 西村秀夫の手記。「浜本さんは横浜の石屋の若旦那だった。若い衆と遊んだ話、喧嘩の話、麻雀が好き、バスケットの選手でもあった。バスケットボールを上から掴んで持ち上げることのできる巨漢。野球もやった。横浜高等工業学校では遊び過ぎて3月に卒業できず、追試で6月にやっと卒業。しかし陸軍に応召し、火工廠へ配属後は立派な技術者になった。視野の広い浜本さんは3年とたたぬうちに酸製造工程の権威と言われた。石屋の親分の血を引いただけに何事にも親分肌で形式的なことが嫌い、一見反軍人的でもあった。工場で働く軍属、徴用工、満人の工員にも分け隔てなく接した」。

 鈴木弓俊は敗戦の年の初冬、浜本に中国観を訊いたことがある。浜本は「国共内戦で当面国民政府が勝つかも知れぬが、将来の中国の主人は共産党になるに違いない。しかし我々は今中共に協力するわけにはいかない。現中国の当主は国民政府なのだ。自分は唯物史観の本を読み、共産主義の勉強もしたが、人間性を否定している点で同調できない」と述懐した。実際に浜本の書斎には唯物史観の書籍があった。

 あの8.25の混乱の時、身を呈してソ連軍司令部に乗り込みシベリア連行を取り止めさせた。結果5000人の命が救われる。一時浜本は多大な信頼を集めた。しかし八路軍の支配が長引くにつれ、浜本をファシストだという内部からの陰口が強まる。ファシストは民主主義の敵だという声がそれまでの仲間内からも聞かれるようになった。当然八路軍の標的になっていく。

 鈴木弓俊は浜本一家が住んでいた白百合寮の風呂に、浜本と2人の坊やと入ったことがある。鈴木は「(あなたを陥れようという連中は)誠意の通じない相手だ。今はいったん身を引いて彼らに任せたらどうか。どうせ手に負えなくなって投げ出すに決まっている。その時復帰すればいいのではないか。このままではあなたは殺されるかも知れない。奥さんや子どもさんのためにも身の安全が第一だ」と勧めた。

 これに対して浜本は「5000人のためを思えば手を引くわけには行かぬ。5000人が生き延びて祖国に帰るためなら、自分の命や家族のことは問題ではない」と言下に淡々と答えた。

 吹野信平を柱とする浜本宗三、川原鳳策、加藤治久、加々路仁、勝野六郎らの将校グループは、日本人居留民の安全、祖国引き揚げを目的としていたが、同時に戦後の中国がアジアの巨大民族として大きく発展することも望んでいた。吹野が唱えた大陸蟠きょ説は、中国に日本がやったことの過去を贖罪し、日本が新中国建設に役立ちたいという理想だった。浜本たちはその実現へ向けて熱い議論をたたかわせた。

 反面吹野たちの指導を心よからず思う人たちもいた。早く祖国引き揚げを実現するためには国府軍に頼るのが一番という考えを主張した。主張しただけでなく、国府軍に内通し、八路軍を掃討することが謀られた。吹野たちの指導部と国府内通派の集団とで対立が深まり、時には暴力沙汰になることもあった。

 この日本人内部の亀裂に乗じて国府軍側からの働きかけが強まる。八路軍はますます疑心暗鬼になり、反共策動の根を断ち切るべく弾圧を強めた。しかも国府軍の進攻が迫ってくる。そこで彼らのとった手段が強制連行と銃殺だった。――浜本の眉間は真正面から銃弾が貫通していた。
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戦後続いた労働体系を壊させてなるものか

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載
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労働運動は社会の米・野菜・肉だ。
2018年04月09日
戦後続いた労働体系を壊させてなるものか

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

 「高プロ争点に攻防へ」「働き方改革 閣議決定」(7日付『毎日』1面)「労働時間の拡大懸念」「緩和と強化抱き合わせ」「上限規制骨抜きの恐れ」「与党に会期延長論 追及覚悟で成立狙うか」(同3面「クローズアップ2018」)。「安倍晋三首相は今国会を『働き方改革国会』と位置付けており、与党は働き方改革関連法案の成立に全力を挙げる」。

 同日付の社説も「働き方改革」だ。タイトルは「残業時間の規制が原点だ」。要旨をまとめると次のようになる。「当初の予定が遅れたのは厚労省のデータに不自然な数値があったためで、結局裁量労働制の拡大は削除された。若い世代が安心して働くためには残業規制が重要。ところが法案は高プロなどの残業規制外しが組み込まれた。残業規制と規制緩和が同じ法案であることに無理がある。まず残業規制という原点に立ち返って議論すべきだ」。この主張は間違ってはいないがいかにも甘い、とおれは思う。

 今年2月、安倍首相が法案の根拠とした厚労省データがズサンな代物だったと叩かれて、裁量労働制の拡大という法案の一角が崩れた。その時一番悔しがったのが経団連(財界)だった。つまり財界にとっては裁量労働制とか高度プロフェッショナル制度とかはかねてからの宿願だったのだ。

 日本の働き方を律する労働基準法は時間管理が基本である。何時間働いて何ぼの賃金というのが原則なのだ。週40時間とか週休2日とかの労働時間規制は、財界にとっては搾取の限界が法律で決められているということであって我慢ならない。「企業利益にどれだけ貢献したから何ぼ」の賃金体系、つまり「成果」を基準にした新しい労働基準を設けたい。安倍首相の働き方改革は財界の意向そのものなのだ。

 「働くだけ働かされて、つぶされるのではないか」と40歳代のコンサルタント業務の男性は危機感を抱く(『毎日』)。「多忙な時期に睡眠が1〜2時間の日が続き、過労で倒れた経験かある」。この働き方は明らかに正常ではない。問題はこんな働き方が高プロ制度によって法律のお墨付きをもらえることだ。今必要なのは労働基準法の厳守であって財界の希望する「緩和」であってはならない。

 安倍首相や財界が狙うのは、戦後続いてきた労働基準を根底からひっくり返すこと、彼らの言葉を使うなら「改革」「革命」なのだ。こちらも腰を据えて対決しようではないか。特に労働組合の奮起を促したい。
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2018年04月05日

爆風(69)

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載
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労働運動は社会の米・野菜・肉だ。
2018年04月05日
爆風(69)

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

 吹野信平のもとで川原鳳策とともに旧火工廠のリーダー的役割を果たしていた浜本宗三が2月上旬、八路軍に拉致された。国民政府軍への内通容疑だった。

 浜本たちは日本居留民の安全、確実に祖国に帰還させることを期して会議を開いていた。佐野肇はある夜の会議に出席を求められた。部屋に入ると、吹野、川原、浜本ら十数人の幹部が顔を揃えていた。そのうちの1人から居留民内部の動向が報告され、内部崩壊を防ぐためそれぞれの持ち場で教育宣伝活動を行うことが確認された。また正確な情報の収集の必要性から新京、奉天、大連に2人組の調査団派遣も決まった。

 佐野は浅野中尉と組んで奉天に行き、国府軍幹部に会うという任務を与えられた。年明けから国共内戦が激化し、現在火工廠を支配している八路軍がそのまま支配を続けられるかどうか危ぶまれる。国府軍の支配に変わることも想定して伝手をつくっておいた方がいいのではないか。浜本たちはそのように考えた。国府軍との内密の接触は佐野たちと別のところでも試みられた。その際「お墨付き」と称される文書を国府軍側から渡されることがあり浜本はそれを書斎の本の間に挟んで保存していた。

 八路軍に拉致された浜本宗三の社宅が徹底的な家宅捜索に遭った。そして書斎から「お墨付き」が押収されたのである。万事警戒怠りない浜本にしては軽率だったが、八路軍は端から「お墨付き」の存在を知っていた気配がある。例の十数人の会議が秘密を保たれていたものかどうか。誰かが八路軍に密告したのではないか。疑えば疑えるが、事後になっては真相を究明する手立てはない。

 遼陽の八路軍施設に留置された浜本だが、取り調べはほとんど行われなかった。八路軍の反共分子に対する扱いは、取り調べもせず長期間留置場に放置し、本人が精神的に困憊するのを待つ。もしそれでも改心が認められなければ罪状を並べて処刑する。清水隊の佐藤少尉や少年義勇軍の神田中隊長はそうやって処刑された。浜本宗三も3月18日、太子河の川原で銃殺され死体は遺棄された。

 浜本の遺体のそばに唐紙大の立札があり、そこに「浜本大尉は強力な火薬を製造し多数同胞を殺傷した」と罪状が書かれていた。浜本は技術将校であり火工廠の指導者の1人だった。太子河の川原には浜本のほかに遺体が2体あり、1人は板橋柳子少尉、もう1人は堀内義雄青年だった。

 板橋少尉は吹野信平や川原鳳策とともに拘禁され、吹野たちが釈放された後も留置されたままだった。東京陵の官舎で隣り合わせの米田穣賢は《板橋さんは中支戦線で負傷、一度帰還したが再召集で我々の918部隊に配属。碁が好きでそれも徹底的な喧嘩碁。顔に大きな傷跡があった。それが八路軍に嫌われたか、中支戦線の勇士に対する報復だったのか。誠にお気の毒なことだった》と述懐している。板橋少尉の罪状は「火工廠において同胞労働者を虐待した」というものだが、具体的には何ら指摘がない。

 堀内青年も吹野、川原らとともに遼陽の収容所に入れられたが、「国民党に内通した」と罪を認めて翌日釈放された。その足で新妻のいる東京陵に戻ったが、日系八路の密告で再び逮捕。今度は釈放されずに留置が続き、ついに銃殺された。堀内青年が国民党員であったことは間違いないということだ。
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爆風(68)

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載
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労働運動は社会の米・野菜・肉だ。
2018年04月02日
爆風(68)

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

 軍医の勝野六郎は3月5日、銃剣で武装した八路軍兵士に連行され、暗い部屋に監禁された。取り調べはほとんどない。3日後、連行についての何の言い訳もなくそのまま釈放される。ところが10日ほどしたら今度は便衣隊風の男に呼びだされた。夜遅いのに目隠しをされる。30分も歩いて線路のところに着いたら暗闇の中で銃声が一発。後で時間的に合わせて考えると清水隊の佐藤少尉の銃殺時間に一致する。八路軍兵士は「嘘を言うとお前もああなるのだよ」と日本語で勝野を脅した。

 目隠しは取られたが針金で後ろ手に縛られた。夜半なのに工事場の周辺で日本人が穴を掘っていた。何故穴を掘るのか質問したが誰も答えない。八路軍兵士は「余計な口は聞くな」と凄んで、病院近くの空いている官舎に引っ張り込んだ。そこには松岡道夫中尉がいたが話はできない。やがて2人とも宙吊りにされた。松岡は背が高いので爪先が床についたが勝野は宙に浮いた。

 縛られた手が麻痺し意識も霞んできた。何やら叫んだつもりだが声になったかどうか分からない。突然ガタンと床に落とされた。しばらくして意識が戻ってくる。小便を垂れ流したらしくズボンの前が冷たかった。意識をなくしている間に歩哨が変わったらしい。よく見ると以前傷の手当てをしてやった兵士だ。向こうも気がついて「酷いことをしたようですが、お気の毒でした」と一応謝ったが、「しかし何か知っていることがあったら早く言ってしまった方がいいですよ」と懐柔にかかる。

 訊問の内容はかなり多岐に亘っていた。@銀塊の隠匿、A病院の井戸から発見された機関銃のこと、B敗戦時の青酸カリの配布、C薬品隠匿の嫌疑、Dソ連兵と親密にしていたことへの反感、E八路軍への協力欠如、等である。勝野は「私は何も知らないから言うことはないよ」と答えてその後は黙った。

 縛りは解かれなかったが宙吊りはなくなった。松岡と2人並んで話もできる。手の痛みを堪えながらお互いに励まし合った。しばらくして何も言わずに釈放されたが、病院の薬棚からブドウ糖、リンゲル、サルバルサンなど貴重な薬品が持ち去られていた。国府軍の進攻に抵抗できず火工廠から撤退していったのである。

 八路軍は撤退したが、顔見知りの兵士がこっそり戻ってきて勝野に「往診鞄と持てるだけの薬品を持って我々に同行するように」と命じた。断りたかったが強制的に馬車に乗せられた。遼陽の街中で食糧を調達した後、太子河を渡って名も知れぬ部落の民家に落ち着いた。国府軍との戦闘の跡が柱や壁に生々しい。勝野はそこで八路軍兵士の銃創の手当てをさせられる。待遇はよかったし、態度も優しかった。

 ある日八路軍幹部が5歳の娘を連れてきて「肺炎だが手当をしてほしい」と頭を下げた。この幹部兵士は以前勝野に広島と長崎に落とされた原子爆弾の話をしてくれたことがある。勝野は1晩徹夜して、トリアン注射や糖液の点滴の治療をした。娘の高熱は収まる。それをきっかけに勝野は釈放され、単身東京陵に帰りついた。
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「花より団子」ならぬ「花より政治」の季節到来

元ワイドショープロデューサー仲築間 卓蔵(なかつくま・たくぞう)のブログ
「テレビ」と「平和」と「憲法」のblogより転載
http://blog.goo.ne.jp/takuzou4108
2018年03月29日

「花より団子」ならぬ「花より政治」の季節到来

■仲築間 卓蔵(元日本テレビプロデユーサー)

民放関東シニアの会会報に書いたものの転載です

 世の中春爛漫だが、政治の世界は、とりわけ安倍政権の前途はお先真っ暗である。

 政治の争点は、いま「森友問題」。やっと実現した佐川(元理財局長)国会喚問だったが、「刑事訴追の恐れがあるから」という理由で証言拒否の連発だった。国民の目には「証言拒否」は「安倍総理夫妻隠し」と映ったが、真相に迫りきれないもどかしさも残った。

 そのもどかしさをスッキリさせてくれたのが参院予算委員会(3月28日)での小池晃参議院議員(日本共産党)の質問だった。その模様を収録ビデオで見た。小池さんが「昭恵氏が名誉校長を務めているのは、どこの学校か」と問うた。安倍首相は「名誉職に就いていた団体は55件だ」と応えた。「そのうち名誉校長、名誉園長だったのはどこか」と問うた。安倍首相はしどろもどろになり「二つあった」と答えた。その二つとは、加計学園が運営する“御影インターナショナルこども園”と、森友学園が開校予定した“瑞穂の国記念小学院”である。小池さんは「”モリカケ“ではないか。何が『行政等に影響を及ぼしたことはない』だ。国政調査権の発動が必要だ」と、国会による真相解明を強く主張した。痛快だった。森友問題はやっと扉がこじ開けられそうだ。痛快がっているだけではダメだろう。今度は市民の出番である。4月14日の国会前集会に誘い合って参加したい。

 放送メディア出身として見逃せないのは「放送法」の「改革」の動きだ。政府内で放送法4条(放送の政治的公平など)の撤廃を含む「放送制度改革」案が検討されているという。フェイク番組が増える恐れのあるこの動きに要注意である。「花より団子」ならぬ「花より政治」の季節到来である。


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2018年03月30日

爆風(67)

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載
http://blogs.yahoo.co.jp/shosuke765
労働運動は社会の米・野菜・肉だ。
2018年03月30日
爆風(67)

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

 敗戦時火工廠には918部隊のほかに清水中尉を隊長とする300人の中隊が駐屯していた。隊員中10人が在満現地召集。その1人朝枝周爾の手記。

 《8月25日、あの忌まわしい夜。隊員の1人が東京陵病院に入院していました。清水隊長から「本隊は火工廠の集団自決となればそれに加わらずに出発し、ソ連軍の指示に従って集合場所の海城へ向かう。入院中の隊員は重態であり、行動を共にできないので、出発の合図があったら銃殺して本隊に合流せよ」と命令されました。まったく参りましたが、浜本大尉らの働きで自爆が回避されほっとしました》。

 清水隊の幹部は清水中尉以下、隊付少尉の佐藤利博、曹長1人、班長を任務とする伍長が4人、兵長が2人であった。佐藤少尉は大正時代の志願兵で、軍隊の経験のないまま除隊、その後は東京王子の兵器廠に勤務していた。45年2月に49歳で召集され渡満、火工廠駐屯の清水隊に配属される。剣道の達人で、軍隊の規律には無頓着な好々爺として兵たちに親しまれていた。

 46年3月初め、佐藤少尉は武器隠匿の嫌疑で八路軍に連行され過酷な訊問(拷問)を受ける。最後には精神に異常をきたすようになったらしい。

 3月14日ないし15日の正午過ぎ、唐戸屯梅園町山本区の石原二三区長は八路軍兵士の呼び出しを受けて山本区の西広場に向かった。広場には1本の柱が立っていて清水隊の佐藤少尉が後ろ手に縛られている。10人ほどの兵士に将校がなにやら号令。兵士たちは銃を構え、30mくらい離れた位置から発砲した。遺体はその場で引き渡され、太子川の河原で荼毘に付された。石原区長は遺骨を引き取り、加藤治久、辻薦らと通夜を営んだ。何故か2人の日系八路も加わった。

 銃器隠匿の容疑で恐怖の取り調べを受けた木山敏隆の手記。《鉄と称する八路軍政治部員の尋問は峻烈を極めた。彼らは通化事件の再発を恐れていたものと思われる。長時間の取り調べの最後で「お前は銃殺だ」と宣告された。執行官らしい兵士がモーゼル銃で背を小突く。雪の降る深夜約30分、戸外を引きまわされた。無実で殺されるのかと思うと無念さでいっぱい。家族のこと郷里のこと等頭を去来する。

 今撃たれるか、もう撃つのか、緊迫した心理は説明不可能だ。恐怖の行進はぐるっと回って拘禁されていた建物に戻る。そして再び拘禁。芝居だったのか。しばらくして再び呼び出される。取調室に入ると、何とそこに浅野中尉、江島朝乃さんがいる。政治部員の鉄が入ってきて「無罪釈放だ」と嫌みたっぷりに言う。午前5時頃箱根峠を越えて東京陵へ。東京陵の官舎街にも雪が積もっていたが、自宅の玄関前はきれいに雪かきしてある。八路軍兵士の出迎え。また拘引かと身構えたが、彼らは各家庭に分宿していた兵士だった。妻も子どもも無事。分宿兵士の軍規は厳正に守られていたそうだ》。
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捏造したのは逆だった−植村名誉棄損裁判傍聴記B止

水久保文明さんのブログ「ヘボやんの独り言」より転載
http://96k.blog98.fc2.com/
18年03月28日
11574 捏造したのは逆だった−植村名誉棄損裁判傍聴記B止  

■水久保文明(JCJ会員 千代田区労協事務局長 元毎日新聞労組書記)

 これを週刊新潮風に見出しを立てるとすると、主見出しは「捏造と指摘したそれが捏造だった」。脇見出しは「裏取りもせず、捏造呼ばわり その責任をどうするのか櫻井よしこ氏」。ということになろう。勝負あった、である。

 櫻井よしこ氏が法廷で発した最後の一言もまた印象に残った。「朝日(新聞)が書いたものはウソだ。私は間違っていたら反省する。朝日も反省してほしい」――という一言が。私は法廷で声を出すわけにはいかず、心の中で爆笑した。

朝日新聞はこの問題の検証で、吉田清治発言の記事をすべて撤回することを表明し、合わせて植村記者の記事に間違いはなかったことを表明している。櫻井氏の最後のこの一言は、私には犬の遠吠えにしか聞こえなかった。

 それではこの項の最初に指摘した「為にする」その下心はなんだったのか、考えてみたい。ズバリ、南京大虐殺はなかった、従軍慰安婦はなかったという歴史改ざんの押しつけだった、と言えよう。その恰好の餌食≠ニして植村さんの記事を持ち出してきたのである。

 なぜ植村さんだったのか、それは次のステップのために朝日新聞社を退職することが決まっていたからと考えられる。「言論は言論で応えるべき」と櫻井氏は主張した。が、言論の場を去った植村さんにはその力≠ェ及ぶはずがない。あるとすれば、方法は市民的言論、すなわち訴訟しか術は残っていなかったのだ。

 もう一点、強調しておきたいことがある。「思い込み」の恐ろしさについてだ。櫻井氏は歴史修正を主張するお友達≠フ論文だけを頼って、植村さんの書いたものを「捏造」と批判した。法廷でその出典が間違いだったことを素直に認めたが、ジャーナリストとしては失格に値する。

 その誤った思い込みがネトウヨを興奮・増長させ、北星学園や朝日新聞退職後に予定していた職場、そして家族に理不尽な脅迫を行ったのである。これは見方を変えると「そそのかし」と言えないか。誤った情報にそそのかされたネトウヨもネトウヨだが、誤った情報を提供した方はもっと悪い。裏の取れていない事柄は、思い込みだけで報道してはいけないことをこの事件は教えてくれている。

 それにつけても、家族を守るために、言論の自由を守るために立ち上がった植村隆さんに改めて敬意を表したい。そして、このたたかいは断じて負けられない戦いとしてさらなる支援を強めたいものである。

※詳細は「植村裁判を支える市民の会」ホームページを参照
http://sasaerukai.blogspot.jp/

★脈絡のないきょうの一行
佐川証人「刑事訴追の恐れがありお答えできない」。その「訴追される恐れ」の内容を知りたいねー。
posted by マスコミ9条の会 at 20:35| Comment(0) | 事件 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

えっ毎日新聞でこんなことあり?

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載
http://blogs.yahoo.co.jp/shosuke765
労働運動は社会の米・野菜・肉だ。
2018年03月28日
えっ毎日新聞でこんなことあり?

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

 牧太郎さんのブログ(3月27日付)を読んでびっくりした。えっまさかそんなことが、と一瞬疑った。27日夕刊に載るはずだったコラム「牧太郎の大きい声では言えないが」(最終回)が没になったというのだ。牧さんは没になった原稿全文をブログにアップしている。

 タイトルは【「青い空」で会いましょう】。東京の下町で料亭を営んでいた肝っ玉母さんの話が枕。新聞記者は「権力を監視すること」という牧さんの信念の吐露のあとに「最近、新聞が『権力』になってしまったように思うのです』と続く。何故なら新聞業界は消費税増税にあたって「購読料の軽減税率」を求めている。この主張は「税の不平等」に繋がるのではないか。という主旨である。

 原稿は21日午前中にデスクに渡された。デスクから「軽減税率」のところを書き直してもらえないかとの注文。理由は@社論と正反対、Aこれでは新聞社が権力を行使しているとの誤った印象を読者に抱かせるの2点。牧さんは@社論に反する意見にも柔軟に対応するのが「民主主義の新聞」ではないか、A軽減税率を求める結果、新聞が与党に与して安倍一強の政治状況をつくっているとの批判が存在する、僕はそれがまさに心配なのだ、として書き直しを拒否。その結果原稿は没になったというのだ。

 ブログによれば、毎日新聞の内部でこの問題を材料≠ノして「新聞とは何か」という真剣な議論がされた。牧さんを支持する人たち「編集編成局のトップと僕の間に挟まって、苦労された仲間」に牧さんは「ごめんなさい」と頭を下げている。28日のブログによればその人たちにモナカを贈ったようだ。

 毎日新聞が巨額赤字を計上して倒産の危機に瀕したことがある。財界や金融機関は毎日解体を狙って攻撃を仕掛けてきた。1974年から3年間の悪戦苦闘の末、やっと立ち直るとき労使交渉でつくられたのが「毎日新聞編集綱領」である。その第三項に「毎日新聞は社の内外を問わず、あらゆる不当な干渉を排して編集の独立を守る」とある。不当な干渉は外部からだけでなく内部からも矢を射られるのである。

 牧さんはブログの最後で「たった一人『新聞の軽減税率』に反対した『名も無き新聞人』がいたことを覚えてもらいたい!」と書いているが、けっして「一人」ではない。あれたちOBも含めて社の中にも同志はたくさんいる。労働組合だって黙っているはずがない。新聞経営が苦しければ苦しいほど読者との繋がり、読者の支持が大切になる。牧さんの叫びは毎日新聞の明日を紡ぐ原点になるとおれは確信する。
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捏造したのは逆だった−植村名誉棄損裁判傍聴記A 

水久保文明さんのブログ「ヘボやんの独り言」より転載
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18年03月27日
11573 捏造したのは逆だった−植村名誉棄損裁判傍聴記A  

■水久保文明(JCJ会員 千代田区労協事務局長 元毎日新聞労組書記)

 15分の休憩のあと、次の証人・櫻井よしこ氏の尋問が始まった。

 主尋問のなかでも、吉田清治という名前が何回か出てきた。櫻井氏は植村さんが書いた記事の中の、「売春行為を強いられた」という部分について「これは吉田清治氏の発言をもとにしている。暴力的に連れて行ったということも吉田氏も書いており、女子挺身隊はそんなことはなかった」と主張。

 さらに、(私は笑ったが)従軍慰安婦に関する報道は朝日新聞が多かったことを力説。「朝日がこの問題の(新聞全体の)報道の4分の3を占めたことがある。90年は77%だった。その後は各新聞も書くようになり減っていった」と。そこには朝日憎し≠ェ漂っているだけだったと言っても過言ではない。

 反対尋問は厳しく行われた。植村さんの記事を「捏造」と批判した根拠について、逐一、問い詰めていった。その中心となったのは元従軍慰安婦の金学順(キム・ハクスン)さんらが日本政府に対して謝罪と損害賠償補求めた裁判だった。

 櫻井氏らは、金さんがその訴状で「養父から40円で売られた」と述べており、売られたということは人身売買であり、強制的に慰安婦にされたものではない、と主張したのだ。そのうえに立って、「植村さんは金さんらが慰安婦にされたと捏造した」という論理を飛躍させたのである。

 この点について反対尋問は、訴状に「40円で売られた」という記述がないことを櫻井氏に確認させたうえで、週刊誌やテレビでそのことを主張している事実について書証をもとに指摘、ついに「出典が間違っていた」と櫻井氏は言わざるを得なかった。間違っていた問題については、訂正することを法廷で約束した。監視が必要である。

 この裁判が始まった直後、植村さんは私に「櫻井さんは金さんの訴状を読んでいない可能性がありますよ」と語ったことがある。この証人尋問はまさにそのことを証明したことになる。ということは、賢明なみなさんにはもうお分かりだろう。「捏造だ」と主張したその人が、実は捏造していたことになるのである。

(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
始まった佐川喚問。日本の民主主義のカナエの軽重が問われる。いま、歴史が軋んでいる。



posted by マスコミ9条の会 at 20:30| Comment(0) | 事件 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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