2018年02月22日

やはり変だぞ日米の北朝鮮対応@

水久保文明さんのブログ「ヘボやんの独り言」より転載
http://96k.blog98.fc2.com/
18年02月19日
11562 やはり変だぞ日米の北朝鮮対応@

■水久保文明(JCJ会員 千代田区労協事務局長 元毎日新聞労組書記)

 昨日のネットに以下の記事が流れた。

            
◇=◇=◇

北朝鮮と韓国、秘密接触を重ねる 昨年、五輪参加協議か

 韓国と北朝鮮の両当局者が昨年秋から年末にかけ、少なくとも2回、平壌で接触した。ソウルの情報関係筋が明らかにした。韓国は基本的に北朝鮮との交流を禁じており、当局者の訪朝は異例。接触を通じ、北朝鮮は平昌(ピョンチャン)冬季五輪参加と南北対話路線を決めるに至った。米国は南北対話の行方を不安を持って注視しているという。

 米国内には韓国の動きに対する不満の声も出ており、ペンス米副大統領が訪韓した際に北朝鮮との接触を拒む事態につながった。

 南北の接触は、五輪を契機に関係を改善したい韓国側が求めた。昨年11月以降、中国経由で訪朝し、北朝鮮の五輪参加問題を巡って協議した。北朝鮮は参加の条件として米韓合同軍事演習の中止を求めたという。

朝日新聞社 2/18(日) 8:11配信
             
◇=◇=◇


 最後の「北朝鮮は参加の条件として米韓合同軍事演習の中止を求めたという。」という部分に引っかかる。先日13日に小ブログに書いた「またまた、アメリカの代弁?」に連動しているからだ。ブログの内容は10日に安倍首相が平昌に行った際、文大統領に「五輪後に米韓合同軍事演習を行ってはどうか」と提案したことと、13日に菅官房長官が韓国大統領の訪朝をけん制したのは、アメリカの代弁ではないか、というものだ。

 今回の報道が事実で、日米ともにこの会議開催を知っていたとすれば見事に符合する。北朝鮮と韓国の接触は昨年の秋から年末だという。そのころ、安倍首相は「平昌五輪には行かない」と言っていた。私はこれについても、小ブログで「大人げない」と批判した。

 ところが今年に入って突然、自民党内の「五輪に行くべきでない」という反対の声を振り切って彼は平昌に行き、韓国大統領に前述の問題を提起し、「内政問題」として事実上、一蹴されている。一方、アメリカはこの五輪中にも相変わらず北朝鮮口撃≠続けている。この問題もう少し考えてみたい。(次回につづく)


★脈絡のないきょうの一行
平昌五輪、フィギュアスケート男子につづいて、スピードスケート女子500mで日本が金。二人を支え続けた人たちに金メダルを贈りたいね。
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芸能人の不利益契約に思う

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載
http://blogs.yahoo.co.jp/shosuke765
労働運動は社会の米・野菜・肉だ。
2018年02月18日
芸能人の不利益契約に思う

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

 「移籍制限 法違反の恐れ 公取委」「芸能人の契約慣行」(17日付『赤旗』)。「公正取引委員会の有識者会議は15日、芸能人やスポーツ選手らの契約で、事務所が移籍制限など不利な条件を一方的に設けることは独禁法違反の疑いがあるとの報告書をまとめました」。

 芸能人やスポーツ選手などいわゆるフリーランサ―の地位が不安定であることは昔から指摘されてきた。何故か。いろんな原因があるかと思うが、一番にはその人たちが労働者として扱われているかどうかが問題なのだとおれは思う。芸能人らと出演契約(おれは雇用契約だと思うが)を結んでいる芸能事務所などに労働者を雇用しているという意識がないのは分かる気がするが、当の芸能人本人にもその自覚がない場合が多い。

 そのことをきちんと指摘して労働者としての自立、権利の主張、組織化の方向を先駆的に打ち出したのが佐藤一晴さんだった。佐藤さんは東大仏文学学部の卒業。広告代理店に勤めたが会社倒産に直面し、潰した毎日新聞を相手取って労働争議を始める。争議解決後、音楽家の労働運動に身を投じ、例の日本フィル争議を勝利に導いた。おれは一晴さんが争議を始めた時からの付き合いだ。

 一晴さんにはいろんなことを教えられた。それまでおれは企業内労働運動しか知らなかった。それが個人加盟の産業別組合の世界に目を開かされた。当時喧嘩するのは職制かせいぜい会社の労務、狭い範囲の労働運動だった。おれの場合はそれで結構労働運動として通じたが、音楽家ともなるとそうはいかない。

 おれが都労委の労働者委員になりたての頃、一晴さんが持ちこんだ事件に「モンテ企画」があった。日唱という合唱団の契約にかかわる事件で、普通の労使紛争と性格を異にしていた。まず使用者であるモンテ企画が頼りない。都労委には弁護士に連れられて社長が来ていたがまるで話にならない。佐藤一晴さんのほうがどう見ても人物が上だ。和解を勧告しておどしたりすかしたりしながらなんとか解決させた。

 和解協定書に、経営者と労働組合が対等に協議して合唱団を経営して行くことが明記された。それだけ一晴さんたちの方に経営の責任がかぶさるのだが、音楽業界とはそういうところだということが分かった。争議解決後渋谷のスナックで開かれた解決パーティに招かれた。合掌団員の女性たちに感謝されていい気持になったことを思い出す。一晴さんはいい仕事をしているなと羨ましかった。

 確かにフリーランサ―の雇用安定は大切だが。まず芸能人たち自身が自らを労働者として自覚することが大切だと思う。それが古希を前に胃がんが亡くなった一晴さんの願いでもあったはずだ。
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危険な参議院に「1県1人」の憲法明記 

水久保文明さんのブログ「ヘボやんの独り言」より転載
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18年02月18日
11561 危険な参議院に「1県1人」の憲法明記  

■水久保文明(JCJ会員 千代田区労協事務局長 元毎日新聞労組書記)

自民党の憲法改正推進本部(細田博之本部長)は、参議院の「合区」解消に向けた改憲案を大筋で了承したという。内容は3年ごとの参院選で各都道府県から1人以上を選出する規定を盛り込むというもの。これは党所属国会議員が出席する全体会合を開き、条文案の合意をめざすとしている。かなり前のめりだ。

 この案は憲法によって合区解消を図ろうというものだ。私は一瞬、そうすれば定数を増やさざるを得なくなり、「一票の重み」が平等になると思えたが、これはとんでもないお人よし≠フ考えであることが分かった。

 逆なのだ。つまり、合区がいやなだけで一票の重みを無視して「1県1議員」を選出しようというのだ。これはやりたい放題の上塗りである。安倍改憲の動態余勢≠買って党利党略、自党の事情≠押し通そうというものだ。

 これはもうファショだ。

 この問題を具体的に見てみよう。人口の一番少ない鳥取県の人口は56万5,233人、一番多い東京都は1,374万2,906人(ともに2017年10月1日現在)となっている。これを単純に計算すると、鳥取が1人の場合、東京は24.3人となる。

 ところが現状は、ご承知のように東京の定数は6。計算は分かりやすい。東京の1票の重さは鳥取の4分の1になるのである。これを憲法で定めようというのが自民党の考えである。これはいくら何でもひどすぎる。ファショと言いたくなる所以である。

 報道によれば、公明党は反対の意思を表明しているらしい。反対は当然のことだが、この党は信用ならない。安保法制や共謀罪法などで裏切られ続けているし、公明党は与党に入って以来、自民党の金魚の糞≠ンたいに動いてきているのはご承知のとおりだからだ。

 愚痴はこのくらいにして、今回の自民案はどういう角度から見ても憲法に明記することは馴染まない。選挙の区割りなどは、人口の動態に即した個別法であり憲法に盛り込むものではないと思うからだ。

 これが通るような事態になったら、次は衆議院だ。おそらく小選挙区制制度を憲法に書き込むと言い出すだろう。しかも、比例区部分をなくしたうえで。そうなれば、この国は暗黒化するのは目に見えている。自民党のこの謀略、9条改憲同様に許してはならない。


★脈絡のないきょうの一行
「築地の市場は設けない」と小池都知事。再開発するという方針も反故。都民ファーストが泣いている。
posted by マスコミ9条の会 at 19:29| Comment(0) | 選挙 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ほほ笑み外交、安倍晋三VS金正恩。どちらに軍配?

水久保文明さんのブログ「ヘボやんの独り言」より転載
http://96k.blog98.fc2.com/
18年02月17日
11560 ほほ笑み外交、安倍晋三VS金正恩。どちらに軍配? 

■水久保文明(JCJ会員 千代田区労協事務局長 元毎日新聞労組書記)

平昌五輪で、北朝鮮の応援団や政府代表に対して「ほほ笑み外交」という言葉が使われている。そりゃなんじゃと調べてみたら、あった。以下。

 「外交において首脳が強面ではなく微笑みを携えて外交に取り組むこと。すなわち、友好的・協調的な柔和な物腰で他国と接する(ように振る舞う)外交姿勢あるいは外交戦略のこと。微笑み外交は、必ずしも衷心から協調を求める姿勢を意味するとは限らない。強硬姿勢から協調姿勢への転換という意味でも用いられ得るが、むしろ、表面上は友好的で協力的であるかのうように装いつつ、搦め手から付け入る隙を窺うような姿勢を示唆する語として用いられやすい。」(新語時事用語辞典)

 なるほど。この説明だと、安倍総理大臣の外交そのものである。財界代表を引き連れて開発途上国訪問のときのあの笑顔は忘れられない。国会で見せたことのないそれは、背筋に冷たいものが走った。しかも笑顔を振りまくだけでなく、カネもばらまく。その姿はカネつきほほ笑み外交≠ニ言ってもいい。

 安倍ほほ笑み外交は、下心が見え見えである。国連で常任理事国を果たしたいこと、そして日本製品を売り込むことである。売り込むモノの中に原発も入っている。あの笑顔の下にどくろマークが入っていると思えば、度し難い不快感が走る。

 一方の金正恩ほほ笑み外交はどうか。前出の新語時事用語辞典は「首脳」(日本の場合は安倍首相)が主語になっているが、平昌五輪は「応援団」と「金正恩の妹」を指しており少し外れる。が、金正恩が指示しているとすれば、同じだとみていいだろう。

 で、この二つを比較してみよう。安倍晋三VS金正恩。私は金正恩に軍配をあげる。五輪ではほほ笑みで応援したし、南北朝鮮の首脳会談をほほ笑みのなかで提起した。これは見事である。美男子の面を持った応援はいただけなかったが、それを除けばそれこそ微笑ましかったではないか。

 ところが日本のメディアは、そのほほ笑みの下に隠されたものがあるかのような報道に終始している。露骨に「北朝鮮に騙されるな」という論調もある。それはそれとして言論の自由であるから一向にかまわない。それと同じ目線で、安倍ほほ笑み外交を批判してほしいものだが、こちらはダンマリ。どうも公平ではない。

 穿(うが)ちすぎと批判されるかもしれないが、日本のメディアは南北朝鮮の統一を嫌っている向きがある。統一されると一番困るのはアメリカ。なぜなら標的とする「ならず者」がいなくなるからだ。ならず者がいなくなると、武器を作る理由がなくなる。武器を作らないと武器を作っている企業が困る。この因数分解、お判りでしょう。もしかしたら、日本のメディアはアメリカに阿(おもね)ている? いやいや、そんなことはないと思いたい。


★脈絡のないきょうの一行
平昌五輪で男子フィギュアスケート、日本が金と銀。快挙であり喜び合いたい。
posted by マスコミ9条の会 at 19:24| Comment(0) | 軍事問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

爆風(48)

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載
http://blogs.yahoo.co.jp/shosuke765
労働運動は社会の米・野菜・肉だ。
2018年02月16日
爆風(48)

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

日本人の診療には邪魔をせず、中共軍兵士が巡回に来ると追い払ってくれた。11月になるとソ連と中共が混在して診療所の支配にあたるようになった。両者は仲が悪く、お互いに軽蔑し合っているように見えた。しかし最終的にはソ連の方が力としては上で、威張っていた。

 ある時、日本人の婦人の胸部診察をしているところへ悪気はなかったようだが中共軍兵士が入ってきた。言葉が通じないので手で押し出そうとしたら彼は怒って食ってかかってきた。そこへソ連兵が来合わせてしまい、中共兵との揉み合いになった。ソ連兵はベルトを抜いて中共兵を鞭打つ。中共兵は恨みのこもった眼を私に向けて部屋を出て行った。

 また私はソ連軍将校の夜の席に招待されることがしばしばあった。私としては気が進まないが断れない。ソ連のジープで中共軍の歩哨線を通過する。これも中共軍にとっては苦々しいことだったらしい。そんな些細な事柄が重なって後日ソ連軍撤退後、私が中共軍に報復される一因になった」。

 8.25の混乱が収まりほっとした頃、唐戸屯地区の矢部喜美子は隣組官舎の集まりによばれた。隣組12軒からそれぞれ婦人ばかりが集められ、組長からの話があった。「進駐してくるソ連兵のところへ、
輪番制で奥さんたちに行ってもらうことになるかも知れない。辛いことではあろうが、全員無事内地へ帰るためにはこらえてほしい」。身の毛のよだつような話だった。

 集まった婦人たちはびっくり仰天、ショックでみんな青ざめた。《そんな恥辱を受けるくらいなら、渡されて持っている青酸カリを飲んだ方がいい》。奥さんたちは叫んだ。集まりから帰っても気持ちは治まらない。いつそんな日が来るかと生きた心地もしない毎日だった。そこへ救いの神として来てくれたのが遼陽市内で水商売の仕事をしている女性たちだった。矢部喜美子たちは自分の着物をお礼にさし出した。そのようにして自らは恥辱を免れたが、同じ女性として胸の詰まる思いだった。

 10月17日、唐戸屯から東京陵へ向けて、ソ連軍少尉の運転する消防車が走っていた。無蓋の荷台には日本人の男女6人ずつ。運転が未熟なため車は蛇行を重ね、とうとう車輪が道脇の溝に落ち転覆してしまった。この事故で石坂俊子(22)、黒木幸子(20)の2人が横転した車の下敷きになって亡くなった。2人とも大坂の出身で、女子挺身隊として志願、唐戸屯の関東軍火工廠第四工場で働いていた。この事故以後、ソ連軍は兵士の勤務外の行動管理に厳しくなり同種事故の続発が防止された。
posted by マスコミ9条の会 at 19:20| Comment(0) | 戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月15日

またまた、アメリカの代弁?

水久保文明さんのブログ「ヘボやんの独り言」より転載
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18年02月13日
11559 またまた、アメリカの代弁?  

■水久保文明(JCJ会員 千代田区労協事務局長 元毎日新聞労組書記)

 13日、時事通信が「韓国大統領の訪朝けん制=菅官房長官」という記事を流した。韓国・文在寅大統領の訪朝について「ほほ笑み外交に目を奪われてはならない」として、北朝鮮の策略であるかのような発言をしている。これは明らかな介入である。

 その前段(という言い方は変かもしれないが)、10日に安倍首相が、米韓合同軍事演習について五輪後の再開要請をしたことに対して、文大統領は「内政問題だ」として不快感を示したことが報道されている。10日と13日のこの問題、考えてみたい。

 まず、10日の発言。合同演習はアメリカと韓国の問題であって、他の国が口出しできる事案ではない。にもかかわらず安倍首相が要請≠オたことは、イレギュラーそのものであるし、韓国大統領が目の前にいたがアメリカに対する要望でもあった。トランプ大統領がこの件について何も発言しないのはやや不気味。自分の代わりに安倍が言ってくれた≠ュらいに思っているのだろうか。

 もしそうだとしたら、これまた問題である。第三国から(米韓)二国間の合同軍事演習について「五輪後にやってはどうか」という提起は、当事者国の内政に干渉することになるからだ。そういう重要問題について、あの、トランプさんが何も言わないのはやはり変。

 その後、北朝鮮・金正恩氏の妹が文大統領の訪朝を提案した。これについて韓国側は積極的に受け止めていた。これに対して菅官房長官は否定したわけだ。これまた、内政干渉ではないのか。

 逆を考えてみよう。アメリカが北朝鮮から首脳会談を呼びかけられたと仮定する。そしてアメリカがそれを積極的に受け止めた場合、日本はどういう態度をとるか、である。今回の韓国への対応と同じになるだろうか。ノー、である。おそらく、大歓迎≠オたであろうことは容易に想像できる。

 としてみると、浮き上がってくる問題が見える。つまり、日本はアメリカの代弁をしているのではないかという疑義である。アメリカは@五輪後すぐにでも米韓合同演習をやりたいA米を素通りした「韓・朝首脳会談」は反対である。しかしそのことを言い出すことは内政干渉にあたる。そこで、日本にそのことを言わせた――という筋書きである。

 考え過ぎかもしれないが、沖縄問題を引き合いに出すまでもなく、アメリカいいなりの日本政府の体質がオリンピックでも露呈した、ということになる。同時に、今回の五輪外交でいえば北朝鮮のほうがよほど優れている、と見るのは私だけだろうか。


★脈絡のないきょうの一行
公明党・山口那津男代表、「森友学園」問題で佐川宣寿国税庁長官の国会招致を否定。真実にフタする行為だ。さもあらん。
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爆風(47)

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載
http://blogs.yahoo.co.jp/shosuke765
労働運動は社会の米・野菜・肉だ。
2018年02月13日
爆風(47)

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

 工務科の中尾英一が電話交換台の勤務中隣の変電所に落雷、火災が発生して配電盤の一部が焼けた。そのため東京陵の大部分で停電になる。それは一昼夜で復旧したが、ソ連軍は放火ではないかと疑い、拳銃を突きつけて原因追究を迫った。懸命の説明で落雷であることが了解されたが命の縮む思いだった。

 初秋のある日、中尾は電話架線点検のため張台子(遼陽の一つ奉天寄りの駅)まで山道を歩いた。道案内には庶務科警戒の戸塚陽太郎に頼んだ。はるか彼方の道を徴発した牛の群れを追って南下するソ連兵の姿が見える。戸塚は防腐処理をしていない線路の坑木に自然発生した椎茸を採集して持ち帰った。多分筆者はその椎茸を食べたのだろうが記憶はない。父はソ連支配中も守衛の仕事をしていたようだ。

 当時のことで母から聞いた話が記憶に残っている。秋も深まった頃、わが家に北満から逃げてきた避難民が立ち寄った。若い夫婦で奥さんは坊主刈り、男用の軍服を着ていた。母に食べ物を乞う。母は冷たくなった高粱飯を出した。それをがつがつと食べながら涙ながらに語ったことが悲しい。

 「私どもには1歳と3歳の兄妹がありました。とても連れては逃げきれないので2人が寝ている間に家を出てきました。布団に灯した電球を差し込みました。私どもが満鉄の駅に着く頃、発火して家もろとも燃えたはずです。一緒に逃げてきた若夫婦は途中でお母さんに青酸カリを飲ませました。地獄です」。

 吉林の病院で発疹チフスに感染し、敗戦もその後の混乱も知らずベッドの上で朦朧状態で過ごした勝野六郎軍医。9月半ばになってやっと回復して、尾林助産婦の助けを借りて唐子屯診療所の仕事に復帰した。

 勝野六郎軍医の手記。《唐子屯診療所に復帰し、ソ連兵の診療を始めて、日本敗戦の実感がしみじみと噛みしめられた。彼らは農民出身で個人的には純朴だが、教養は感じられない。集団になると乱暴を働く。しかし病院に対しては好意的で、八路軍の兵士が医薬品を持ち去るのを防いでくれたりした。

 ソ連兵は一寸した傷でも病気でもすぐ相談にきた。やはり淋病の兵が多かった。プロタルゴールの洗浄とトリアノンの注射をしてやった。遼陽の医師がソ連軍に連行されていなくなったらしく、遼陽滞在の将校も唐子屯までやってきた。彼らはペニシリン持参でその上ドイツ語ができた。これはその後の病院経営に役立った。ペニシリンの即効性には驚嘆した。どんな感染症でも2、3本の注射で即無菌になり完治した。

 彼らはソ連の軍医をあまり信用とていなかった。軍医の1人が私に梅毒の治療について尋ねるので、ワッセルマン反応の話をしてやったら驚いていた。なるほど医学知識のレベルも低かった。顔見知りになった高級将校に「お前は旅順で働く気はないか。家族ともども、もっと楽な生活を保障する」と誘われた。私はここの日本人と運命を共にしたいと断った。旅順行きを受け入れていたら多分私は帰国できなかったに違いない。
posted by マスコミ9条の会 at 21:43| Comment(0) | 戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

少し春 

水久保文明さんのブログ「ヘボやんの独り言」より転載
http://96k.blog98.fc2.com/
18年02月12日
11558 少し春  

■水久保文明(JCJ会員 千代田区労協事務局長 元毎日新聞労組書記)

 北陸・新潟地方にまたしても大雪警報。「不幸は友達を連れてくる」ということわざがあるが、いい加減にしてほしい。用水路に落ちて亡くなった人もいる。心からお見舞い申し上げます。くれぐれもご用心ください。

 その一方で、春は間違いなく近づいている。昨日、秩父・長瀞の「宝登山」(ほどさん・497m)に登ってきた。この山は、ロウバイを育てていることで有名。この季節に私はよくここを訪ねる。春を感じたいからだ。ロウバイとともにもう一つのお目当てがある。フクジュソウだ。

 北陸の方々には申し訳ないほど、いい天気になった。青い空と黄色の花びらは実にマッチする。その花を見ていただこう。

【ロウバイ】
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【フクジュソウ】
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 ロウバイは、その名の通り蝋のように光っている。触ってみると普通の花と同じ感触である。蝋細工のように見えるそれは、芸術といえる。フクジュソウは地面に生えているから、空はお見せできない。これまた可憐な花である。季語は「新年」を表すそうだが、楚々として咲くその姿は、春を呼ぶにふさわしい。

 山頂から、両神山(りょうかみさん)と武甲山(ぶこうさん)が手に取る位置に見えた。宝登山には何回も来ているが、このようにきれいに見えるのは珍しい。両神山は「日本百名山」の一つ。武甲山も含めて私は登っている。

 かわいそうなのは武甲山だ。石灰石が採取できることから山は削られ続けている。それは「秩父セメント」の原料となる。この山に登った時、山が削られることは自分が削られるような錯覚に陥ったものだ。

 時間が早かったせいだろう、人は少なく静かだ。こんなに静かな宝登山は初めてであった。春探し≠フ宝登山、ほっとするひとときだった。

【宝登山頂から両神山】
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【宝登山頂から武甲山】
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★脈絡のないきょうの一行
平昌五輪が始まった。南北朝鮮の統一に寄与することを願いたい。
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沖縄ノート(11)強奪の戦後B

17年2月10日
沖縄ノート(11)強奪の戦後B 

■坂本陸郎(JCJ運営委員;広告支部会員)

本土決戦
 沖縄戦は本土決戦を遅らせるためだったのだが、軍部に「本土決戦」の戦意も覚悟もなかった。1945年1月20日、大本営は「帝国陸海軍作戦計画大綱」を決定し、「皇土特ニ帝国本土ノ確保」を目的とすることになった。そのため、沖縄守備隊に対して持久戦が指示された。だが、敗戦が必至となって天皇は狼狽し、国体護持にこだわり続けた。
 近衛文麿の上奏を無視し終戦の宣言を遅らせた天皇は、首里が陥落する直前の5月14日、最高戦争指導会議を開き、ソ連を仲介とする終戦工作を指示し、近衛文麿をソ連に赴かせようとした。その「平和交渉」の第一の条件が「国体ノ護持ハ絶対ニシテ一歩モ譲ラザルコト」、第二の条件が「最下限ノ小笠原、樺太ヲ捨テ、千島ハ南半分ヲ保有スルコト」であった。だがソ連はとり合わず、日ソ不可侵条約の期限切れとともに、8月6日、満州へ侵攻する。ソ連を仲介者とする終戦工作は、望むべくもない相手知らずの神頼みであった。

米国の対日戦略
 8月9日、テニアン島を飛び立ったB29は、北九州小倉市上空を覆う厚い雲のため、目視 による投下ができず、第二の目標都市長崎に原爆を投下した。その帰路、燃料が不足し、読谷飛行場で燃料を補給、テニアン島に戻った。
 敗戦後に、参謀次長河辺虎四郎中将ら使節団が伊江島飛行場に到着後、米軍機に乗り換えた後、マニラに向かった。マッカーサーはマニラで停戦協定にサインすると、そこから読谷飛行場に立ち寄り、翌30日、厚木に向かった。米国の極東戦略を示唆する当時の動きである。
 では米国の対日戦略はどのようなものだったのか。以下は林博史著『沖縄戦が問うもの』から。
 アメリカは太平洋戦争中から、世界をにらむ基地計画の検討を始めていた。6月22日、その戦後基地建設計画が、統合作戦本部で本格的に議論されるようになるのは1945年5月からであった。アジアでは、ハワイ、フィリピン、マリアナ、沖縄が最重要基地とされ、小笠原や中部太平洋のいくつかの島々が、それに次ぐ重要基地建設地としてリストアップされている。その計画に従って、沖縄では46年7月に陸軍と空軍の基地建設計画が立てられ、1950年度会計予算に5000万ドルを超える基地建設予算を計上した。日本本土については、冷戦の進行、朝鮮半島の分断、中国での共産党政権の成立という情勢変化のもとで、日本を軍事拠点として確保する意思が米政府内で強まり、それが48年10月、国家安全保障会議で決定された。これは冷戦状況下で日本の共産化を防止し、政治的・経済的安定をはかることを主眼とするもので、対日政策の転換を示すものだった。(要約は筆者) ―

キーストーン
 1950年6月、北朝鮮が軍事境界線を超えて韓国に侵攻し、朝鮮半島での攻防戦となった。米陸海軍がそれに参戦すると、中国が人民義勇軍を派兵、戦況は軍事境界線を巡って一進一退となった。その朝鮮戦争当時、嘉手納を飛び立ったB29は北朝鮮を無差別爆撃し、米政府は幾度となく北朝鮮への原爆投下を企てた。米朝対立の根は朝鮮戦争にあったといえるだろう。
 翌年7月に休戦協定が結ばれるのだが、北朝鮮軍、中国軍の戦力を思い知らされた米国は、以後、日本本土を極東における反共の前線基地(キーストーン)と位置づけ、同盟国日本に再軍備を指示すると同時に、日本政府に対して、基地使用の許可、施設役務提供を義務付けた。と同時に、沖縄を極東最大の軍事基地とすべく基地建設にとりかかった。
 このように、沖縄は朝鮮戦争時には、すでに最前線の出撃基地だったのだが、その後は、冷戦の進行とともに沖縄の極東戦略上の重要性が高まり、50年代になると基地拡張が急ピッチで進むことになった。とともに、支配者たる米軍政府の沖縄住民に対する姿勢は、いっそう無法で暴力的なものとなっていった。

強奪の光景
 1953年に米国議会が基地建設予算を増額すると、沖縄では、米軍政府が「土地収用令」を布告し、53年に真和志村安謝・銘刈、小禄村具志、55年には伊江島真謝、宜野湾村伊佐浜などで、銃剣とブルドーザーによる私有地の強奪を押し進めた。
 それまでにも、米軍政府は借地料も払わずに、住民が所有する畑や土地を勝手に使っていたのだが、戦後5年を過ぎてようやく生計を立てていた住民の命綱であった畑と土地が、さらに奪われることになった。
 その土地強奪はどのようなものだったのか。瀬永亀次郎氏(故)が自著『民族の悲劇〈1971年初版〉』の中で叙した「青田一夜にして滑走路にかわる」の一節を、長くなるが、そのまま書き移すことにする。強奪の情景を彷彿とさせ、老女の悲嘆が胸を打つ。

― 1951年4月のはじめ、南海の空はカラッと晴れ渡り、静かに海風がそよいでいた。沖縄本島国頭村桃原部落民は、土響きを立てて咆哮している重々しい機械の騒音に異常なものを感じてたたき起こされた。あの家からもこの家からもとび出して、現場にふれた子供たちは“ブルドーザーが稲をふみつぶしとるぞ、大変だ、大変だ”とお父さんや兄さんたちにつげ廻った。時を移さず全部落民が現場にむらがり集まった。数台の六屯車が、どこから運び込んだかしれない山石や砂利を投げ下している。ブルドーザーがその後から整地役を引き受けて、おちつき払って砂利や山石と稲穂をまぜっかえし、踏みくだいて進んでいる。部落民が目を見張っている間に、数千坪の青田は打ち固められて、砂浜に生まれ変わった。
 その時である。集まっている部落民の間に動揺がおこった。一人のおばあさんが卒倒したのである。みんなの手厚い看護のおかげで、やっと息を吹き返したおばあさんは、「アキヨナー、ワンターヤ、チャナイガ」― ああー私の田はどうなるのかーとわめき、のろいつづけるのだった。六屯車やブルドーザーにとっては、しかし、そんな出来事は関係のないことだ。基地王の命令で動いているだけの話である。一日のうちに数万坪の青田は、部落民の目の前から永久にその慈母の姿をかき消してしまった。その後3か月もたたないうちに、この土地には東洋一を誇る巨大なラジオビーコンが建てられ、50万ボルトの強烈な電柱は、近隣部落を圧して戦闘準備に余念がない。
 卒倒したおばあさんは、夫が台湾製糖社に務めていて、永いこと台湾で共稼ぎをしていたが、敗戦1年前、郷里の桃原に家族をひきつれて帰ってきた。台湾で貯えた金と夫の退職金で例の田を買い入れ、その田は老後を支えるためのいのちとして、大事にまもりつづけていたのである。そのうち米軍の沖縄上陸となった。この戦争のため真っ先に夫がたおされた。つぎつぎに子供たちも沖縄戦で殺されてしまった。残されたのはおばあさんの心細い生命と三千坪の田んぼだけとなった。細りゆく生命と田んぼを大切に、おばあさんはまったく天涯孤独のくらしを営んでいたのである。自分の生命と同じ田んぼ、しかも、もう十日もすれば、刈り取れる青田を、そのままもっていかれたのだから、卒倒したのも不思議ではないだろう。
 いうまでもなく、青田を収奪されたのは、このおばあさんだけではなかった。基地王は土地収奪の1か月前、国頭村長を通じて「これらの地域は軍用地に指定されたから、20日以内に農作物は全部撤去すべし」の口頭指令を出している。あと1か月も待てば普通の通り収穫できる稲を、命令だとはいえ、ただちに“ハイサヨウナラ”で刈り取る農家が一人でもある筈がない。地主たちは相談の結果、稲や西瓜の撤去を拒否したのである。
 基地王は目論見書の変更をするほど心のゆとりを持っていない。ただちに数台の6t車とブルドーザーの現地派遣となり、黄金色に色づき、重くたれ下がっている稲を踏みにじって、基地の土台を築き上げたのである。台無しにされた西瓜や稲など農作物の損害保障が、基地王の支出清算書に見当たらなかったことは、もとより確かである。撤去命令違反について起こる責任は、すべて違反者の負担とする但し書きによるのであろう。
 左手にハンドルを軽くおさえ、右手はわしづかみに、農民が精魂打ち込んで植え付け、収穫を待っているメロンをほおばりながら、稲穂や西瓜をかみ砕き、冷然と青田の上を進撃する自由の防衛軍、こういうアメリカ将兵の姿を想像するのは、ちょっと困難であろう。他国人民に、死の自由への扉を開かんとするものは、いつの日か、開かれたその扉の入り口に立っている我が身を発見するだろう。
 死の自由をおしつけられた民族は、必ずそれをなしとげる。
 なお、滑走路と言われていた強奪された田畑は、いま、VOAの基地とされている。
(VOAはヴォイス・オブ・アメリカの頭文字、駐留米兵、軍属向けのラジオ放送=筆者) ―

瀬永亀次郎 1907年沖縄県豊見城村生まれ。戦後、沖縄人民党結成に参加し、書記長、委員長を歴任。54年米軍による沖縄人民党弾圧事件で懲役2年の刑で投獄される。56年那覇市長選に当選するが翌年の米軍布令により追放。70年の国政選挙で衆議院議員に当選する(以後86年衆院選挙まで7期連続当選)。73年日本共産党中央委員会幹部会副委員長。90年名誉幹部会委員。米軍基地撤去、祖国復帰、主権回復という沖縄県民の願いを胸に闘い続け、「反米抵抗のシンボル」と称される。2001年10月5日死去。


(つづく)
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2018年02月10日

産経新聞の「おわび・削除」に思う

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載
http://blogs.yahoo.co.jp/shosuke765
労働運動は社会の米・野菜・肉だ。
2018年02月10日
産経新聞の「おわび・削除」に思う

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

 「産経記事 おわび・削除」「『米兵が日本人救助』報道」「沖縄地元紙非難」「識者 紙面検証『不十分』」(9日付『毎日』)。産経新聞が12月12日付の朝刊紙面で、地元紙が米兵の交通事故を報じなかったことを非難する記事を載せたが、その非難が的外れだった。産経はその言い訳と地元紙への「おわび」を8日付同紙1面に掲載したと。産経が削除した記事とはとんなものだったのか。

 昨年12月1日、沖縄自動車道で6台の多重衝突事故があった。それに巻き込まれた米軍曹長が怪我をしたが、彼は怪我の前に日本人男性を救助したというのが産経記事。ところが記事はそこでおしまいでない。この米兵の美談を報道しない地元紙を「『反米色』に染まる地元紙メディアは黙殺を決め込んでいる」「メディア、報道機関を名乗る資格はない。日本人として恥だ」とののしった。ここで「日本人として」が出てくるあたりに昨今の国家主義・戦前回帰の風潮の反映が見られる。

 ところが後日の沖縄県警の発表では、そもそも米軍曹長の日本人救助との「美談」は存在しない。産経は米テレビや海兵隊の取材はしたが、県警への取材はしなかったことがはっきりした。交通事故の取材はまず警察からというのが報道の基本である。産経こそ、報道機関を名乗る資格はないではないか。

 米海兵隊も「曹長の美談」を否定したことから、追いつめられた産経新聞が遅ればせながら「おわびと記事の削除」をしたというのがこの話の顛末である。産経新聞東京本社乾正人編集局長は「再発防止のために記者教育を徹底する」と言うが、問題はそんな程度の言い訳で済む話ではないだろう。

 『毎日』記事で服部孝章立教大教授は「深刻な問題だ。産経新聞は沖縄メディアに対し、いわれのない非難をしたからだ。・・・一部勢力に支持されようとして書かれたと思われるが、検証はそうした事情を明らかにしていないのも問題だ」と指摘している。当然の指摘である。

 いま、沖縄では米軍駐留や基地拡大に反対する運動に対していわれのない誹謗中傷が強まっている。中心的指導者の平和運動センター山城博治議長は微罪で152日間も拘留された。沖縄2紙を潰せのかけ声のもと、基地反対運動には中国人朝鮮人がいる等のデマがふりまかれている。

 そのデマの急先鋒が産経新聞なのだ。こんどの「おわび・削除」に対して、非難された側の琉球新報普久原編集局長も沖縄タイムス石川編集局長も「率直に詫びた姿勢に敬意を表します」「報道機関として評価します」と大人の対応でこたえた。それはそれで立派だとは思うがおれにはちょっと「きれいごと過ぎる」とも思えるのだが。
posted by マスコミ9条の会 at 13:52| Comment(0) | 新聞報道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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