2017年09月13日

「制裁強化」で事態を打開できるのか

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載
http://blogs.yahoo.co.jp/shosuke765
労働運動は社会の米・野菜・肉だ。
2017年09月06日
「制裁強化」で事態を打開できるのか

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

 相次いでミサイル発射、核実験を行った北朝鮮に対する「制裁」措置が強化されようとしている。「北朝鮮追加制裁を協議」「安保理 石油禁輸焦点」(5日付『毎日』)。「新たな制裁として検討される可能性のあるのは、北朝鮮経済に打撃を与える石油の禁輸や、北朝鮮の外貨収入源となっている派遣労働者の禁止や削減、北朝鮮産の縫製品の禁輸などが挙げられる」。さらに取引企業への制裁強化も検討されている。

 「石油禁輸」という新聞の見出しを見て、なんとなく既視感に襲われた。76年前の1941年7月、アメリカは日本への石油全面禁止に踏み切った。帝国主義国家日本は37年7月に蘆溝橋事件を引き起こし、対中侵略戦争を本格化させた。これに対してABCD包囲網と呼ばれる共同戦線がつくられた。

 ABCDとはアメリカ、イギリス、中国、オランダの頭文字を揃えたもので、4カ国が協力して中国侵略を進める日本への制裁を強めるシフトのことだ。アメリカは当初、他国への不干渉主義を採り、日本制裁に消極的だったが、41年に至って石油全面禁輸とともに在米日本資産の凍結を宣言した。

 日本軍国主義政府はこのアメリカの措置を奇貨として国民に危機感を煽り、12月8日の真珠湾奇襲、対米戦争に突入した。「米国の動向が日本の前進の妨害者である以上、そこには日米危機の到来もまたやむを得ぬ。日本国民はこの点につき非常な覚悟を持つ必要がある」(『毎日』社説・毎日社史より)。
 
 もちろん、当時の日本軍国主義と今の北朝鮮を同一視するのは間違いだ。日本軍国主義は東アジア諸国への侵略を狙っていたが、北朝鮮には侵略的意図はない。アメリカの軍事的脅威に対抗しているだけだ。しかし、国連安保理決議に従わずミサイルや核兵器を開発していいわけがない。

 そこでどのようにして北朝鮮を話し合いのテーブルに着かせることができるか、ということが課題になる。アメリカのトランプ大統領のように、軍事行動を準備したり、一国の指導者の「斬首作戦」を計画するのは論外としても、やはり経済的な制裁は必要ではないかという意見が圧倒的だ。

 しかし制裁は短期間には効果が出ない。ますますエスカレートする。その結果北朝鮮が「参りました。もう敵対行為は止めます」と頭を下げるだろうか。真珠湾の二の舞いにならないか心配だ。
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フリーランスの権利確立への道

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載
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2017年09月03日
フリーランスの権利確立への道

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

 「フリーランス独禁法で保護」「公取委検討 労働環境改善図る」「芸能関係も注視」(3日付『毎日』)。公取委がフリーランスの法的位置付けを検討する有識者検討会をこの8月に始動させた。まずフリーランスの実態調査を始めるという。フリーランスにはフリーのエンジニア、コンサルタント、などのほか芸能人やプロスポーツの選手も含まれる。これらは労基法と独禁法のグレーゾーンという認識だ。

 過去1年で雇用とは別に収入を得た人が推計1122万人。副業タイプが目立っているが、プログラマーやエンジニア、個人事業主ら専門性の高い仕事をする人も300万人に上る。これらの人材の引き抜き競争が過熱しているのだそうだ。公取委は既に芸能事務所やスポーツ団体から聞き取りを始めた。

 おれも労働委員の現役当時、労働者性を争った事件をいくつか担当したことがある。日刊ゲンダイのフリー記者、NHKの受信料集金人、車持ちトラック運転手、合唱団員などだ。いずれも労働者性が認定されて救済されている。労使対等の話し合いによって事件はすべて解決へ向かった。

 さて今度の公取委によるフリーランスの独禁法適用の方針だが、例の安倍政権の「働き方改革」と通じているようでどうも危険な臭いがする。独禁法でフリーランスを救済するふりをして、狙いは労働者性を否定するところにあるのではないか。独禁法はそもそも企業間の法的秩序を示す法律なのだ。

 確かにフリーランスの労働者としての権利が脅かされていることは事実だ。芸能界やプロ野球では人身売買まがいの事務所間、球団間の移動が強制される。タレントや選手と交わした契約が企業の一方的な意思に変更される。過酷な懲罰が課せられる。今回の巨人軍山口俊投手への球団による仕打ちがいい例だ。

 だから、フリーランスの無権利状態を放置しておくわけにはいかない。なんとか救済しなければならない。しかし、その救済手段を独禁法に求めるのはいかがなものか。フリーランスを支配従属関係においてその労働の成果を安く買いたたこうとしている企業の側に有利になるだけではないだろうか。

 おれはやはりフリーランスの労働者性と団結権を認め、保証すること。それを侵害したら不当労働行為として企業にペナルティを課し、労働者を救済することが原則だと思う。労働者は団結してはじめて使用者と対等の立場に立てるのだ。フリーランスの権利擁護はまずそこから始められなければならない。
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ミサイル対応、ちょっと過剰過ぎるのでは

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載
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2017年08月31日
ミサイル対応、ちょっと過剰過ぎるのでは

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

 おれは若い頃から朝のテレビニュースはNHKを見ることにしている。いろいろ問題はあるが、コマーシャルがないのとそれから長年の習慣だ。29日朝7時過ぎに起きたら女房がテレビを見ていて「こればっかりよ」と言う。北朝鮮のミサイル発射のニュースが繰り返し放送されていた。ずっとそのニュースばかりで、楽しみにしている朝ドラの「ひよっこ」も中止になってしまった。

 30日付『毎日』も「ミサイル」一色。「ミサイル複数弾頭か」「北朝鮮発射 日本通過」「襟裳岬東方 事前通告なし」「列島越え5度目」「トランプ大統領『国連など侮辱』北朝鮮を非難」(1面)。「ミサイル迎撃に課題」「射程5000キロ『火星12』か」「新技術実験の見方『無駄撃ち』狙う」「列島防衛難しく」(2面)。「北朝鮮 方向変え威嚇」「『グアムも照準』誇示」「米、戦略立て直し急務」(3面)。

 「韓国対応に苦慮」「文大統領『強く糾弾』」「対話の実現性低く」(9面)。「国、屋内退避を奨励」「現実的な備えを」「『地下ない』『カラの浴槽入れ』困惑ツィート飛び交う」(第2社会面)。「どこに逃げれば」「戸惑う市民、自治体」「12道府県 休校相次ぐ」(社会面)。

 ミサイルは29日午前5時58分頃発射され、約14分後に太平洋上に落下したものとみられる。NHKニュースでは襟裳岬東方と繰り返していたので、日本列島の目と鼻の先に落ちたのかと思ったら、1180キロも離れた公海上だった。過剰反応ではないか。第一ミサイルが落ちてから休校する理由がどこにあるのか。また発射するかも知れないというのならずっと休校していなければならなくなる。

 NHKニュースに警戒のサイレンが鳴って不安そうに空を見上げる市民の顔が出ていた。まるで戦時中の空襲警報である。東北新幹線や仙台発の上り列車が「安全確認」のため急停車。「電車の中でどうしろというのか」と乗客は戸惑うだけ。過剰警戒で国民は大迷惑だ。逆に、がぜん元気になって飛びまわっているのが安倍首相。あちこちの国の首脳に電話をかけまくって危機感を煽りたてている。

 確かに北朝鮮のミサイルも誉められた話ではないが、何千キロと離れた他人(ひと)の国の鼻っ先で軍事演習をやらかすアメリカにも文句を言うべきではないか。アメリカ発の北朝鮮情報を垂れ流すだけのメディアでいいのか。30日付『毎日』は社説で「日本主導で5カ国協議を」と提唱、アメリカに朝鮮戦争の休戦協定を平和協定に格上げすることを求めている。そういうことなら日本も北朝鮮との間で戦後処理が終わっていない。そこがきちんとされなければ「日本主導」などあり得ないと思うのだが。
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労働運動見直しの時期なのだろうか

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載
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労働運動は社会の米・野菜・肉だ。
2017年08月28日
労働運動見直しの時期なのだろうか

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

 総評が生まれたのは1950年でなくなったのは90年、40年の生涯だった。総評はよく「にわとりがアヒルになった」といわれる。つまり誕生当初はレッドパージにも人員整理にも「ケッコー、ケッコー、コケコッコー」と賛成していたのが、そのうち単独講和反対、勤評反対と「ガ―ガ―」文句を言い出した。60年安保、沖縄返還、日韓会談反対、みのべ都知事実現などのたたかいの先頭に立った。

 もちろんいいことばかりでなく、社会党一党支持や反共路線といった後ろ向きの方針も根強く引きずっていた。結局それが災いして総評解体、連合結成という事態になってしまった。総評の積極面を引き継いだ全労連だが民間主要組合への影響力を失い、ストも打てなくなった。残念だがどうしようもない。

 総評会館は連合会館になった。その連合会館の前に7月のある日、「連合は勝手に労働者を代表するな!」というプラカードを持って労働者が集まった。例の「残業代ゼロ法案」を連合幹部が呑むと決めた時だ。この抗議行動について、連合加盟の全国ユニオンの鴨桃代顧問は心から同意する。

 「連合が最大のナショナルセンターといっても、そもそも労組の組織率が17%くらいしかないのに、なぜ連合の、それも一部の幹部がすべての労働者代表であるかのように、労働者全体に影響の及ぶ法律を勝手に決めるのか。怒りをぷつけたいはよくわかります」(8月25日付『週刊金曜日』から)。

 結局連合は「残業代ゼロ法案」の修正・是認方針を撤回し、反対することに戻した。内部的には、政権とつるんで労基法改悪を謀った次期会長候補の逢坂直人事務局長が失脚する羽目になった。しかしこの間の右往左往ぶりはいかにもみっともなく、政府と財界から足元を見られて揺さぶりをかけられることは必至だろう。

 いま労働組合に求められているのは何だろう。前記『週刊金曜日』で雨宮処凛さんは「エキタス」のような組織が運動の方向性を示していると主張する。「『悲壮感を出さない』という彼らの運動はいつもスタイリッシュでカッコいい」「最低賃金を上げろ。この要求は、あらゆる対立を超える」。

 おれみたいに総評労働運動の中で半生を過ごしてきた人間には、エキタス的運動だけでは権力や資本から大幅な譲歩を引き出すのは無理だという思いがある。もう一度労働運動を根底から考え直す時期に来ていることだけは確かだが。
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沖縄ノート(6)「沖縄戦」とはどのようなものだったのか(後)

17年08月25日
沖縄ノート(6)「沖縄戦」とはどのようなものだったのか(後)

■坂本陸郎(JCJ運営委員;広告支部会員)


避難と敗走
 アメリカ軍の上陸地点となった読谷山、嘉手納、北村付近の住民が米軍上陸の事実を知ったのは上陸の三日後だった。それまで、住民は空襲を避けて防空壕や墓の中に身を潜めていた(沖縄の墓は丘の斜面などに掘られていることから壕として避難に適していた)。
 米軍上陸後は、手榴弾によって自決した住民もいたのだが、米兵の指示に従って恐る恐る壕から出て捕虜となり、米軍が用意した収容所に送られる住民もいた。あるいは激戦地を離れて南へと逃れて行った住民も多かった。
 首里防衛を断念した沖縄第三十二軍は、住民に続いて南部の島尻への移動を始めた。空軍の特攻攻撃も敵軍の戦力を削ぐまでには至らず、海軍に援護を求めたのだが、主力艦「浜風」「大和」「矢矧」はすでに撃沈され、海の藻屑と化していた。

鉄血勤皇隊
 沖縄戦では、本土出身の約6万5000人の兵(その多くが中国と南方からの配備)と、沖縄で集められた約3万人の即製の兵と、一般民間人約9万4000人が犠牲となった。そのほかに、朝鮮半島から軍夫(強制徴用された労働者)と従軍慰安婦約1万人も犠牲となっている。一般民間人の犠牲者数はおそらくそれ以上であっただろう。それら正確な数はいまなお明らかになっていない(新崎盛暉著『沖縄現代史』岩波新書から) 。
 沖縄の青少年の犠牲も少なくなかった。中学生や師範学校の生徒が兵(学徒)とされ、下級生は電話線の仮設工事、発電機の操作などに動員され、上級生は「鉄血勤皇隊」として編成され、機雷を担いで突撃する「肉薄攻撃」に使途されたが、半数以上が戦死した。首里攻防最後の砦であった弁ケ岳の戦闘では、学徒だけで編成した一個分隊全員が「肉薄攻撃」によって全員が戦死した。15歳で徴用された『戦争と沖縄』の著者池宮城秀意氏が、徴用された当時の様子をこのように語っている。
「私たちの集団には軍人らしいものは一人もいませんでした。小隊とか中隊といっても全部社会人ばかりです。ちょうど今でいえば、PTAの人たちを急に招集して軍隊にしたようなものです。巻脚絆を絞めたことさえない者ばかりでしたので、まずこれを練習しなければならないというありさまでした。これでは軍隊にならない、ただの集団にすぎません。日本陸軍の二等兵ということになっていましたが、まさに子供と大人の寄せ集めをしたものが防衛隊だったのです」

「かく戦えり」
 沖縄で最も川幅が広い国場川が軍と住民の南下を妨げていた。その橋を渡らなければ南の島尻へ行くことができなかった。その川の上に架かる真玉橋周辺をアメリカ軍は狙い撃ちした。そのため、真玉橋一帯は死屍累々となった。命をとりとめて渡り終えた住民も、その後は飢えに苦しみながら南部の戦場をさまようことになった。
 一方、南部の摩文仁へ撤退した第三十二軍は、完全に包囲されていた。中部の小禄にあった海軍の部隊は南下ができず、そこでも孤立していた。援軍のない部隊の孤立は死を待つしかない。最期を決意した海軍の太田司令官が海軍次官あてに次のような電文を送っている。
「沖縄に敵が上陸をはじめてから、陸軍も海軍も戦闘に専念し、県民のことはほとんどかえりみるひまがなかった。しかし私の知る範囲では、県民は青壮年の全部が防衛招集になり、残った老幼婦女子は、あいつぐ砲爆撃で家や財産は全部焼かれてしまい、きのみきのままで、軍の作戦に邪魔にならない所の小さな防空壕に避難し、風雨にさらされながら困難な生活をおくっている。(中略)陸海軍は沖縄に駐留してから、ずっと勤労奉仕や物資の節約を強いられながら奉公したが、報われることなく、戦争は末期になり、沖縄島は焦土となるであろう。沖縄県民かく戦えり、県民にたいし後世特別の御高配を賜らんことを」
 その後、太田司令官が自決したことを思えば、電文は良心の吐露ともとれる。絶望的戦況も住民の惨状も書かれている。だが、軍による住民虐殺の事実をどれほど知っていただろうか。

殺戮と集団自決
 沖縄では、軍人9万4000人、住民15万人といわれる人命が失われ、生き残った人々も地獄と化した戦場をさまよった。その80日あまりの沖縄戦は、6月23日にようやく終結する。
 沖縄戦といえば、ひめゆり学徒隊や鉄血勤皇隊が語り草ともなるのだが、沖縄では、さまざまな殺戮があったことが語り継がれている。沖縄戦は、日本軍の蛮行による血塗られた悲劇でもあった。兵隊と住民が雑居する洞窟(ガマ)で何が起きたのか。
 ガマに逃げ込んだ軍隊と住民の食糧は、日を追うごとに底をつきはじめ、弾雨あられの中で、飲み水を探すことさえできなかった。傷ついた体は、やがて腐り、兵と住民がともに隠れるガマの中には腐臭が漂っていた。
絶望的な日々を暮らすうち、兵士たちの恐怖が住民に対する猜疑心を増幅させた。米兵に居所を知られたくない彼らは、住民の密告を恐れ、それが、同胞住民の殺戮へと向かった。
 兵たちは、ガマを出ようとする住民を背後から射殺した。米兵に気づかれるのを怖れ、泣く子を母親から引き離し殺した。そして住民を集団自決へと追いやった。陣地付近をうろつく住民がいると、それをスパイだとし、殺した。見せしめに同じ住民を使って殺させることもあった。
 軍は住民に集団自決を強要した。米軍最初の上陸地点となった慶良間列島の渡嘉敷島では、日本軍によって島民329人が集団自決に追い込まれた。座間味島では、軍が農産物と食糧を統制し、供出に違反する島民をつぎつぎと殺した。日本兵が同胞である住民を殺すことをためらわなかったのは、太田司令官軍の電文から読み取れるように、軍の目的が住民の生命を守ることではなかったからだが、それに加えて、兵たちが他民族の殺戮を当たり前とする中国などの戦地から配備されていたことが考えられる。(以上は、主に池宮城秀意著『戦争と沖縄』を資料とし、筆者の考えたことも加えて書いたものだが、住民の死者数が前出著『沖縄現代史』の数とは異なっている。「(その数は)いまだに明らかになっていない」と新崎盛暉氏は著書のなかで述べている)。

さまざまな殺戮
 次は、著書と国頭村の村史から殺戮の証言を拾い出したものである(村史は赤旗から引用)。
◇15歳の時、目の見えない母と10歳の弟二人を連れて逃げ回った。飲む水もなく、池から水を汲んできて飲んだ。その池には死体が浮かんでいた。いつかは日本軍が助けに来ると思っていた。だが信じていた日本軍は沖縄の人を殺した。戦争に負けるのをわかっていた日本軍は民間人を壕(ガマ)の入り口近くに追い出し、自分たちはガマの奥に隠れていた。子供が泣くと、口にタオルを押しこんたり、子供を母親からとりあげて殺した。自分の子供を日本軍に殺されるより、親子ともガマを出て弾に当たって死ぬ方がいいといって出ていく人が多かった。アメリカに助けられたのはありがたい。でも戦争をしたのが憎い。(国頭村制度施行百周年記念村史「くんじゃん」)
◇「五、六人の白ハチマキの女が、エイ、エイと声をあげながら、電柱に縛り付けられた女を短刀で交互に突き刺している。傍らに立つ兵が、しっかり突かんか、と大声をあげている。女の泣き声は断末魔の声となった。と同時に、短刀を突き刺す女たちの掛け声は泣き声に変わった。この時、どけ、どけ、と日本兵が女たちを押しのけると、腰の刀を抜き放ち、縛られた女めがけて刀を振り下ろした。すると女は首を垂れ、動かなくなった」(首里近くで目撃した学徒兵の証言)
◇伊江島では、アメリカ軍の命令で若い女五人と男一人が赤松の日本軍陣地に白旗をかかげ向かった。彼らは陣地近くで捕縛され、それぞれの穴を掘ることを命じられ、その後は、後ろ手に縛られ、穴の前に座らされた。日本刀を抜きはらった下士官が「言い残すことはないか」ときいた。三人の女が歌を歌わせてほしいと答えると、許され、軍歌「海ゆかば」を歌ったが、男女五人とも斬殺された。(岩波新書『沖縄』63年刊)
◇半地(地名)に読谷村から多くの人が避難していた。「知花屋」に居住していた数名の読谷村民が日本兵に「スパイ」だとされ、百メートル先のザークービー(座峠)に連行され、4人から5人が手首を縛られ、めった斬りされ、一面に血が飛び散っていた。(同記念村史)

◇戦火が及ばなかった浜に近い桃原で、「盛栄オジー」は、山中の小屋に避難している人の下山を促していたことから、スパイの嫌疑をかけられていた。そんな折、那覇市から桃原に避難していた高嶺さん一家を日本兵が襲撃し、手榴弾のような爆発物を投げ込んで妻を死亡させた。狙われていた「盛栄オジー」一家と間違えたのではないのかと囁かれた。死亡した妻の死体は頭から顔面、手足が焼けただれた無残な姿だった。(同記念村史)

◇沖縄戦終焉の6月23日から、その10日後の7月4日、宣名真、辺戸の住民4人(男)が、米軍が設置した収容所から解放され部落に帰る途中、追いかけてきた敗残日本兵数人に襲われ殺された。敗残兵は「収容所に入った者はスパイだ」と言っていた。(同記念村史)
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2017年08月28日

世界を「敵」に回す北朝鮮の実相

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載
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2017年08月25日
世界を「敵」に回す北朝鮮の実相

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

 8月14日、北朝鮮の白頭山で「第5回白頭山偉人を讃える国際祭典」が開かれ、外国から58カ国73団体196人が参加した。日本からは18人、そのうちの1人が水谷研次さん。水谷さんはおれと入れ違いに都労委委員になった元連合東京のオルグで、おれより一回り若い。6年前に退任し今労働審判員をしている。

 白頭山の偉人というのは、ここを本拠にして抗日パルチザンをたたかった金日成とここで誕生した金正日のこと。祭典では「反帝国主義、社会主義の砦である朝鮮を支持する活動をさらに力強く展開していく」との「2017年白頭山宣言」を採択、シュプレヒコールを斉唱しデモ行進をした。

 ――水谷さんは「シジフォス/ウェブリブログ」というブログでほぼ毎日、労働運動をテーマにした小論文を発表している。これは情報量も物凄いし、方向性がしっかりしているので活動家必見だ。おれはしばしばパクリ(無断引用)をやっているが、年に一回会う都労委の同窓会「三睦会」の席上白状したら笑って許可してくれた。この文章も「シジフォス・・・」からの無断引用である。

 というわけで水谷さんの平壌寸景からいくつか拾って紹介する。「2年前はガラケ―が多かったが、今はスマホが全盛、白頭山頂でも使える」「次々に新しい建造物が設置されたり、リニューアルされている」「若い女性たちはさらにお洒落になっていた。プレスレッドやネックレスも」「最近開館した科学技術殿堂も巨大な施設で、その中心には2012年に人工衛星を打ち上げた銀河3号の模型が」。

 「(日本代表の中に)初めての訪朝という方が4人もいて、まったく見方が違ったと言っていた。社会主義が崩壊しなかったこの国は、未だに全世界を『敵』に回しても急速な発展途上にある。そして米国の圧力に苦しむ多くの非同盟諸国からは希望の光明として仰がれている。しかし、日本は未だに『過去の清算』を行わないどころか、仮想敵国として嫌い、差別(侮辱)し、『制裁』を続け、国交を結ばない」。

 水谷さんは「日本の青年は将来に希望を持てないでいるが、朝鮮の若者は未来への明るい展望がある」という。おれも北朝鮮に偏見や侮蔑意識を持っているとは思っていないが、水谷さんのいう「社会主義が崩壊しなかったこの国」という規定には直ちに同意できない。それは実際に見てきた人と日米メディアにミスリードされている者の違いなのかも知れないが・・・・。
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内閣人事局に首根っこを押さえられた官僚たち

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2017年08月22日
内閣人事局に首根っこを押さえられた官僚たち

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

 高級官僚の人事を一手に握る「内閣人事局」が設置されたのが2014年6月、初代局長が加藤勝信、次が荻生田光一で今は杉田和博である。杉田氏は警視庁公安畑出身でこの前まで内閣官房副長官を務めていた。この内閣人事局、今更ながら多くの問題が指摘されている。「疑惑隠しに批判の声」「安倍政権の官僚人事私物化」「隠ぺい加担に論功行賞=v「調査拒否を徹底」(8月21日付『赤旗』)。

 『赤旗』が疑惑隠し”栄転$l事だとして第一に問題にするのは、森友疑惑の渦中で財務省理財局長をしていた佐川宣寿氏の国税庁長官就任。佐川長官は歴代長官が恒例としてきた就任会見もしない。ひたすら批判を避け続けている。安倍明恵首相夫人付職員の谷査恵子氏もイタリア大使館一等書記官になった。

 この内閣人事局については22日付『毎日』も、「いびつな政権運営 内閣が掌握した人事」のタイトルでジャーナリストの森健氏にその異常さを語らせている。「人事権が官僚側だけで収められていた状況であれば、防衛省でも内閣府でも文科省でも、事実に基いた適切な証言がなされた可能性がある。だが、内閣人事局に官僚の人事も握られたことで、官僚は政治にモノが言えなくなってしまった」。

 森氏は福田康夫元首相が共同通信のインタビューで「政治家が人事をやってはいけない。安倍内閣最大の失敗だ」と発言したのを紹介、「こうした動きで思い出されるのは戦中の東条英機内閣である」と指摘する。東条は、憲兵を使って批判派を四六時中監視し、翼賛政治体制をつくりあげたというのだ。

 自民党内部から福田元首相のほかにも翼賛人事≠ノ対する不協和音が聞こえ始めた。次期総裁候補の1人石破茂氏は20日、佐川国税庁長官の態度を「国税庁長官は、みなさんに(税金を)払ってくださいという立場だ」「会見しないというのは、納税者1人ひとりと本当に向き合っているのか」と批判。

 同党の平沢勝栄議員も「官邸が官僚組織を、人事を通じて丸ごと掌握する形が果たしてよかったのかどうかは、再検討すべきと感じます」と疑問を投げかけている。

 日本の官僚というのはそれなりに優秀だし、力も発揮する。森氏が言うように「事実に基いた適切な証言」が得られる可能性もある。しかしそれは政治権力からの独立が保証されていることが前提になる。内閣人事局に首根っこを押さえられていては持っている能力を発揮することもできない。政権の狗に過ぎなくなるのではないか
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「テロのインスタント化」の恐怖

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2017年08月19日
「テロのインスタント化」の恐怖

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

 スペインのバルセロナで13人が死亡するテロがあった。「スペイン北東部バルセロナ中心部のランプラス通りで17日午後5時(日本時間18日午前0時)ごろ、歩道に車が突っ込んだ。地元政府などによると死者数は13人、重軽症者は約100人に上り、うち15人が重篤な状態という」(19日付『毎日』)。事件後ISが犯行声明を出した。ランプラス通りというのは観光客でにぎわう繁華街である。

 1996年2月、おれは佐藤一晴さんが団長の「MICイベリア半島周遊旅行」に夫婦で参加してバルセロナに3泊した。佐藤さんと同じように故人になられた加藤親至さん夫妻、荒川恒行さんも一緒だった。市内見物でガウディが建てたホテルや公園を巡ったが、この時ランプラス通りも通った記憶がある。

 今回のテロの犯人は、レンタカーのワゴン車に乗って時速80キロのスピードのまま500メートルを、人をはねながら猛進したという。ISのテロというと前は銃や爆発物だったが、最近は車を凶器に使用することが多い。昨年7月、南仏ニースでトラックが花火見物客を襲い86人が轢き殺された。

 19日付『毎日』はこの「車を使ったテロ」を「テロのインスタント化」と分析した内藤正典同志社大教授の談話を紹介している。内藤教授によれば、車は誰でも簡単に入手できるし、テロ実行者としての特殊な訓練も要らない。ISの主張に共鳴した普通の人がいつでも凶行に及ぶ可能性があるという。

 ISがシリアの拠点を失い、集中していた戦闘員が世界に飛び散っている、と内藤教授は指摘する。「この種のテロはこれからも続くだろう。こうなると、人が集まる場所がいくつもある日本でも例外ではない。米国と協調する日本の中東政策は、イスラム教徒との緊張関係を強めるおそれがある」。

 バルセロナのテロを受けて安倍首相は「大きな衝撃と憤りを禁じ得ない。卑劣なテロを断固として避難する」というメッセージをスペイン首相にいち早く送った。文面は決まり文句の範囲を出ないが、アメリカ追随の日頃の言動と合わせれば、十分テロの標的となり得る。軽率に動いてもらいたくない。

 「車を使ったテロ」を防ぐ難しさが改めて浮き彫りになったのが今回の事件だ。戦力放棄の憲法を持つ日本の役割はどこにあるのか。今こそ世界史的に試されているのだとおれは思う。
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東京五輪を即時返上せよ

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載
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2017年08月16日
東京五輪を即時返上せよ

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

 異常気象てある。関東地方は8月に入ってから16日間連続して雨。最高気温も25度前後。まるで梅雨のようだ。昨日は女房の運転でお墓参りに行ってきたが、帰途、猛烈な雨に見舞われた。今日も断続的に雨が落ちている。床屋に行こうと思ったんだけど、途中で降られるのは嫌なので様子を見ている。

 ということで今年は雨に祟られているが、例年なら炎暑のはず。2年後の7月末から8月初めにかけての2週間、東京でオリンピックをやるという。おれは最初から今回のオリンピック開催に反対だった。東京開催が決まったIOC総会で安倍首相が「福島の放射能汚染水はアンダーコントロールされている」と大見えを切った。大ウソである。日本の最高責任者が先頭に立って世界を騙すのは国際的犯罪行為だ。

 8月7日(月)の『毎日』夕刊、牧太郎のコラム「大きな声では言えないが」で「東京五輪病を返上」は実に小気味よかった。「東京五輪を返上しろ」なんて書いていいのだろうか、何度もちゅうちょした末に『サンデー毎日』の「牧太郎の青い空白い雲」に書いたら賛同の声があったという。

 「(返上の)最大の理由は『非常識な酷暑での開催』である。日本の夏は温度も湿度も高い。太陽の熱やアスファルトの照り返し、気温35度、もしかして40度で行われるマラソン、サッカー、ゴルフ・・・・自殺行為ではあるまいか。沿道の観客もむぶっ倒れる」。それにしてもなぜこの時期なのか。

 「アメリカの3大ネットワークのゴリ押しを国際オリンピック委員会(IOC)が認めたからである。メディアの『稼ぎ』のために健康に最悪な条件でおこなう『スポーツの祭典』なんて理解できない」「安倍内閣は『東京五輪のため』という美名の下で人権を制限する『共謀罪』法を無理やり成立させた。東京五輪を口実に、民主主義が壊されようとしている」。――牧さんの指摘は鋭い。

 いま2020年の東京五輪開催へ向けて無理を承知の新国立競技場建設が進められている。ついこの前23歳の現場監督が過労自殺したばかりだというのに、早朝6時半からの現場労働者への教育訓練が行われている(8月9日付『赤旗』)。東京土建は早朝教育の是正を求めて抗議行動をしている。

 ついこの前もこの辺で震度3の地震があった。地震のない国からきた選手たちはびっくりすることだろう。もはやオリンピック開催には何の道理もない。「即座に返上」を提唱する牧さんに心から賛同する。
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2017年08月15日

敗戦から72年、おれのルーツを探る

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載
http://blogs.yahoo.co.jp/shosuke765
労働運動は社会の米・野菜・肉だ。
2017年08月13日
敗戦から72年、おれのルーツを探る

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

 8月15日で敗戦から72年になる。8歳のおれが80歳になったのだから間違いない。今読んでいる『関東軍火工廠史』、676ページの本の266ページまでいった。小さい活字でしかも印刷が薄いので読むのに難儀している。おれの断片的な記憶と合致する記述がかなりある。戸塚陽太郎という父の名も出てきた。

 この軍需工場は関東軍の経営であって、関東軍の将校をはじめ軍人が直接工場建設・運営に当たっていた。父たち下っぱも陸軍軍属(雇員)として関東軍の組織に組み込まれた。工場労働は何千人かの中国人(満人)で、手記の中では苦力(クーリー)と呼ぶ人も。典型的な植民地経営だったと言える。

 さて工場の主体となった関東軍だが、もともとは遼東半島の関東州の守備隊だった。それが南満州鉄道も守るという名目でどんどん勢力を増大する。関東とは万里の長城の東という意味で満州全体を指した。関東軍はその後、張作霖爆殺、満州事変、満州国設立、支那事変、ノモンハン事件等を引き起こした。

 最初旅順に置いた司令部を1934年には新京(長春)に移す。太平洋戦争を始める41年には兵力74万を擁し「精強百万関東軍」と豪語した。おれたち一家はその関東軍全盛期の40年、満州へ渡った。親父もこんなに強い関東軍に絶大な信頼を置いていて何ら心配もしなかったに違いない。

 ところがである。いざソ連軍がソ満国境を越えて侵攻してくるとなすすべもなく敗退する。司令部は新京から朝鮮国境に近い通化に移す。つまり百万を超える在満避難民を見捨てるのだ。そんな中で起こったのが葛根廟事件。女子どもを中心にした避難民がソ連の戦車に蹂躙されて1000人以上が殺された。

 そこでおれたち一家がいた関東軍火工廠第一工場だが、ここにも沢山の関東軍将校がいた。20代後半から30代の若い将校で、ほとんどが少尉、中尉などの尉官だった。まだ読みかけだが『関東軍火工廠史』によれば、将校にもいろいろな人物がいたようだ。戦争の前線でなく、工場経営を任務とする軍人にはそれ相応の能力が要求される。特にソ連や八路軍との折衝能力の優劣は生死の分かれ目だったようだ。

 おれはかつて新聞OB会の文集に満州時代のことを書いたが、おれたちの町を占領したのはソ連ー国府軍ー八路軍とした。これは間違いで、ソ連ー八路軍ー国府軍だった。つまり引き揚げは蒋介石の国府軍によって行われたことになる。そんなことも含めておれの記憶違いがいくつも改められた。これからもおれのルーツを確かめるため暑さにめげずがんばるつもりだ。
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