2017年05月31日

沖縄ノート(2) 辺野古基地建設のハードル

17年03月29日
沖縄ノート(2) 辺野古基地建設のハードル

■坂本陸郎(JCJ運営委員;広告支部会員)

埋め立て工事は順調か (地図と資料は『平和新聞』2137号から)
 防衛省は、2トンの石の入った網袋数個を海中に沈める護岸工事にとりかかった。海域の土砂流出を防ぐための「防止膜」の設置が整ったから、としている。
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 護岸工事は、埋め立て予定地を囲む堤防のようなものを海中に造る工事だが、政府は、それを「K9護岸」(地図)から着手し、年内にも石を沈める工事を完了する計画である。それによって海底の岩礁は破砕されることになる。だが、岩礁の破砕には沖縄県知事の承認が必要である。したがって、仲井真前知事による承認が今年3月で期限切れとなっていることから、新たに現知事の岩礁破砕の承認を得なければならない。だが、その見通しが立っていない。
 そのため政府は、地元の名護漁業組合が、辺野古海域での漁業権を放棄したことを根拠として、知事の岩礁破砕許可は必要ではないなどと言っている。
そもそも魚業組合の漁業権放棄は法的効力を持つのだろうか。1985年の国会で政府は、このように答弁している。「漁業権は漁協の総会で放棄が議決されたとしても、それだけで変更されるものではない。都道府県知事の免許を受けない限り、漁業権が放棄されたことにはならない」。
 漁業権放棄には公的承認が必要であることを政府も認めていたことになる。にもかかわらず、政府は今回、それを覆す解釈をしている。そのような勝手な解釈は許されないであろう。ましてや、漁業組合が漁業権を放棄したことを岩礁破砕の承認と結びつけるなどは論外と言わなければならない。
 さらに、その他いくつものハードルが立ちはだかっている。まず、膨大な量の土砂運搬の目途が未だに立っていない。加えて、工事を進めるためには、名護市内を流域とする美謝川の水路を変えなければならない。ここでも自治体の許可が必要となってくる。それを名護市議会が認めるだろうか。まして、稲嶺名護市長と翁長知事が承認するとは到底考えにくい。
 ハードルはそれだけではない。翁長知事が、前知事による埋め立て承認そのものを撤回する意向を明言している。だとすると、稲嶺名護市長が言うように、「これらをクリアーしないと、実質的な埋め立て工事に入ることはできない」(記者会見での発言)ことになる。
 以上からも明らかなように、今後の埋め立て工事には様々な困難が予測される。政府と防衛省は、そのことを充分知っているはずである。石の入った袋を海岸近くの海中に沈めるという工事は、新基地建設に反対する沖縄県民と本土の国民の諦め気分を誘うデモンステレイションではなかったのか。テレビを見たり大手紙を読んだりすると、政府の強気の姿勢が伝わってくるのだが、政府や防衛省が、必ずしも今後の成り行きに確たる自信を持っているとも思えない。案外、不安と動揺が見て取れるのではなかろうか。

代替基地建設か新基地建設か (新基地計画地図は沖縄タイムスから)
 政府は、V字型滑走路を備える辺野古の基地を、普天間飛行場の返還にともなう「代わりの基地」なのだから、「沖縄の負担が増えることはない」と言っているのだが、そうだろうか。「代替基地」であれば、辺野古の基地が完成するまで、普天間基地の返還は先伸ばしとなる。 
 以下は、地元紙『沖縄タイムス』の連載記事の一部要約(筆者による)と引用である。
 たしかに、滑走路は2700メートルから1800メートルへと短縮する計画であり、普天間で基地機能三つのうち、空中給油機はすでに山口県の岩国基地へ移され、緊急時の外来機受け入れは本土移転が決まっていることから、辺野古基地ではオスプレイやヘリの部隊だけとなるようだ。それを、菅官房長官などが「面積や機能が小さくなる」「沖縄の負担軽減」と言っている。だが、沖縄県民の多くが新しい基地の建設だと理解している。
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 では、新しい基地とはどのようなものなのか。『沖縄タイムス』の記事を以下引用する。
 ― 飛行場の大浦湾側に整備予定の係船機能付き護岸は、全長271,8メートルで、オスプレイ搭載可能の、長崎県佐世保を母港とする強襲揚陸艦ボノム・リシャールが接岸できる「軍港」ではないかとの指摘がある。それとは別に、タンカーの接岸できる燃料桟橋も設ける。弾薬搭載エリアも普天間にはない機能だ。現在のようにミサイルや銃弾を積み込むため、空軍嘉手納基地に移動する必要がなくなる。
 陸上自衛隊航空部隊の元操縦士は、「シュワッブやハンセンに駐留する地上部隊と航空機が一体となり、さらに弾薬、艦船の受け入れを一か所に集積できるなら、平時でも有事でも使い勝手はよくなる」と評価する。1996年の返還合意当初に話し合われた撤去可能な海上ヘリポート案や、稲嶺恵一元知事らが求めた使用期限付きの飛行場に比べ、「恒久的な基地になるのは確実だ」と語っている。―

この新基地について、『沖縄タイムス』は、オスプレイ百機以上が配備可能な設計だとする前防衛大臣森本敏元氏の著書を紹介したうえで、次のように書いている。
 ― 有事の際には常駐機以外の外来機の受け入れを想定しているのは間違いない。修繕次第で、耐用年数は100年とも、200年ともいわれている。新基地ができれば、米軍が簡単に手放すわけはない。自衛隊との共同使用も視野に入れているだろう。さらに埋立地は国有地になるため、私有地や市有地に比べ、土地利用に口出しできなくなる。「戦後70年以上続いてきた沖縄の過重負担が、子や孫の代どころか、100〜200年も続くことは耐えられない」、翁長知事や稲嶺市長は、そう声を上げている。―
 記事は、この3000メートル級滑走路2本と軍港機能を持つ基地建設が、1966年にすでに計画され、当時自衛隊トップであった統合参謀本部議長がその建設を承認していた事実を、資料をもとに明らかにしている。
 それについて、基地問題を調査してきた建築家・真喜志好一氏の談話を載せている。
 ―「沖縄の負担を軽減するという名目で、実際は米軍の安全基準にも合わない、危険で老朽化した普天間を返し、60年代に見送った計画を実現させようという意図がある。しかも、建設費は日本の予算だ。沖縄戦で奪った土地に本土爆撃用として造った基地とは違い、現在の米海兵隊の求める機能をそろえた、まったく新しい基地だ。そんな都合のいい話に県民は騙されない。だから、反発と抗議が強まり、工事が進まないことを認識すべきだ」。―     
(続く)
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祝・第88回メーデー――私の生い立ちとメーデー@

水久保文明さんのブログ「ヘボやんの独り言」より転載
http://96k.blog98.fc2.com/
17年05月02日
11535 祝・第88回メーデー――私の生い立ちとメーデー@

■水久保文明(JCJ会員 千代田区労協事務局長 元毎日新聞労組書記)

 きのう、代々木公園で「メーデー」が開催された。連合は4月29日に行っており、本来の5月1日はこのメーデーが本家≠ナある。メディアは、「全労連系」という表現をするが、これは間違い。全労連に参加していない組合も含めて、実行委員会を構成し代々木公園に結集するからだ。当然、千代田区労協もここに参加する。

 私は、今年でメーデーには連続53回目の参加となった。初メーデー≠ヘ1965年。まだ高校生だった。定時制高校に通っていた私は、職場の労働環境があまりにもひどく、個人加盟の労働組合に加入していた。職場は新聞販売店だった。

 なぜこの職場を選んだか。定時制高校生にとっては絶好の環境だったからだ。朝刊の配達が終わって夕刊の配達までの間、勉強できたし昼間の大学に通学している仲間にとっては夕刊までに戻ればいいわけで、好都合だった。その新聞販売店には90人近くが従事していた。そのほとんどが、私のような高校生だったり、大学生だったり、大学受験生だった。何故か司法試験の受験生もいた。

 配達地域は千代田区内の大企業が密集する丸の内・大手町界隈、さらに霞ヶ関の官庁街もエリアだった。首相官邸、宮内庁にも配達していた。総理大臣や天皇は私たちが配達する新聞を読んでいた。今でもこの販売店は同じエリアを配達している。

 ここで待遇改善のたたかいが始まった。要求はシンプルだった。今でも残っている所もあるが、新聞販売店は朝刊の配達が終わると朝食が出た。この朝食に「おかずを出せ」というのが要求になったのだ。そのころの朝食は、ご飯と味噌汁、そして漬物だけだった。いわば、おかず闘争≠セ。

 そしてもう一つは、通勤手当をよこせ、だった。学生だから、ということで仕事のための交通費は支給されていなかったのだ。二つのシンプルな要求は共感を呼び、非公然だったが労働組合を十数人で結成した。この組合を軸に「従業員自治会」なるものをつくり、ここが要求交渉に当たった。結果は、なんと100%の要求実現をみたのである。

 ところが、その後販売店は1967年の春から夏にかけて、私も含めて6人を解雇したのである。恐らく組合結成の首謀者と見られたのであろう。6人の内訳は、大学生4人、予備校生1人、そして私は高校生だった。なんと、高校生争議団の誕生≠セったのである。初めてメーデーに参加したのが1965年。その2年後にクビを切られたのである。

(次回につづく)
★脈絡のないきょうの一行
北朝鮮の核実験に、噴火の恐れ(CNN)。アメリカや、イギリス、中国の時にはその懸念はなかった? ヘン。
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メーデー、60年ぶりの不参加

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載
http://blogs.yahoo.co.jp/shosuke765
労働運動は社会の米・野菜・肉だ。
2017年05月01日
メーデー、60年ぶりの不参加

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

 今日は第88回中央メーデー。朝から爽やかな五月晴れだ。もっともお昼頃から天気は不安定になり、雷、突風の惧れもあるという。おれは1958年の第29回中央メーデーから何らかの形でずっと参加してきたが、今年は例の腰痛で残念ながら断念した。おれのメーデー参加歴を振り返ってみたい。

 おれが初めてメーデーに参加した頃は、神宮外苑の絵画館前だった。その後芝公園での開催もあったと思う。60年代初めからは代々木公園に定着した。当時は統一メーデーで、労働4団体や純中立労組もこぞって集まった。デモコースは青山―国会前―新橋までで、6キロはあった。あまりの人数に行進はのろのろで、解散地点の新橋へ着くのは夕方になった。駅前の立ち飲みのビールの旨かったこと。

 統一メーデーは88年の第59回まで続いた。89年に総評解体、連合、全労連発足。そのあおりで分裂メーデーになった。メィン会場の代々木公園は連合に取られて、全労連系は江東区の辰巳緑公演に追いやられた。新聞労連は朝日や読売が全労連メーデーを嫌って不参加。おれが委員長を務める東京地連は組織決定して辰巳緑公園に参加した。参加者はそれまでの1000人から300人に減った。

 その後、全労連系メーデーは90年の夢の島公園を経て、91年からは亀戸中央公園に。毎年代々木公園使用を申し込むのだが都の不当な連合優先措置で認められなかった。デモコースはいくつかあったが、おれたちは浅草終点が多かった。お好み焼きや天ぷら屋での打ち上げ会は結構楽しかった。

 98年はフランスのパリメーデーに参加した。CGTと一部中立系の隊列に参加、リパブリック広場からナシオンまで3時間かけて行進した。こちらも労働団体ごとの分裂メーデーだったが、解散地点は同じように組まれているらしい。解散後のビールで乾杯風景は日本と同じ。屋外テラスで気勢をあげていた。

 連合がメーデー開催日を大型連休最初の休日(今年も4月28日だった)と決めたおかげで、01年からは全労連系が代々木公園でできるようになった。世界的にメーデーは5月1日だと思うんだがね。

 02年に松戸市長選に立候補した関係で、02年から05年まで4年間は松戸メーデーへの参加だった。午後2時から西口公園で集会を開き、デモコースも1キロほど。駅東口で解散し年金者組合の人たちと居酒屋庄屋で懇親会。都内へ出るより数倍楽ちんだがやはりちょっと物足りない。

 05年に新聞OB会代表委員に選出されたこともあって、06年以降は代々木公園の中央メーデーに参加してきた。それが今年途切れた。ああこれで「おれのメーデー」も終わりなのかな。
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『日本国憲法はこうして生まれた』(川村俊夫著、本の泉社刊) 

17年03月29日
『日本国憲法はこうして生まれた』(川村俊夫著、本の泉社刊) 

■坂本陸郎(JCJ運営委員;広告支部会員)

 この標題の著書には、施行70年となる日本国憲法の原点ともいえる憲法制定過程が詳しく書かれている。その中からいくつかを要約して取り出してみる。
※()内は筆者。


世界から見た日本国憲法
 まず、世界が現在の日本国憲法をどう見ているのかについて。188カ国の憲法を比較検討したワシントン大学のデービット・ロー、シカゴ大学のトム・ギンズバーグら米国法学者の見解、
 世界から見ると、日本の憲法の最大の特徴は、改正されず手つかずで、生き続けてきた長さだ。だからといって内容が古びているわけではない。むしろ逆で、世界がいま主流になった人権の上位10項目までを、すべて満たす先進ぶりである(朝日新聞2013年5月5日付)
 この評価について、著者川村俊夫氏は次のように解説している。
― ここでいう「世界でいま主流になった人権」とは、信教の自由、報道・出版の自由、プライバシー権、女性の権利、団結権、教育を受ける権利等々、近代社会になって以来、各国憲法に共通してふくまれている一人ひとりの人権です。この中で、上位20位までのランキングで日本憲法に含まれていないのは20番目の「推定無罪」だけとのことです。これに、第二次大戦後の各国憲法が持つことになった平和条項の比較を加えれば、徹底した戦争放棄の条項を持つ日本国憲法の先駆性・先進性はいっそう際立っているといえるでしょう。―
 (このような、日本国憲法にたいする客観的評価と理解は、政権による改憲策動が強まる現在、極めて重要である。憲法が米国の占領下の時代につくられたことのみを根拠として、「連合国総司令部の、憲法も国際法も全く知らない素人たちが作り上げたシロモノ」と理解する安倍首相の目が、いかに曇ったものであり、その理解が一知半解であることが、この著書を読めば理解されるだろう)

その制定過程と歴史的背景
 著者は憲法制定過程について、次のような歴史的背景を述べている。(以下は筆者による要約)

1.天皇を中心の「国体」に全く手を付けない「松本委員会案」(日本政府案)に代えて、GHQは、草案として国民主権の原則を打ち出した。しかし、あくまで「国体」の維持に固執する日本政府は、これに抵抗し、天皇制を「国民至高の意志」と言い換えるなど、天皇主権にこだわった。それに対して「国民主権」を明記せよ、という世論が沸き起こった。
2.アメリカ政府とその出先機関GHQは、反フアッショ連合国の一員としての立場から、日本政府によるポツダム宣言の実施を監視するという一面と、憲法発展の民主的歴史的到達点を取り入れながら、ソ連との対立を強めるなかで、天皇制の維持など、日本政府と妥協する一面をも持っていた。
3.日本国民は敗戦の痛手を受けながら、労働者、農民、女性、学生など階層別組織化を進め、職場、地域、学園から旧憲法体制の打破を目指すたたかいを展開した。それらは明治期の自由民権運動、大正デモクラシーなどの伝統を生かそうとするものだった。


 戦後における憲法について様々な提案、提言が国民の中から出された。そのひとつが「憲法研究会」の名で知られる民間グループによるものであり、それが、現在の憲法に平和と民主主義の規定を盛り込む力となった。

1.こうした日本国民のたたかいを励ましたのが、ワシントンに置かれた連合国による極東委員会と、当時の国際世論であった。反フアシズムで戦った国々では、戦後、平和と民主主義、人権をめぐるたたかいが起こり、それらが日本国憲法制定過程に大きな影響を与えていた。


政府案と「憲法研究会」案
 GHQに「試案」として提出された日本政府憲法案は次のようなものだった。


「日本国は君主国とす」、「第二条、天皇は君主にして此の憲法の条規に依り統治権を行ふ」、「第三条、皇位は皇室典範の定むる所に依り、万世一系の皇男子孫之を継承す」。

 これは明治憲法の字句を入れ替えただけのものであり、政府内の憲法論議がどのようなものなのかをうかがわせるものだった。その「試案」をスクープした毎日新聞も、さすがに「あまりに保守的、現状維持的なものに過ぎない。失望しない者は少ない。新国家構成の経世的理想に欠けている」と論評せざるを得なかった。
 その後、GHQに提出された政府案(松本案)も、明治憲法の条文中の「神聖」という文字を「至聖」に言い換える程度で、内容は「試案」とほとんど変わらなかった。そればかりか、「公益の為必要なる役務に服する義務」という徴兵制の復活を意図する条項も含まれていた。
 だが結局は、それがGHQに受理されず、日本政府が自らポツダム宣言に基づく憲法草案をつくる能力なしと判断され、次のような「マッカーサー3原則」が提示され、国会での論議となる。
 その3原則とは、要約すると、@天皇の義務及び権能は憲法に基づき行使される。A国家の主権並びに権利として戦争を廃棄する。B日本の封建制度は廃止する、であった。
 GHQは、政府案と同時に、鈴木安蔵、高野岩三郎、杉本幸次郎、森戸辰男、室伏高信、岩淵辰雄ら民間人グループによる「憲法研究会」に関心を寄せていた。その「要綱」を見たGHQ民生局のラウエルは、それについてこのように語っている。
 「国民の権利及び義務、これらの諸条項は、権利の焦点をなすものであって、現行憲法(明治憲法)におけるそれよりも、はるかに実効的である。言論、出版、教育、芸術および宗教の自由は保障され、かつ、その他の社会的諸原則もその中に包含されており、そのすべては民主主義と両立しうるものである」「この憲法草案中に包含されている諸条項は、民主的であり、かつ承認できるものである」。
 高く評価していたのだった。その後は、この憲法草案に賛成しない高野岩三郎が個人として、「天皇制を廃し、之ニ代エテ大統領ヲ元首トスル共和制採用」といった天皇制廃止を正面から打ち出す草案を出している。
 そのほか、憲法学者稲田正次、労働運動弁護士布施辰治などが、それぞれに憲法草案を発表している。そして、政党として唯一「憲法骨子」を明らかにしたのが日本共産党であった。それについて著者は、「この時期に憲法構想を(政党として)明らかにしたのは共産党だけであったから、政府に対してはともかく、憲法研究会の高野、鈴木らに、ある程度の影響を与えたことは否めない」と、述べている。
 (天皇制をめぐる日米の思惑は違ったものの、深刻な対立とはならなかった。戦後の対日支配を構想するマッカーサーが、天皇を戦後社会にふさわしいかたちで残す方が自国の国益に役立つと判断したからだった。その日米の“つきあわせ”の結果、皇室の存続が保障され、その後の国会では、第9条をめぐる「自衛権」の論議が焦点となった。(そこでの論議と政府答弁は現在に通じるものとして興味深い)

第9条の解釈をめぐって
 第9条に関しては、国会では天皇制存続の代償として第9条は止むを得ないという受け止め方があり、それに反対する議論はなく、9条の発案者はマッカーサーではなく、幣原首相だったという議論もされた。
 吉田首相は提案趣旨説明で、第9条は「改正案における大いなる眼目」としたうえで、このように述べている。
 かかる思い切った条項は、凡そ従来の各国憲法中に稀に見るものであります。かくして日本国は、恒久の平和を念願し、その将来の平和と生存をあげて、平和を愛する世界諸国民の公正と信義に委ねんとするものであり、この高き理想をもって平和愛好国の先頭に立ち、正義の大道を踏み進んでいこうという固き決意を、国の根本法に昭示せんとするものであります(衆院本会議 6月25日)

 次は、進歩党の原夫次郎議員の自衛権についての質問に対する吉田首相の答弁である。
 「本案の規定は、直接には自衛権を否定はして居りませぬが、第9条2項に於いて一切の軍備と交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も又交戦権を放棄したものであります。従来近年の戦争の多くは自衛権の名に於いて戦はれたのであります。満州事変あり、大東亜戦争亦然りであります。今日我が国に対する疑惑は、日本は好戦国である、何時再軍備をなして復讐戦をして、世界の平和を脅かさないとも分からないということが、日本に対する大いなる疑惑であり,又誤解であります。故に我が国においては如何なる名義を以てしても交戦権は先ず第一進んで放棄する。放棄することに依って全世界の平和の確立の基礎を成す」。(吉田首相の趣旨説明は憲法前文の趣旨に沿うものである。自衛権についての答弁は、「直接には自衛権は否定はしていないが」といった点が曖昧だが、自衛権を名目とした過去の日本の戦争を反省し、交戦権と武力行使の放棄を宣言しているくだりは注目される)

「芦田修正」の顛末(要約)
 その後、国会では第9条の解釈をめぐる論議が行われ、小委員会で第9条2項冒頭が、「前項の目的を達するために」の文言に差し替えられた。その「芦田修正」の趣旨がのちに問われることになる。
 その10年後、56年3月30日付「東京新聞」が、「侵略戦争を行うための武力はこれを保持しない。しかし自衛権の行使は別であると解釈する余地を残したいとの念頭から出たものであった」とする芦田名の寄稿文を掲載した。その寄稿文の中で、芦田は「第9条の修正案を小委員会に提出した趣旨については、その日の芦田日記にも書いてある」とも書いていた。ところが、86年に刊行された「芦田日記」には、そうした事実が書かれてなかったことから、「東京新聞」が内部調査したところ、その部分は記者の作文であったことが判明し、「東京新聞」は「おわび」の記事を掲載した。その後、さらに、米国と日本で相次いで議事録が公開された。その議事録によれば、芦田は修正の趣旨について次のように述べていた。

 『国際平和を誠実に希求し』という言葉を両方の文節に置くべきですが、そのような繰り返しを避けるために『前項の目的を達するために』という言葉を置くことになります。つまり、両方の文節でも日本国民の世界平和に貢献したいという願望を表すものとして意図されているのです(憲法改正小委員会第6回議事録46年7月31日)

(この「芦田修正」を根拠として、自衛のための武力行使は憲法に違反しないとするのが政府側の解釈である。それは、1項を、侵略戦争のみを指すと解釈し、2項をそれとは区別し、それにより、憲法上許されるとするものだが、議事録では、芦田が1項冒頭の文言の「繰り返しを避けるために」、2項で「前項の目的を達するために」と言い換えたことを明らかにしている。そのうえで、さらに1項と2項について、「両方の分節」が日本国民の「願望」を表す意図であったと語っている。つまり、2項は1項の具体的帰結であり、両項は不可分であることを、芦田は強調しているのである。したがって、自衛のための戦力、武力行使を合憲とする政府解釈は到底成り立たないことになる。この芦田自身が残した記録は、憲法を正しく解釈するうえでの確かな証拠資料と言えるだろう)。
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沖縄ノート(1)「基地依存」という誤解と蔑視

17年03月29日
沖縄ノート(1)「基地依存」という誤解と蔑視

■坂本陸郎(JCJ運営委員;広告支部会員)


(本稿は主に安田浩一著『沖縄の新聞は本当に偏向しているのか』を資料とし綴ったものです。その他の著書からも引用しながら連載の予定です)

デマゴギー
 事実を歪める情報がネット上で散乱し、誤解と偏見を生んいる。それらが沖縄を理解するうえで、国民に影響を及ぼしてはいないだろうか。
 例えば、「基地の地主は年収何千万円なんですよ。みんな六本木ヒルズとかに住んでいる。基地がなくなると、お金が無くなるから困る。沖縄はそれでも本当に基地被害者なのか」といった著名人のまことしやかな発言内容がブログやネットで流れている。
 かと思えば、辺野古で新基地建設に抗議する人々に対して、「朝から酒を飲み、日当2万円をもらっている」という、とんでもないデマがまかり通る。さては、「米軍普天間飛行場は、もともと田んぼの中にあり、周りには何もなかった。基地ができると商売になると、基地の周りに人が住み出した」といった事実を歪めるものもあり、「辺野古基金には、中国からの工作資金が基地建設妨害勢力に流れている」といった荒唐無稽なものもある。
 これらの、米軍基地建設に反対する沖縄県民に向けられたデマゴギーが、沖縄県民のみならず、本土の国民の正しい理解を妨げている。

「基地依存」
 そのひとつが、「沖縄は基地がなければやっていけない」といった言説である。基地なしには沖縄の経済は成り立たないというものなのだが、果たして、そうだろうか。
 沖縄県の調べによれば、軍用地料、基地雇用者収入など基地関連収入の割合(基地依存度)は、現在わずか5%に過ぎない。たしかに、本土の高度経済成長と切り離されていた72年の復帰直後の依存度は15,5%だったが、その後は年々、依存度は低下している。
沖縄観光コンベンションビューロー会長で、沖縄きってのホテル業大手「かりゆしグループ」CEOの平良朝敬氏がこのように語っている。
 「基地の存在こそが、沖縄経済にとっては阻害要因だ。そもそも沖縄が米軍基地を誘致したわけでもない。“銃剣とブルトーザーで土地を奪って基地がつくられた。そうであるのに、”沖縄は基地で食っている“などという物言いが飛び出すところに、誤解というよりも、沖縄への蔑視が感じられます」。
続けて、「沖縄経済の市場規模は年間4兆円、そのうち基地関連収入は約2千億円です。全体から見れば、基地関連収入はさほど大きな額でもなく、当然ながら、それは沖縄が食っていけるだけの規模でもない。さらに、観光産業から見れば、非常に魅力的場所に米軍基地が集中している。これは実にもったいないことなんですよ。雇用も利益も生み出すことのできる場所に基地が存在することで、ビジネスチャンスを失っている」。

ビジネスチャンス
 基地は経済発展の阻害要因だと平良氏は言う。では、基地が撤去されれば、どうなるのだろうか。
 平良氏は、2015年4月に返還された北中城村跡の大規模ショッピングモール「イオンライカム」を例として挙げている。
 ここでは、米軍の専用ゴルフ場だった跡地17万5千平方メートルに、県内最大の商業施設が建設され、大型スーパーをはじめ、220店舗が軒を連ね、複合型映画館も備わり、南国沖縄らしいリゾートの雰囲気が演出され、地元の買い物客だけでなく、内外から訪れる観光客にとっても名所の一つとなっている。
そこでは、米軍のゴルフ場だった以前に比べると、雇用は飛躍的に増大した。ゴルフ施設では日本人は38人しか雇用されていなかったのに、現在そこで働く人は約3千人である。集客数も、2016年には予想を100万人上回る1300万人となった。
 米軍の施設が返還されてのち一変したのは、この北中城村跡地だけではない。1987年に全面返還された那覇市の米軍牧港住宅跡地の「新都心地区」では、高層マンション、ホテル、それに県や国の出先機関、博物館、展示館、商業施設が立ち並び、そこは大都市の景観を呈するまでになっている。しかも、返還後の経済規模は、返還前の年間57億円から1624億円へと、約28倍に増大し、雇用も485人から1万6475人へと、約34倍となっている。平良氏は、新基地建設で揺れる辺野古にも、大型リゾート施設ができれば、数千人の雇用と数百億円の経済効果が期待できると語っている。

平和産業
 「観光は究極の平和産業だ」と、常々語る平良氏は、東京で大学生だったころ、神奈川県の湘南海岸を見た時、観光資源なら、沖縄は日本のどこにも負けないポテンシャルを持っていると確信したのだという。
 現在も、沖縄を訪れる観光客は増加の一途をたどっている。2015年に沖縄を訪れた観光客は776万3千人、前年比で70万4700人の増、率にして10%の伸びである。3年連続で国内国外ともに過去最高を更新した。特に、海外からの観光客は増える一方である。もちろん、基地を見ようと訪れる人はいないであろう。
 かつては、沖縄の経済は基地、公共事業、観光の頭文字を取って、「3K依存」とも言われてきた。だが現在は、確実に基地と公共事業への依存から脱却してきている。今後の経済発展も期待できるであろう。平良氏は、次のような展望を語っている。
 沖縄を中心とする半径3千キロ以内に約20億人、4千キロ以内に約30億人が居住している。そのアジア全域にわたる商圏は、今後の沖縄県の発展を約束しているといえるだろう。基地が全面返還された後の沖縄の変貌は、扇の要としての地理的条件からして有望なのである。
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国道6号の第4回放射線量調査報告

水久保文明さんのブログ「ヘボやんの独り言」より転載
http://96k.blog98.fc2.com/
17年04月30日
11534 国道6号の第4回放射線量調査報告

■水久保文明(JCJ会員 千代田区労協事務局長 元毎日新聞労組書記)


 昨年3月18日の小ブログで報告したが、東電福島第一原発近くの国道6号線沿いの放射線量調査を4月28日(金)に行った。今回は4回目である。初回は封鎖が解除(14年9月15日)された直後の9月21日。それ以降、2回目は15年11月20日、3回目は16年3月11日に行っている。

 今回は3台の線量計を使った。より正確な数値を出すためだ。例によって、同じ地点を調査した。相対的には初回より線量は減っている。が、世界基準からみるとほとんどがオーバーしており、通行も帰還もできるような状態ではなかった。

 【今回使った線量計】
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 改めて、放射線量の被ばく許容量をみてみよう。
 ●世界基準は、年間1m㏜(ミリシーベルト)となっている。したがって、
 ●1m㏜は1000μ㏜(マイクロシーベルト)だから、
 ●1000μ㏜÷365日=2.74μ㏜(1日の許容線量)
 ●2.74μ㏜÷24時間=0.114μ㏜(1時間の許容線量)
ということになる。したがって(線量計は通常1時間あたりの線量を表示しているが)許容量は1時間あたり0.114μ㏜ということになる。

【観測地点の数値】
20170430b.jpg

 今回は、常磐道が全線開通したことから浪江インターで降りて東進、JR常磐線の跨線橋を越えて6号線に入った。少し高くなっている跨線橋から、浪江町の様子を見ながら走ったが、駐車場に止まっている車は見えず、人の気配はなかった。いつになったらこの街は復活するのだろうか……。国道6号線の調査区間は、許容数値をはるかに上回っていた。別図は1回目と比較している。全体として初回より数値は下がっているが、@の浪江町以外は全てアウトであった。

【第一原発が見える地点から】
20170430c.jpg

 写真は、第一原発に近いところだ。作業用のクレーンが見える。線量はこの辺りが無茶苦茶に高かった。許容量の50倍となっている。ところが、国道から左右に分かれる主要県道に、車の侵入を防ぐ警備員が立っていたこ。一応マスクはつけていたが、被ばくしているのは間違いない。この人たちの健康は大丈夫なのか、心配になった。国道6号線のこの部分、健康問題を考えるならば封鎖すべきだと、改めて感じた。

★脈絡のないきょうの一行
失敗した北朝鮮のミサイル発射。電車を止めたり、射撃訓練の執拗な報道は、戦争を想定した国民の教育≠ナはないのか。

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護憲的改憲論なるものに与しないぞ

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載
http://blogs.yahoo.co.jp/shosuke765
労働運動は社会の米・野菜・肉だ。
2017年04月30日
護憲的改憲論なるものに与しないぞ

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

 「なるほどそうか」と注目した文章がある。『週刊金曜日』4月28日、5月5日合併号の宇都宮建児氏の小論。タイトルは「新9条論(護憲的改憲論)は有効か」。「(戦争法成立後)自衛隊の存在を憲法に明記し、自衛隊の実力行使に歯止めをかけるべきだという『新9条論』または『護憲的改憲論』が台頭してきている」として、小林節、伊勢崎賢治、田原総一郎、今井一氏らの名前を挙げている。

 おれはこの宇都宮論文を読んで、55年ほど前のある「論争」を思い出した。当時おれは20代前半で250人の輪転職場に2人しかいない毎日新聞労組東京支部執行委員だった。同時に新聞労連東京地連の書記長も兼務していた。警職法改悪反対や60年安保闘争の真っただ中、労働運動の昂揚期だった。

 高度経済成長の波に乗って新聞に面白いほど広告が集まり、それを紙面に載せるため増ページ競争が盛んだった。それは直接労働条件の悪化につながると同時に、広告主への配慮から報道の自由が侵されるのではないか、という懸念もあった。新聞労連は勿論、毎日労組も増ページ反対闘争に取り組んだ。

 その時出たのが「絶対反対か条件闘争か」という議論である。増ページ反対と言ってもどうせ阻止できるものではない。増ページそのものは認めて、労働強化にならないように増員とか休憩時間確保とかの要求を出せばいい。報道の自由については増ページ反対運動とは切り離してたたかうべきだ。

 おれたちは職場集会を基本に、組合大会でも新聞労連の各種会議でも侃侃諤々の議論をした。おれは青年層や新聞労連に結集した他社の仲間とともに、増ページの本質は資本の過大利潤の追求にあり、搾取の強化である。病源は根っ子から断ち切らねばならない、として絶対反対闘争の貫徹を主張した。

 労連共闘、職場闘争を通じてはげしくたたかい、増ページは止められなかったが、結果的に増員や休憩時間を確保させた。言論の自由を守ろうのスローガンのもと、新聞研究活動が大きく盛り上がった。おれたち活動家は増ページを止められなかった挫折感を克服し、原則的たたかいの大切さを噛みしめた。

 『週刊金曜日』に戻る。宇都宮氏と同じテーマで論じた田中優子氏は「軍事力について悩み、議論し、現実と理想の乖離に心地悪い思いを持つ」それが「憲法9条の存在理由である」ときっぱり言い切る。その通りだと思う。

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2017年05月24日

「失言」はNGで「虚言」はOKなのか?

水久保文明さんのブログ「ヘボやんの独り言」より転載
http://96k.blog98.fc2.com/
17年04月27日
11533 「失言」はNGで「虚言」はOKなのか?

■水久保文明(JCJ会員 千代田区労協事務局長 元毎日新聞労組書記)

◇=◇=◇

<今村復興相辞任>実際は首相の更迭「かばうことできない」
毎日新聞 4/26(水) 23:34配信

 今村雅弘復興相(70)=衆院比例代表九州ブロック=は26日、東日本大震災を巡る自身の失言の責任を取り、辞任した。今村氏は同日、安倍晋三首相に辞表を提出したが、実際には、首相による更迭だった。

 今村氏が25日、自民党二階派のパーティーで東日本大震災を「まだ東北だったからよかった」と述べたことは、首相官邸で経済財政諮問会議に出席中の菅義偉官房長官にすぐに伝わった。菅氏は会議終了後、首相と協議し、「かばうことはできない」という認識で一致した。更迭方針はこの場で決まった。(以下、省略)

◇=◇=◇


 きのうの続編である。

 昨日も書いたが、この「更迭シナリオ」は当然だと思う。2万人を超える人々が犠牲になり、今もって復旧すら出来ていない東北に対して、冗談でも言ってはならない言葉を発した責任は軽くない。辞任は当然だし、国会議員としての資質も問われており、こちらも返上すべき事柄である。「言葉」というのはそれほど大切なものだからだ。

 その言葉を安倍首相は、復興相の比ではない弄(もてあそ)び方をしている。安倍首相の言葉と、今回の失言を単純に比較することはできないが、誤解を恐れずに言い換えると「失言はクビで虚言はOK」ということになるらしい。これはどうしても納得できない。

 きのうのブログで首相の虚言問題をいくつか例示した。これらは、「ポスト真実」などと言って見過ごすことのできない内容ばかりだ。「原発事故はコントロールされている」というウソと、「まだ東北だったからよかった」という失言を比較してみるとよく分かる。どう贔屓目に見ても、両方ともNGである。いや、首相発言は東北の人だけでなく、世界の人々を騙している点を考えると、今回の復興相失言より罪は重いと言える。

 その首相は「任命責任は私にある」と豪語したが、任命した責任を取ろうとしていない。(首相自身に何らのペナルティーを課していない)現段階で、これはいつもの虚言であったとしか思えない。もしかしたら更迭によって任命責任を果たした、と考えているのかもしれないが筋が違う。現状のままでは虚言的であり釈然としない。あなたはどう考えますか。

★脈絡のないきょうの一行
福岡の現金強奪事件、小説みたい。同じ日に大金が福岡空港から運ばれようとしていた。偶然とは実に面白い。
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海外旅行・ファミリーでのバリ島(2011年)

戸塚章介さんのブログ「明日へのうた」より転載
http://blogs.yahoo.co.jp/shosuke765
労働運動は社会の米・野菜・肉だ。
2017年04月27日
海外旅行・ファミリーでのバリ島(2011年)

■戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)


 この年3月11日、東日本大震災発生。地震、津波、原発事故で未曾有の被害が出た。地震当日おれは家にいたが、地面が波打つのを目のあたりにした。それから4カ月、桃子夫妻、孫の凌(3歳半)、女房と妹の良子、計6人で7泊8日(機中1泊)のパリ島旅行をした。滞在はいつものビラビンタン。

 おれは旅行を前にして、便秘と水虫に悩まされていた。便秘の方は旅行2日目に解消したが、水虫は足から手に移ってずっと苦しんだ。手のひらは皮膚が剥け、言葉に尽くせぬ痒み。あれは地獄だったな。

 7月2日11時に成田を発って、現地時間5時半にデンパサール着。ウブドのビラビンタンへは7時少し過ぎ。前の宿泊者の日程の関係で、着替えもせずに日パリ交流パーティに投げ込まれた。凌はカルチャーショックで興奮し固まったまま。パーティ終了後田んぼで飛ぶ蛍を見てやっと喜んだけどね。

 3歳児を含むファミリーだというので、サファリパークとかバードパークとかモンキーフォレストとかこれまでとは一味違うスケジュール。それはそれで面白いのだが、物足りない面もある。それにアルコール。孫の凌は当然として、桃子の亭主も女房も妹の良子も下戸。桃子と2人ではわいわいぐびぐびとはいかない。ミーティングルームでの反省会もできない。これでは旅行の楽しみが半減だ。

 6日はヒンズー教最大のお祭りガルンガンだった。商店もレストランも閉店。村人は正装してお寺にいく。おれたちも光森さんに連れられて村のはずれのお寺でお参り。聖水を振りかけられ、米粒を額にくっつけた。凌がそれを見ていて急に火が憑いたうに泣き出した。宗教の雰囲気に呑まれたのかな。

 お寺の帰りにフタっフの1人ストウさんの家に寄り、お祭り料理のご馳走になる。居合わせたオーストラリアのファミリーと交流しながらの楽しい会食だった。ストウさんは1年後に選挙で選ばれて、この村の村長さんになる。何千万円もかけて、古くなったお寺の建て替えをするなど力を発揮している。

 この旅行の経費明細書が残っている。航空チケット8万3140円(大人1人)、6万7120円(子ども)。宿泊(1人1泊朝食つき)シングル4000円、ツイン2500円。空港出迎え車代1台2000円。サファリパーク1人4000円。バードパーク1人3500円。テーマパークは結構高い。

posted by マスコミ9条の会 at 17:18| Comment(0) | 観光 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

責任の取り方、首相より復興相の辞任のほうが分かりやすい

水久保文明さんのブログ「ヘボやんの独り言」より転載
http://96k.blog98.fc2.com/
17年04月26日
11532 責任の取り方、首相より復興相の辞任のほうが分かりやすい

■水久保文明(JCJ会員 千代田区労協事務局長 元毎日新聞労組書記)


 今村雅弘復興相、「自己炎上」したね。辞任は自己責任であり当然の帰結だ。ここまで放置した安倍内閣にこそ問題がある。にもかかわらず、メディアはそこに触れようとしない。アベがこわいのか。

 がしかし、よくよく考えてみると復興相より首相のほうがもっとひどいことを言っている。首相の発言は失言∴オいになっていないが、今村さんよりタチの悪い発言をしているのではないか。その典型が、今村発言のあとの「任命責任は(自分に)ある」という弁明だ。

 確かにすべての大臣など行政の責任者は首相が任命する訳だから、任命責任は首相にある。その意味において今村復興相の任命責任は、安倍晋三首相にあるのは紛れもない事実。そのことをさらりと言ってのけたところまでは、良しとするが「責任」をどう取るのか、という言及のないところをみれば、これは得意のインチキ発言としかいいようがない。

 もともと責任を取る、というのは何らかのペナルティーがつきものだ。一番重い責任の取り方は、自らが首相を辞任することだ。さらに減給や戒告、訓告、口頭注意などがある。ところが安倍首相は自らの責任の「取り方」(ペナルティー)について何一つ示していない。これは承服しがたい。考えようによっては、この方法もポスト真実≠ノ類するのかもしれないが、言っていることとやっていることのアンバランスは甚だしく、分裂症を疑いたくなる。

 改めて首相の失言*竭閧振り返ってみよう。たくさんあり過ぎて選ぶのに迷うが、福島第一原発の「コントロールされている」発言からみてみたい。これは2013年9月、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスで開催された国際オリンピック委員会の場で、2020年のオリンピックを東京に招致するために発言したものだ。

 現実はどうだろうか。コントロールされていないばかりか凍土壁の失敗など、放射線はダダ漏れ状態ではないか。この発言は当時からウソだということは分かっていた。が、メディアはそのことを批判しなかった。このウソは世界を騙したのだから、罪は復興相の発言より重い。

 そして強行採決問題。昨年10月17日の衆院TPP特別委員会で「我が党において、いままで結党以来、強行採決をしようと考えたことはないわけであります」と言い放ったのである。あまりにも凄すぎるウソに、嗤うことすらできなかった。

 極めつけは、アベノミクスだろう。破綻していることは誰の目で見ても明らか。しかし「道半ばだ」と言い張って、失敗を認めようとしない。日本経済は(ヘンな表現だが)真綿で首を締められるように奈落の底に堕ちつつある。

 「ポスト真実」などの言葉に惑わされず、安倍晋三首相のウソ=失言≠ノこそ批判の矢を向けるべきではなかろうか。メディアに注文したい。


★脈絡のないきょうの一行
トランプ米大統領「メキシコ国境の壁建設で、政府予算と支持者との板挟み」(毎日新聞ウェブ)だって。壁は土塁だから板ではなく「土挟み」じゃないかい?
posted by マスコミ9条の会 at 17:13| Comment(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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