2018年03月30日

捏造したのは逆だった−植村名誉棄損裁判傍聴記B止

水久保文明さんのブログ「ヘボやんの独り言」より転載
http://96k.blog98.fc2.com/
18年03月28日
11574 捏造したのは逆だった−植村名誉棄損裁判傍聴記B止  

■水久保文明(JCJ会員 千代田区労協事務局長 元毎日新聞労組書記)

 これを週刊新潮風に見出しを立てるとすると、主見出しは「捏造と指摘したそれが捏造だった」。脇見出しは「裏取りもせず、捏造呼ばわり その責任をどうするのか櫻井よしこ氏」。ということになろう。勝負あった、である。

 櫻井よしこ氏が法廷で発した最後の一言もまた印象に残った。「朝日(新聞)が書いたものはウソだ。私は間違っていたら反省する。朝日も反省してほしい」――という一言が。私は法廷で声を出すわけにはいかず、心の中で爆笑した。

朝日新聞はこの問題の検証で、吉田清治発言の記事をすべて撤回することを表明し、合わせて植村記者の記事に間違いはなかったことを表明している。櫻井氏の最後のこの一言は、私には犬の遠吠えにしか聞こえなかった。

 それではこの項の最初に指摘した「為にする」その下心はなんだったのか、考えてみたい。ズバリ、南京大虐殺はなかった、従軍慰安婦はなかったという歴史改ざんの押しつけだった、と言えよう。その恰好の餌食≠ニして植村さんの記事を持ち出してきたのである。

 なぜ植村さんだったのか、それは次のステップのために朝日新聞社を退職することが決まっていたからと考えられる。「言論は言論で応えるべき」と櫻井氏は主張した。が、言論の場を去った植村さんにはその力≠ェ及ぶはずがない。あるとすれば、方法は市民的言論、すなわち訴訟しか術は残っていなかったのだ。

 もう一点、強調しておきたいことがある。「思い込み」の恐ろしさについてだ。櫻井氏は歴史修正を主張するお友達≠フ論文だけを頼って、植村さんの書いたものを「捏造」と批判した。法廷でその出典が間違いだったことを素直に認めたが、ジャーナリストとしては失格に値する。

 その誤った思い込みがネトウヨを興奮・増長させ、北星学園や朝日新聞退職後に予定していた職場、そして家族に理不尽な脅迫を行ったのである。これは見方を変えると「そそのかし」と言えないか。誤った情報にそそのかされたネトウヨもネトウヨだが、誤った情報を提供した方はもっと悪い。裏の取れていない事柄は、思い込みだけで報道してはいけないことをこの事件は教えてくれている。

 それにつけても、家族を守るために、言論の自由を守るために立ち上がった植村隆さんに改めて敬意を表したい。そして、このたたかいは断じて負けられない戦いとしてさらなる支援を強めたいものである。

※詳細は「植村裁判を支える市民の会」ホームページを参照
http://sasaerukai.blogspot.jp/

★脈絡のないきょうの一行
佐川証人「刑事訴追の恐れがありお答えできない」。その「訴追される恐れ」の内容を知りたいねー。
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えっ毎日新聞でこんなことあり?

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載
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労働運動は社会の米・野菜・肉だ。
2018年03月28日
えっ毎日新聞でこんなことあり?

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

 牧太郎さんのブログ(3月27日付)を読んでびっくりした。えっまさかそんなことが、と一瞬疑った。27日夕刊に載るはずだったコラム「牧太郎の大きい声では言えないが」(最終回)が没になったというのだ。牧さんは没になった原稿全文をブログにアップしている。

 タイトルは【「青い空」で会いましょう】。東京の下町で料亭を営んでいた肝っ玉母さんの話が枕。新聞記者は「権力を監視すること」という牧さんの信念の吐露のあとに「最近、新聞が『権力』になってしまったように思うのです』と続く。何故なら新聞業界は消費税増税にあたって「購読料の軽減税率」を求めている。この主張は「税の不平等」に繋がるのではないか。という主旨である。

 原稿は21日午前中にデスクに渡された。デスクから「軽減税率」のところを書き直してもらえないかとの注文。理由は@社論と正反対、Aこれでは新聞社が権力を行使しているとの誤った印象を読者に抱かせるの2点。牧さんは@社論に反する意見にも柔軟に対応するのが「民主主義の新聞」ではないか、A軽減税率を求める結果、新聞が与党に与して安倍一強の政治状況をつくっているとの批判が存在する、僕はそれがまさに心配なのだ、として書き直しを拒否。その結果原稿は没になったというのだ。

 ブログによれば、毎日新聞の内部でこの問題を材料≠ノして「新聞とは何か」という真剣な議論がされた。牧さんを支持する人たち「編集編成局のトップと僕の間に挟まって、苦労された仲間」に牧さんは「ごめんなさい」と頭を下げている。28日のブログによればその人たちにモナカを贈ったようだ。

 毎日新聞が巨額赤字を計上して倒産の危機に瀕したことがある。財界や金融機関は毎日解体を狙って攻撃を仕掛けてきた。1974年から3年間の悪戦苦闘の末、やっと立ち直るとき労使交渉でつくられたのが「毎日新聞編集綱領」である。その第三項に「毎日新聞は社の内外を問わず、あらゆる不当な干渉を排して編集の独立を守る」とある。不当な干渉は外部からだけでなく内部からも矢を射られるのである。

 牧さんはブログの最後で「たった一人『新聞の軽減税率』に反対した『名も無き新聞人』がいたことを覚えてもらいたい!」と書いているが、けっして「一人」ではない。あれたちOBも含めて社の中にも同志はたくさんいる。労働組合だって黙っているはずがない。新聞経営が苦しければ苦しいほど読者との繋がり、読者の支持が大切になる。牧さんの叫びは毎日新聞の明日を紡ぐ原点になるとおれは確信する。
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捏造したのは逆だった−植村名誉棄損裁判傍聴記A 

水久保文明さんのブログ「ヘボやんの独り言」より転載
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18年03月27日
11573 捏造したのは逆だった−植村名誉棄損裁判傍聴記A  

■水久保文明(JCJ会員 千代田区労協事務局長 元毎日新聞労組書記)

 15分の休憩のあと、次の証人・櫻井よしこ氏の尋問が始まった。

 主尋問のなかでも、吉田清治という名前が何回か出てきた。櫻井氏は植村さんが書いた記事の中の、「売春行為を強いられた」という部分について「これは吉田清治氏の発言をもとにしている。暴力的に連れて行ったということも吉田氏も書いており、女子挺身隊はそんなことはなかった」と主張。

 さらに、(私は笑ったが)従軍慰安婦に関する報道は朝日新聞が多かったことを力説。「朝日がこの問題の(新聞全体の)報道の4分の3を占めたことがある。90年は77%だった。その後は各新聞も書くようになり減っていった」と。そこには朝日憎し≠ェ漂っているだけだったと言っても過言ではない。

 反対尋問は厳しく行われた。植村さんの記事を「捏造」と批判した根拠について、逐一、問い詰めていった。その中心となったのは元従軍慰安婦の金学順(キム・ハクスン)さんらが日本政府に対して謝罪と損害賠償補求めた裁判だった。

 櫻井氏らは、金さんがその訴状で「養父から40円で売られた」と述べており、売られたということは人身売買であり、強制的に慰安婦にされたものではない、と主張したのだ。そのうえに立って、「植村さんは金さんらが慰安婦にされたと捏造した」という論理を飛躍させたのである。

 この点について反対尋問は、訴状に「40円で売られた」という記述がないことを櫻井氏に確認させたうえで、週刊誌やテレビでそのことを主張している事実について書証をもとに指摘、ついに「出典が間違っていた」と櫻井氏は言わざるを得なかった。間違っていた問題については、訂正することを法廷で約束した。監視が必要である。

 この裁判が始まった直後、植村さんは私に「櫻井さんは金さんの訴状を読んでいない可能性がありますよ」と語ったことがある。この証人尋問はまさにそのことを証明したことになる。ということは、賢明なみなさんにはもうお分かりだろう。「捏造だ」と主張したその人が、実は捏造していたことになるのである。

(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
始まった佐川喚問。日本の民主主義のカナエの軽重が問われる。いま、歴史が軋んでいる。



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爆風(66)

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載
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労働運動は社会の米・野菜・肉だ。
2018年03月27日
爆風(66)

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

 (松野徹のぼやきに対する筆者の感想は歴史的に見ても多分正しいと思う。しかしそう言い切るだけで済ませられるのだろうか。天皇制専制国家によって「王道楽土」「大東亜共栄圏」の思想を幼い頃から頭に叩き込まれ、侵略の片棒を担がされた松野さん、思い通りにいかなくて囚われの身となり命がけでぼやいている松野さん、彼も一種の戦争被害者なのではないだろうか)。

 眠れぬ夜を過ごした松野徹は混濁した頭で3月18日の朝を迎えた。午前8時、西の監房から名前が呼ばれて収容者が一か所に集められている。中国人の名前に混じって川原鳳策、吹野信平、松野徹の名が呼ばれた。他に火工廠関係の何人かも。集合場所に例の青白き一等書記が現れて「お前たちは無罪である。本日釈放する」と宣した。松野は《何が無罪だ。偉そうにしやがって》と文句の一つも言いたかったが、ここは黙って出て行くことにこしたことはない。川原、吹野らと連れだって早々に合作社を後にした。

 兵器隠匿の探査は執拗に続けられた。東京陵第一工場の福田正雄は2月13日、風邪で床についていたところを八路軍によって唐戸屯の司令部に連行される。取り調べは武器隠匿に絞られた。全く預かり知らぬことなので「知らぬ存ぜぬ」て通す。尋問はそれほど厳しくなく、3日間で解放された。

 釈放の翌日、ほっとして家にいると数人の八路軍兵士が土足のまま乱入、銃口に取り囲まれた。今度は遼陽の八路軍本隊まで連れて行かれ、幹部によって手を変え品を変え繰り返し尋問を受けた。何遍訊かれても兵器隠匿なんかしていない。同じ答えの反復に八路軍も手を焼いて雑談に移った。

 3月17日のこと、八路軍の様子がどうもおかしい。朝から右往左往している。どうやら国府軍の進入が切羽詰まってきたらしい。「お前も連れて行く」と言っていたが結局彼らだけで退去していった。残された福田は長靴を穿いてとぼとぼと東京陵まで歩いて帰った。やっと家に帰りつき妻の言うには「福田は銃殺された」との布告が隣組から流され、朝からお悔やみの客が絶えないそうだ。

 敗戦時庶務科文書掛長だった印東和は、当時の林光道部隊長から弾薬庫の鍵に封印するよう命じられた。印東は15センチ角の封印紙をつくり、印東の丸判を捺して鍵穴を塞いだ。その封印が何者かによって破られ、小銃と弾丸が盗まれる事件が起こった。犯人は分からなかったが、この武器盗難を八路軍が知るところとなる。彼らは通化事件の経験から「旧日本軍の反乱」を疑い、厳しい取り調べを始めた。

 3月に入ると火工廠の責任者だった吹野少佐、浜本大尉が拘引され遼陽の八路軍本隊に連れていかれた。次に武器、弾薬保管の直接の担当者だった山田中尉、須藤中尉も逮捕され拷問に匹敵する追及を受けた。3月13日にはついに印東に出頭命令が出る。封印の丸判が何よりの証拠とされた。

 印東は「封印したのは確かに私だが、中に何が入っているかは知らない。第一自分でした封印を自分で破ってそれをそのまま残しておくわけがないではないか」と主張したが理解されない。遂に「白状しなければ明日銃殺するぞ」と脅される始末。印東はたった1枚の封印の祟りに震えあがった。
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捏造したのは逆だった−植村名誉棄損裁判傍聴記@ 

水久保文明さんのブログ「ヘボやんの独り言」より転載
http://96k.blog98.fc2.com/
18年03月26日
11572 捏造したのは逆だった−植村名誉棄損裁判傍聴記@ 

■水久保文明(JCJ会員 千代田区労協事務局長 元毎日新聞労組書記)

 「為(ため)にする」という言葉がある。それは@ある別の目的をもって、また、自分の利益にしようとする下心があって、事を行う。 「 − ・するところあっての議論」(大辞林第三版)Aある目的に役立てようとする下心をもって事を行う。「我輩固(もと)より―◦する所ありて私立を主張するに非ず」〈福沢・学問のすゝめ〉(デジタル大辞泉)Bある目的を達しようとする下心があって事をおこなうのにいう(広辞苑)――ということになる。

 元朝日新聞記者・植村隆さんの書いた原稿への捏造記事″U撃は、まさにこの「為にする」ものであったことが明らかになった。

 3月23日、昼休み休憩をはさんで午前10時30分から午後4時50分まで、札幌地裁において植村さんが提起した「私は捏造記者ではない」という名誉棄損裁判は山場を迎え、原告・植村さんと、被告・櫻井よしこ氏双方の証人尋問が行われた。前日札幌入りした私は、傍聴席でその様子を見てきた。以下、その報告である。

 まず原告の植村さんから証言席へ。植村さんは「高知県で母子家庭の子として育ったとき、朝鮮人がいじめられる様子に耐えられなかった。人は平等であるべきだと思ったし、差別問題は新聞記者としての原点になった」「慰安婦問題はその延長で、人権問題として位置づけ取材を重ねてきた」と、慰安婦問題と自分のかかわりについて説明した。

 事件のきっかけとなったのは植村さんが執筆した1991年8月の朝日新聞の記事。はるか昔の記事を引き合いにして、2014年1月からから2月にかけて、「週刊文春」「WiLL」が西岡力氏、櫻井よしこ氏のコメントや論文を掲載し「植村氏の記事は意図的にねじまげたねつ造である」と批判したもの。櫻井氏はニュースキャスターだったこともあり、テレビでも同様の発言を繰り返していた。

 これによって札幌に住んでいた植村さん一家は、右翼などから嫌がらせを受けるようになった。「1週間に250通もの手紙やはがきが届いた」という。合わせて娘さんの顔写真がネットに流され、家族が危険な状況に陥った。

 植村さんへの反対尋問は、「連行」と「強制連行」はどう違うのか、「挺身隊と慰安婦は違うものではないか」など、すでに決着がついている問題に終始した感があった。本件とは直接関係ない従軍慰安婦問題で虚偽の著作を出した吉田清治氏について執拗に質問してきた。

 なぜだろうと疑問に思ったが、はたと気づいた。吉田氏の著作物と植村さんの記事を同列視することによって「捏造」であることを印象づけようとしたのだ。あの、どこかの首相が大好きな印象操作≠ナある。しかし、植村さんの反論によりそれらは粉砕された。

(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
八ヶ岳で7人が滑落、3人が死亡。悲しい事件。この種の事故は避けられないのだろうか……。


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爆風(65)

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載
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労働運動は社会の米・野菜・肉だ。
2018年03月26日
爆風(65)

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

 夜になって20代後半とおぼしき青白い青年が現れた。彼は自らを遼陽駐屯八路軍司令部第一書記と名乗った。「貴殿は松野さんか」と優しい言葉つきだ。「はい松野です」と答えると「貴殿は共産党をどう思うか」といきなり難しい質問をしてくる。松野はどう答えるか迷った。ここはやはり穏やかに出た方がよかろうと思い、「これまで共産党は悪いと教育され、そう思っていました。敗戦後中国共産党の皆さんに接し、いろいろ見聞したので考えが変わりました」と述べた。

 「どう変わったのか」「まだはっきりしません。これから勉強します」「ほう、それでは君は我々の同志だ」と青年は握手を求めた。「そこで君に頼みがある」。《さあ、来たぞ》と松野は身構えた。「火工廠には沢山の武器が隠匿していると聞く。私にその場所を教えてほしい」。松野はまたその話かとうんざりする。何度説明すれば気が済むのだ。武器なんか本当にないのだ。

 しかし松野は一方で《これは真実を分かってもらえるチャンスかも知れない》とも思った。これまでの下っ端役職でなく、今度の第一書記はしかるべき地位の人物らしい。ここは丁寧に説明した方がいいだろう。「我々は戦闘員でなく、単なる火薬製造工場の従業員なのです。火工廠には製品としての爆薬は数十トンありましたが、武器と称するものは工場警備用の小銃140挺だけで、それもすべて貴軍に提出しました」。

 「そんなことはない。われわれはちゃんと調べたのだ。正直に言え」と第一書記の青年はがらりと態度を変えて居丈高になった。「嘘をつくな」「ないものはない」と言い合いになる。第一書記は隣室から体格のいい兵士を呼び「この男を鞭で叩け」と命じた。松野が兵士を見ると向こうもおやっという顔。敗戦前工場で働いていた工員である。兵士はたじろいだ様子。そこで松野が「私たちももう一度武器が隠されていないか調べる。貴方の方でも調べてほしい。もし本当に武器が隠されていたら私を銃殺にしてもよろしい」と頭を下げると、「この男を監房に入れろ」と兵士に命じてさっさと部屋を出て行ってしまった。

 興農合作社の一室での監禁生活が始まった。国府中央軍の捕虜と数人の日本人が同室だった。松野はこんな扱いを受けるのがどうしても納得いかなかった。《武器は本当にないのだ。おれはなにも悪いことはしていない。中国人を殴ったり、私腹を肥やしたりしたこともない。火工廠建設に当たり用地の接収をしたが、立ち退きを余儀なくされた農民の生活を案じ、彼らの要望を取り入れてできるだけの対策を講じた。工場敷地内の居住者の子弟に、寺子屋式ではあるが小学校を建て、先生を1人雇って教育を施した。これに感謝して県知事が礼を言いに来たくらいだ。火工廠敷地内ではあるが当面使用しない土地は、農民に耕作を許した。小屋も建てさせた。収穫物はきちんとした値段で買い取った。だから彼らにとっては嬉しくない火工廠の進出だったかもしれないが、おれ個人としては礼の一つも言ってほしい気持ちだ》。

 この松野のぼやきは火工廠幹部に共通していたと思われる。筆者に言わせればこれこそが「侵略者・支配者の論理」そのもので、21世紀の日本・沖縄でもそのまま通用しているのだ。 
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爆風(64)

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載
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労働運動は社会の米・野菜・肉だ。
2018年03月25日
爆風(64)

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

 八路軍に収容されていた川原鳳策は日本風旅館から「興農合作社」と看板が掲げられた別の建物に移動させられた。吹野信平と国民党スパイと称する孫某も一緒だ。清水隊の板橋柳子、インテリの竹村一郎はどこへ移されたのか不明である。ここでは収容者は名前でなく番号で呼ばれ、川原は63番だった。

 興農合作社での川原への尋問は思想的な内容に変わった。まず「お前は9.18当時何をしていたのか」と訊かれる。9.18とは1931年9月18日、関東軍が奉天郊外柳条湖付近で満鉄線路を爆破、それを中国軍の仕業だとして満州全域で中国軍攻撃を始めたことを示す。八路軍としてはこの日が中国侵略の起点だと考えられている。川原が親がかりの学生であったと答えたらそれ以上の追及はなかった。

 次に天皇制への姿勢を問われた。「お前たちは何故天皇陛下万歳を唱えて死ねるのか。天皇制がお前たちに何をしてくれるのか」。これには陛下の臣である帝国軍人として川原は精一杯の反論を試みた。すると訊問者は「天皇の名で日本軍は我々同胞の血を啜り肉を喰った」と川原がぞっとするような目で睨んだ。

 いつ果てるとも知れぬ虜囚の日々だったが、3月に入るとだいぶ空気が変化してきた。同部屋の孫某に言わせると「国府中央軍が新京と奉天を取りかえした。もうすぐ遼陽にやってくる」とのこと。そう言えば遠くに聞こえた砲声がだんだん近くなってきた気がする。そして3月中頃のある日、川原は突然「お前は無罪だ」と釈放された。同じ収容所にいた吹野信平、中国人の孫某も一緒だ。途中から収容されていた蘇文廠長の秘書の松野徹も含まれていた。日本人の釈放組は残雪の道を一路東京陵へと急いだ。

 川原や吹野とともに釈放された松野徹の、拘束から釈放までの1カ月は思わぬ展開の連続だった。2月19日昼頃、八路軍政治部長から「今から宿舎の点検をするので同行してほしい」と言われついていった。まず会計の福田少佐の家。出てきた奥さんに断りもせずに土足で上がり込み、押入れから戸棚まで中身をひっくり返して点検する。次に隣の山口少佐の家でも同じような捜査。そしてまた隣家と点検は続く。

 「今日はこれで終わり」と政治部長がさすがに疲れた声で宣言したのは、もう冬の陽が沈む時間だった。松野はその足で唐戸屯の民会役場に寄りそこにいた数人とお茶を飲んだ。「宿舎の点検に立ち会ったけど、嫌な役目だね。不愉快でしたよ」松野はそんな愚痴をこぼした。そこへ自動車が止まる音。「一体なんだろう」。外へ出てみると消防自動車に乗っていた10人ほどの八路軍兵士が松野を取り囲んだ。

 「お前松野だろう。用事があるからこの車に乗れ」と両脇を抱えられて消防車に乗せられた。車はゆっくり走りだした。憮然としていると「心配することないですよ」とはっきりした日本語。振り向くと八路軍の兵服の日本人青年がニタリと笑った。車は遼陽市内に入り、興農合作社と看板を掲げた建物の前に止まる。建物の中に誘導され事務所のような部屋で数時間待機させられた。
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2018年03月25日

爆風(63)

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載
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労働運動は社会の米・野菜・肉だ。
2018年03月24日
爆風(63)

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

 川原鳳策が遼陽の収容所で八路軍による取り調べを受けていた2月下旬、東京陵朝日町の戸塚家を痛切な出来事が連続して襲った。まず父陽太郎の大怪我である。父はその頃汽缶工場で働いていた。汽缶工場が火工廠の中にあったのか、それとも独立した工場だったのか分からない。どちらにしても真冬の満州を生き延びるためには、スチーム用の蒸気づくりは5000人の居留民にとって命綱だったはずだ。

 その日父はボイラーに石炭を投げ込む作業をしていたのだと思うが、詳しいことは分からない。生前の父に聞いておけばよかったのだろうが、多分父は話したがらなかったと思う。思い出したくない記憶なのだろう。はっきりしているのは、巨大な鉄のタンクが転げて父を壁との間に挟んだということ。それだけは筆者が子どもの頃(多分母からだと思うが)聞いて記憶に残っている。

 すぐさま同僚が駆けよって助け出し、東京陵病院へ担ぎ込んだ。外科医はソ連軍に連れていかれていていない。町の接骨師が呼ばれたらしい。仲間が母に連絡したが、母は妊娠9カ月で動きが取れない。12歳の姉和子が病室で父に付き添った。父は事故の一瞬柱の隙間にはまりこんだらしく、奇跡的に打撲傷だけで済んだ。

 父の入院中のある日、三寒四温の温にあたる穏やかな午後だった。満人部落から駄菓子売りが日本人街へやってきて、極彩色の飴や餅菓子を玄関先で広げた。妹の悦子(4歳)が飴を欲しがった。母はなけなしの小銭を取り出して飴を買った。私や栄子(5歳)の分まではない。悦子は喜色満面で飴をしゃぶった。

 その夜だった。悦子が突然激烈な下痢に襲われ、全身痙攣を始めた。顔が真っ赤で高熱にうなされているようだ。母が私に言いつけて小林さんの家へ行き助けを頼んだ。小林さんの奥さんと延子さんが駆け付けてきて病院に連絡。消防車で病院へ運ばれた。父の隣のベッドに寝かされた悦子はもう昏睡状態だった。医師も看護婦も手の施しようがない。看護婦の説明では疫痢らしいということだった。

 私たちはベッドの周りで見守るしかなかった。悦子が昏睡から醒めて薄眼を開けた。唇を動かす。かすかな歌声が漏れた。「むかしむかしうらしまは たすけたかめにつれられて りゅうぐうじょうにきてみれば・・・」。そこで歌は止みそのまま呼吸が止まった。2日後、悦子の遺骸は吉野山の麓で荼毘に付された。

 小林さんの奥さんや近所の主婦たちは「悦ちゃんがお父さんの身代わりになったんだよ」と母を宥めたが、母は飴を買って与えたことを後悔していつまでも気落ちしていた。見かねて、父母が仲人をした小平さんの若奥さんがわが家に来て家事を手伝ってくれた。父は1週間ほどで退院したように記憶している。それから半月ほどした3月21日、母は末の妹順子を自宅の部屋で産んだ。元気な産声を聞いて近所の人たちは「悦ちゃんの生まれ変わりだ」と母を励ました。母もやっと元気を取り戻した。
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「内心の自由」侵害は絶対許せない

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載
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労働運動は社会の米・野菜・肉だ。
2018年03月23日
「内心の自由」侵害は絶対許せない

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

 22日、都議会警察・消防委員会で迷惑防止条例の改悪案が可決された。反対したのは共産党だけ。「都の迷惑防止条例改悪案」「都議会委で可決」「共産党反対」「国民の権利侵害の恐れ」(23日付『赤旗』)。この改悪案は去年国会で強行採決された共謀罪の東京版だとおれは見ている。

 赤旗4面に共産党大山とも子都議の法案に反対する意見が載っている。大山議員はこの法案についていろんな角度から反対する理由を述べているが、特に「内心の自由」を冒す点を重大な問題だと指摘する。

 「重大な問題点は、内心のねたみ、恨みその他の悪意の感情の充足なのかどうかが、犯罪かそうでないすの分水嶺であることです。質疑で内心をどう判断するのかただしましたが、『個々の事案に応じて、法と証拠に基づいて判断する』としか答弁できませんでした。警察の恣意的な判断で犯罪とされ、自白を強要するしか犯罪の立証ができないことになります」。

 共謀罪も迷惑防止条例も発想の根っ子は同じで、何ら具体的犯罪行動に表れなくてもその行為を計画したと認められれば逮捕され刑罰を科せられる。明治時代末期に社会主義者を一網打尽にひっくくった大逆事件の再現となる。戦争中はヨーロッパの音楽をレコードで聴いただけで「非国民」として社会から排除されたのだ。

 本来人間は複雑な内心の揺れ具合の中で生きている。戦前の道徳教育の手本のような、あるいは教育勅語が着物を着て歩いているような人間なんているわけがない。もちろん個々の人間の内心の揺れが犯罪に結びつくこともないわけではないだろうが、刑罰を受けるのは行為の犯罪性であって掴みどころのない「内心の揺れ」なんかであるわけがない。

 それを国家権力の名で「恨み」「怒り」「悪意」などを判断するとしたら、国にとって邪魔な思想や感情を内心の段階で犯罪視することになってしまう。国家による精神の統制である。そんなことできるわけがない、という向きもあろうが、少なくとも戦時中は国策に対する個人の内心の自由が許されなかったことは確かなのだ。

 その反省から憲法13条「すべて国民は個人として尊重される」第19条「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」が決められたのだ。共謀罪や迷惑防止条例を見ていると、戦前回帰の「個の否定」や「内心の自由の否定」がじわりじわりと国民の首を絞めている気がする。
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爆風(62)

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載
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労働運動は社会の米・野菜・肉だ。
2018年03月21日
爆風(62)

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

 川原は孫某という自称国府中央軍スパイと懇意になていろんな話をするようになった。ある時川原が「どうもこう拘束された毎日では息苦しくてやりきれない」と嘆くと、孫は「食べ物は食わせてくれるし、働く必要もなく、殴られることもない。結構な暮らしではないか。私が新京で日本の官憲に捉えられたときはこんなじゃなかった。手足の爪の下に蓄音器の針を打ち込まれたり、指の付け根に鉛筆を挟んでゴリゴリ揉まれた。苦痛で後ろの壁に寄り掛かると、仰向けにされ鼻孔から水を注がれた。あの時の折檻責め苦に比べれば天国だ」と語った。川原は中国に対する日本の仕打ちについて今更ながら考え込んだ。

 川原への八路軍による尋問は主に次の3点だった。@銀塊をどこに隠したのか、A白金等をどうした、B銃などの武器を隠しているだろう。3点とも川原にとって全く関知しない事柄だ。平然と顔色も変えず「知らないものは知らない」と言い続けた。

 ある夜の取り調べで「お前は40人の斬り込み隊を組織して我が軍本部を襲撃する計画だったろう」と新たな嫌疑をかけてきた。何のことだか分からないのでよくよく聞いてみると、昨年9月に居留民会から頼まれて40人の開拓義勇軍の少年兵を預かったことを、斬り込み隊の組織と言いがかりをつけたものであることが分かった。丁寧に説明したところ、その件は納得してくれてその後は持ち出さなくなった。

 ここで川原が訊問された「銀塊」と「白金」について経過を明らかにしておきたい。
 火工廠第四工場にはフォルマリン製造の触媒用に使用する銀塊があった。火工廠がソ連の支配下にあった時代、加藤治久、和泉正一ら部隊幹部はソ連軍の略奪から守るためどこかへ隠すことを考えた。銀塊は国民政府にさし出すのが正しいと思ったのである。1本30キロの銀塊が9本。相当な量である。はじめ水槽に隠すことを検討したが入りきれないため、防空頭巾で覆って工場内の煙突に投げ込んだ。

 この作業は少数で行ったのだがそのうちの誰かが、45年暮れから新年にかけて9本中2本を盗み出し、満人部落で金に換えて飲み食いに使ってしまった。このことが日系八路の探索で露見し保安隊に報告された。八路軍は残存銀塊を収容するとともに、もっとあるはずだと執拗な追及を始めた。川原鳳策の検束・監禁もその一環で、他に加藤治久、和泉正一、小田政衛、菅野成次、木山敏隆らが呼び出しを受け厳しく詮索された。この件は盗み出した犯人が八路軍に自白して決着したが、仲間内に疑心暗鬼と不団結を産み出す要因になった。

 八路軍は東京陵病院内に、歯の治療に使う白金が保管してあるはずだと疑いを持っていた。それで川原鳳策にそのありかを聞いたと思われる。その頃歯科医の松永薫も同じ嫌疑で訊問を受けたが「陸軍病院では白金は扱っていない」とはっきり否定、八路軍もその後の詮索は諦めた。
posted by マスコミ9条の会 at 14:11| Comment(0) | 戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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